いよいよ5/15に、新刊『江藤淳と加藤典洋』を出す。病気の後は対談を併録するなど、他の方に助けられて本を作ることが多いので、100%自分の文章のみの純粋な単著としては、2021年の『平成史』以来、4年ぶりになる。
前から書いてきたとおり、ぼくなりに戦後80年、昭和100年を受けとめた著作だ。そのメッセージが伝わるように、今回のエピグラフは、精神科医の中井久夫から次のことばを借りた。
戦争を知る者が引退するか世を去った時に
次の戦争が始まる例が少なくない。
『戦争と平和 ある観察』増補版、8頁
そして(後で示すように)、本文で最初に引用するのは、戦後50年に際して歴史家の坂野潤治が述べた文章だ。この人については、先日、まさに眼前で進行中の「戦争」をめぐっても、noteでその知見を参照している。
2020年に亡くなった日本政治史の大家である坂野潤治氏は、たった1度の解散総選挙の見送りが「昭和史の決定的瞬間」になったと、示唆したことがある。……
1937年1月の挿話で、この後に有名な「宇垣内閣流産」が起きる。軍人ながら対ソ・対中開戦に否定的だったとされる宇垣一成が、陸軍の拒絶により組閣を阻止された事件だが、もし天皇の大命に加えて選挙で示された民意があったなら、情勢は変わっていたかもしれない。
強調とリンクを改変
ウクライナで「戦時下の大統領選」を見送り、支援する諸国がそれを是としたのは、賢明だったか。過去からの延長線の上で現在を捉える人には、昭和100年のいまこそ、参照されるべき戦前の日本史が生き生きと見えてくる。そのとき、歴史は死んではいない。
一方、数年前まで「実証史学ブーム」なるものがあった。それに踊った歴史学者たちに言わせると、過去は単にジッショーすればよい存在で、生きてるか死んでるかはどうでもいいらしい。「だからあなたの評論なんて、俺たちには必要ない。うおおおお今後も歴史学はジッショー!」と、失礼なメールをわざわざ送ってきた人もマジでいる。
で、大学で日本史を教えるその人の場合は、教室でどんな風に同じテーマを話すかというと、
「女子アナに宇垣美里さんっているじゃん? あのキレイな娘。この宇垣一成って、美里さんの先祖なの。ウッヒョー日本の歴史って面白くない?」
と、仰ってるそうな(本人がSNSで言ってた)。
さすがに現実の戦争を見て、どちらが要らないか、わかっただろうか?
どうやらぼくは、「面識がないままの人」と思い出を作る名人らしく、その最大の相手が今回の本の主題である加藤典洋さんなのだが、実は坂野さんとも、忘れられない縁がある。ご本人に会う前に、亡くなられちゃったけど。
その中身は、親しい人と吞んだときにだけ話す「とっておき」にしているので、ここには書かない。むしろ伝えたいのは、次のことだ。
目下の俗悪な歴史学者なんて「要らない」、彼ら抜きでも歴史のいちばん大事な部分は受けついでいける、とぼくがこれまで言ってきたのは、会ってすらいない人とも「書かれた歴史」を通じて、バトンを渡し・受けとる体験をしているからだ。それは、いますごく、励まされる考え方だと思う。
正解がわからず、自分のモデルにするべき人を見出せない時代が、現在だ。そんな中で、どうせみんなニセモノなんだから「そのとき勢いのある人に乗ればいい」「いや、逆張りして嗤えばいい」といったニヒリズムばかりが、広がっている。
だけど、それは別に変えられない前提じゃない。いまに生きる形で過去を振り返る技さえあるなら、ぼくらが選べるモデルは、無限に広がる。
新著を『江藤淳と加藤典洋』と銘打ったのは、ぼくにとって江藤と加藤が魅力的な「お手本」だからだけど、このふたりに限らない。ともに文芸評論家だったから、彼らが論じた作品の著者にまで視野を広げてゆけば、どんな読者にも必ず、「この人だ!」というモデルが見つかるはずだ。
そんな体験を、多くの人に届けたい。とくに、ふだんは歴史に興味ないけど、いまという時代が「どこかおかしく、不条理ばかりで、誰も信じられない」と感じる人こそ、手に取ってほしい。
