御茶の水女子大附属高校と桜蔭高校は姉妹校?

日本の名門高校 – あの伝統校から注目の新勢力まで –』(ワニブックス)の発刊を記念しての連続記事の4回目。

東京大学は、1946年にに女子に門戸を開いた。109名が受験。19名が合格した。その後、伸びは遅かった。私は1971年入学だが、この年に定員650名ほどの文科一類でジュ押しが10名を超えたことが話題になった程度だった。

しかし、ようやく、1990年ごろから10パーセントを超え、2000年頃からは15%程度。2021年にはじめて20%を超えた。

個別の高校で見ると、お茶の水女子大附属が1965年に10名を超え、1982年にはそれまで一桁だった桜蔭が20名を合格させた。

旧御三家(桜蔭、女子学院、雙葉)、新御三家(豊島岡・吉祥・鷗友)などといわれるが、最近では豊島岡と神奈川県の洗足学園に勢いがある。豊島岡は自由な校風が人気なのに対して、洗足は男子校並みに厳しい進学校という人もいる。

ところで、あまり知られていないが、桜蔭高校と御茶の水大学附属高校は姉妹校のようなものだ。

お茶の水女子大学附属高等学校 Wikipediaより

御茶の水大学の起源は、明治8年に開設された東京女子師範学校で、明治23年女子高等師範学校、ついで、東京女子高等師範となった。お茶の水大学となったのは戦後だ。この女子高等師範の同窓会を桜蔭会と言ったが、それが設立したのが桜蔭女学校である。

関東大震災前、女子高等師範は現在の東京医科歯科大学の場所にあったが、焼失して大塚に移った。

この御茶ノ水の校舎の近くに桜蔭会が設けた寄宿舎があったが、これも焼失した。そこで、桜蔭会は寄付を集めて女学校を建設することになり、大正13年に開校した。

桜蔭高校 Wikipediaより

桜蔭では「礼と学び」の心を大切にし、校訓は「勤勉・温雅・聡明であれ」「責任を重んじ、礼儀を厚くし、よき社会人であれ」「常に環境の美化に努め、清楚で質素な服装を致しましょう」である。

もともと、女子高等師範では卒業後に一定期間は教職に就く義務があったわけだから、桜蔭の卒業生が、いわゆる女子校的なウエットな人間関係にこだわらずドライに、きびきびと生きる傾向があるように言われるのも当然だ。

時間管理がよくできるしっかりしているといわれる一方、職場でのどろどろした人間関係は苦手な人が多いともいわれる。

秘書にたいする暴言事件で話題になった豊田真由子代議士もOGだが、彼女のように、桜蔭学園と東京大学で学び、厚生労働省や国際機関の並外れて優秀な人ばかりのなかで生きてくれば、現実の政治の世界の汚さや、有能な人ばかりが働いているわけでもない世界に入って、それが悪い方に作用したのだと思う。

近年の東京大学合格者は、女子高でトップだし、医学部に進む者が非常に多いし、ほかの進路も理科系とか法律・行政など男子校的である。

OGには、水島広子(医師・代議士)加藤陽子(政治学者)猪口邦子(国務相)宗像直子(経済産業省)経沢香保子(ソーシャルメディアマーケティング)水森亜土(女優)菊川怜(女優)など。

お茶の水大学にも附属学校があるが、宮本百合子(プロレタリア作家)、平塚雷鳥(作家)、鳩山春子(共立学園)、戸田奈津子(映画字幕翻訳家)、石井幹子(照明デザイナー)山崎直子(宇宙飛行士)、それに連続テレビドラマ「虎に翼」の主人公だった三淵嘉子(日本初の女性弁護士)などがOGにいる。

御茶の水附属学校は幼稚園から中学までは共学。秋篠宮悠仁殿下も中学までこちらにいて、高校は姉妹校みたいなものである筑波大学附属に移った。これまでの中学・高校は男子校だった皇族男子と違って強い女性に十分な免疫がありそうだ。

【目次】
はじめに 伝統の名門校から躍進する注目校まで
第1章 東京・神奈川の名門高校
第2章 関西の名門高校
第3章 中部の名門高校
第4章 東日本の名門高校
第5章 西日本の名門高校

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