自慢話はコンプレックスの自己紹介である

黒坂岳央です。

「自慢話や武勇伝は聞く側がうざいと感じるので、なるべくしない方がいい」と言われる。これ自体は確かにそうで、普通は自慢話を聞かされて楽しいとは思わない。

しかし、最近この感覚が変わった。自慢話は相手の心の本音が全開になり、相手を深く理解するチャンスだと前向きに捉えている。

結論から言えば、自慢話の大半は劣等感に化粧を施す行為である。裏返せば、そこには本人が大切にしている価値観や満たされない欲求が透けて見える。ここを読み解けるか否かで、コミュニケーションの質とビジネスの成果は大きく変わる。

その根拠を取り上げたい。

kokouu/iStock

人が自慢話をする動機

人は苦労して得たものほど価値を高く見積もる。行動経済学では「努力正当化」、心理学では「補償行動」と呼ばれる現象で、これ自体はよくあることだ。

たとえば普段まったく勉強しない人が休日に3時間、自主的に勉強すれば、それだけで達成感があり周囲に自慢したくなる。一方で進学校出身者は勉強時間を誇らない。「勉強は本来、自分のためにするもの。必要に応じて長時間学習なんてやって当たり前」という世界観で生きているからだ。

同様にお金にコンプレックスがある人ほど高級ブランドを誇るし、お金に困った経験がない人はわざわざ無用なリスクを呼び込むお金持ち自慢なんてしない。シンプルにデメリットしかないからだ。

以上のように自慢話とは「自分はこれに価値を感じている」「ここを誰かに認めてほしい」という深層心理の現れなのである。

自慢話はコンプレックスの自己紹介

具体的に例を出そう。筆者の記事や動画にはコメントが付く。できるだけつけてくれたコメントには返すようにしているのだが、不快な絡みには無反応かブロックで対処している。

無視していると「論破した!」と相手から喜ばれる場合がある。こうした反応を見るに、相当に知的な劣等感の持ち主という解釈が可能だろう。

知性がある人は見知らぬ相手にダル絡みして、相手にケチをつけることを「論破や勝利」などと認識する回路を持たない。異なる視点を脅威や迫害の対象と考えず、平和的に対話することにより当価値交換こそがお互いにとって最も合理的という思考を辿るからだ。

このように自慢話や承認欲求、コンプレックスと強い関係性がある。もちろん、本当に長年努力して相手に聞いてほしいことは誰だってあるし、その思考や価値観は健全で聞いている側も気持ちいい。

しかし、コンプレックス全開で絡むと相手にいい印象を与えない。そして両者のラインは極めて距離が近いため、取り扱いには注意が必要である。

自慢話からその人の価値観を読み取る

自慢話は不快だからスルーする、というのが一般的な対処法だろう。しかし、そこで終わらせるのは少々もったいない。自分が持ち合わせていない価値観に触れ、理解を深めることは学びやビジネスチャンスにつながることもある。

たとえば会社の同僚が「今月は◯時間も残業した」と頻繁に頑張り自慢をしてきた場合、「長時間労働を良しとする価値観は、生産性を追求する自分のような人間とは対局にある感覚だ。この人は努力するプロセス自体に評価を求めているのだな」と理解できる。

冷静に相手のニーズを解釈することで、「子供じゃないのだから頑張り自体を評価されようとするな。結果が全てでしょ」などと正論で冷たく切り捨てるのではなく、「それは大変でしたね。ぜひ休日はしっかり休んでくださいね」と相手の価値観に寄り添う行動が取れるようになる。

「相手は自分の価値観に合う、合わない」だけを評価軸にすると、ドンドン視野狭窄に陥り、結果として人が離れていく。長年続けることで、取り扱いの難しい人格が強固になる。

これが年を取ると人が離れていきやすい原因のひとつであり、ビジネスでは顧客を独りよがりに論破なんてしていたら仕事にならない。なので、相手の自慢話から自分と異なる価値観を引き出し、うまくコミュニケーションができるように学習対象にしてしまえばいいのだ。

明日また誰かが武勇伝を披露してきたら、うんざりする代わりにこう考えてみてほしい。「いま目の前で、その人のコンプレックスが自己紹介をしている」と。そこには、自己成長をする種が隠れている。

 

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