今日から週に1度のペースで、レイアウトや表記をnote用にアレンジしつつ、同書の序章を公開してゆく。ぜひ、ご期待ください。
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歴史が消えてからのまえがき
1 否定の思想を排す
どうしたら世の中良くなるんですか? という問いは昔から常にあった。それなのに民主主義の運動は毎回ゼロからの出発を繰り返している。
坂野潤治、『情況』1995年10月号、117頁
30年前、いまよりも歴史の存在感がずっと大きかった「戦後50年」の年に、日本政治史の巨匠はこう説いている。明治の「民権運動であそこまでいったのに、20年後にはそれを全部忘れてしまって、ゼロに戻り、大正デモクラシーでまた1つの頂点まで上がって、5・15事件でまたゼロになり、戦後民主主義でまた上昇して、またゼロになる」。
わかりやすく言えば、この国では後から来たものが、前に同じことを試みた人に敬意を払わず、否定してゆく。大正期には、明治の運動は十分に西洋的ではなかったと侮蔑され、昭和の敗戦の後には、天皇制と闘わなかった大正の民本主義に価値はないと嗤われた。先人を嘲ることで、「民主主義の伝統を皆して忘れようと努力してきたわけだ」。
では、戦後の民主主義は?
よかれ悪しかれ、私たちはいまもそれを営んでおり、戦前に政党政治が崩壊したようには「ゼロ」になっていないはずだが。
その問いについては、常に大著の現代史をものす社会学者が、こんなふうに書いている。
まず学ぶべきことは、過去の思想や経験を十分に理解しないまま葬ることの不毛さである。「あの時代」の叛乱において、若者たちは「戦後民主主義」をその内容も理解せぬまま葬った。戦後の思想や運動には、学ぶべき数多くの失敗や教訓や遺産があったにもかかわらず、それを学ぶこともなく過去のものとした。
小熊英二『1968 下』865頁。
価値としての戦後民主主義を否定した、1970年前後の学生運動についての記述だ。大学にバリケードが築かれ、それまで民主的だと尊敬されてきた教授たちが吊るし上げられ、自己批判を要求された。そこでは「戦後民主主義」という言葉は、時代遅れの腐敗した現体制を指すものであり、罵倒の対象でしかなかった。
そうした過去の切り捨てを積み重ねた結果、この国でなにが起きたのか?
歴史の消滅である。そうした環境はもはや、「無反省の体系」とさえ呼びうる。
どうせ後から来たものが、それまであったものを否定してゆくのなら、過去を振り返ること自体に意味がない。いまの勢いなら「これが許される」といった内輪のりの空気のなかで、好き放題をやり散らかし、しかる後に周囲と合わせたタイミングでいっせいに態度を変えれば、自分が責任を問われることなど、なくてすむ。
もう80年も前、敗戦を迎えた際に起きた集団的な転向と、同じように。
いつかは丸ごと「この時代にまともな民主主義はなかった」と否定されるのなら、よりよい民主主義をいまめざす努力も虚しくなろう。だからなんの矜持も、節度も、モラルも保つことなく、ただ折々の快感だけを最大化するように生きてゆく。
喩えるなら、それは社会の全体が幼児へと退行してゆくのに等しい。成熟にともなって幼少期の全能感を喪うのではなく、むしろ成熟することそのものを喪失して、国民がみな赤ん坊のような状態へと還る。
そんなとき、しばしば日本という国は、母のように想起される。
父性や母性なるものが「そもそも」あるのか、といった問いはひとまず措こう。重要なのは、戦後という時代に母性という「イメージ」で、私たちを包むこの不定形で背骨のない秩序が、繰り返し語られてきたという史実だ。
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参考記事:
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年4月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。