物騒な予言が世の話題になっているようなので今日はそのあたりを考えてみたいと思います。
1年ほど前、私の友人が「25年の夏、フィリピン近くの海に隕石が落ち、それが波を生み、大津波となって日本にも襲ってくる、だから危険だという話をお前は知らないのか?」というので「知らん」と答えたものの仕事もできる男だし、一応気になってNASAの予想などを確認したのですが、目先すぐに危険度がある小惑星の衝突のリスクはない、となっていました。それを言っていた彼も最近は忘れちゃったように何も言いださないので根も葉もないうわさ話だったのだろうと思っていました。
すると最近、数多くのメディアでたつき諒氏の『私が見た未来 完全版』の話題を取り上げているのにびっくりしています。たつき氏は2011年の東日本大震災を当てたらしいというのが予言者としてのクレジットなのですが、実はご本人はその予言をしたのを忘れていて地震後に話題になり、あとから「そんな予言をしていたんだ」と気づいたのが真相のようです。今回話題になっているのは「本当の災害は11年の地震ではなく、25年7月5日」だと予言しており、あとひと月強に迫り、具体的に日時を特定していることから主要紙や雑誌がこぞってこの話題を取り上げています。
たつき氏はいわゆる夢日記を書き留めていて、それを漫画家として表現してきたというのが実態です。では夢日記とは何か、といえば夢に見たものを書くわけです。夢は見る人と見ない人がいると言いますが実際には見ていてもすぐに忘れるので起きた時にほとんど覚えていないことが大半です。夢はレム睡眠、つまり浅い眠りの際に見ることが多く、ノンレム睡眠である深い眠りの際には見ず、それが一回の睡眠で何度か繰り返されます。
現実の世界で初めて訪れたところなのにやけに既視感がある時ってありますよね。夢に出てきた場所とされますが、科学的には過去に似たような体験をしていることとされます。私はたまに怖い夢をみて自分の声で起きることもありますが、そういうのは心理的要素も強いのだろうと察しています。たつき氏はそのような感性を引っ張りやすいのかもしれません。
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未来を科学的に予想するのは極めて難しいのですが、大昔から人間は予言を信じやすかったと言えます。古代アフリカでは宗教が統一化されておらず、多神教が主体なもののヒトが信仰にこだわることは太古の世界からあったわけです。キリスト教は予言ではなく、預言であり、宗教上の神や死者の思いを伝えるという意味になります。韓国などでは宗教が国家を運営しているのではないかと思うほど宗教に囚われの身であります。
地震や小惑星の衝突を科学的研究や推測から予想することを予知と言い、これは当たる当たらないは別として一定の論理的説明がなされる前提です。例えば直径40ー90メートル程度の小惑星「2024YR4」はNASAなど研究機関が追っており、現状、2032年に地球に衝突する確率が0.0013%あるとされます。地震や宇宙からの飛来物の予知が難しいのは予知研究とデータが未だに十分ではないから、とも言えましょう。
その宇宙からの飛来物ですが、上述のような小惑星のように一定の軌道を描くものはある程度計算で予想ができるのです。ところが流星のように地球に飛来する物体は常にあるといえ、そのほとんどすべては地上に来る前に燃え尽きてしまいます。時折その大きなものとして火球が来ます。見たことある人はいらっしゃいますか?私は昔、天体観測を趣味にしていたのですが、観測中に火球がゴーっと音を立てるほどの勢いで飛んでいくのを2-3度見たことがあります。神秘的でした。これは予想できるものではないのです。
地球の歴史では巨大隕石がごくわずか衝突しています。最大のものは6600万年前に直径10キロの小惑星がメキシコ沖に落ちて恐竜が絶滅したとされます。直径50メートル程度なら5万年前にあったようです。またロシアに1908年と2013年に直径50メートル、17メートル級の隕石が落ちたケースがありますが、両方とも地球衝突前に燃え尽きています。
もう一つは人間が編み出したリスクです。それは低高度の人工衛星の落下。特に人工衛星が同じバンド(範囲)に密集してくると衝突のリスクは当然高まるし、宇宙のごみも相当な量になるとされています。超高速で移動するタイプの周回衛星の場合、ごく小さな宇宙のごみにあたるだけでも破損は壊滅的なものになることもあります。但し、それが落下しても地上に落ちる前に燃え尽きるでしょう。
これらを考え合わせると、たすき氏の夢日記の当たる可能性は限りなく小さいとみています。というより信じる理由はないけれど、絶対的に否定する理由もないのです。また隕石に限らず、海底火山の爆発とか地震などの要因もあるわけです。(今のところ予言の理由が隕石説の様なのでそちらにフォーカスしました。)過去多数の予言がありましたが、当たった試しがないというのが実態ではないでしょうか?ノストラダムスの大予言もずいぶん話題になりましたが、喉元過ぎれば、というよりその日を過ぎればチャチャンのチャンでした。
予想というのは概ね、過去のデータを元に将来を見据えることを言います。例えば株価の予想を過去のチャートを見て判断する方も多いでしょう。それは過去の例から未来も同じようになるだろうと考えるわけです。AIは過去のデータを瞬時にまとめてくれるわけです。その予想的発想からすればたすき氏の2011年の予想と25年7月の予言が理論的に同一線上にあり、説得しうるほどのモノであればそれは検討に値しますが『私が見た未来 完全版』の25年7月の予想はごく短くさらっとしか書いていないそうなのでまぁ予想には程遠いともいえます。
現実的に考えれば、たすき氏のそれは予想でもないし、予知でもないし、預言でもないのです。単なる予言であり、たすき氏という一個人の夢日記であると割り切って考えるしかないと思います。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2025年5月28日の記事より転載させていただきました。