1. 進次郎氏の大勝負
小泉新農相が、着任早々、「5kgで2,000円台の米価を目指す」と発言をした際は、正直驚いた。(※その後、2,000円台ではなく2,000円と明言。21年産について1,800円という数字も出すなど更に過激に)
私の偽らざる率直な感想は「これは勝負に出たな」というものであった。
何せその直前に、石破総理自身が、「5kgで3,000円台を目指す」と言っているわけで、敢えてそこから1,000円も低い2,000円台という数字をその直後に出すのは異例である(繰り返しになるが、その後、更に低い数字を出している)。
会社で考えてみれば明らかだが、社長が記者発表などで掲げた目標に対して、その直後に、「そんな目標では生ぬるい。もっと突っ込んだ目標が必要だ」と、担当部長が対外的に別の目標を大々的に発表するというのは一般的には考えられない。
「社長は、ああ言っているが、俺たちはもっと突っ込んだ目標を掲げよう」と社内的にチーム内で目標をシェアするのとはわけが違う。記者向け・世間向けに、社長とは違う目標を担当部長がぶち上げているわけで、見方によっては、「社長に喧嘩を売っている」ようにも見える。
石破総理が打ち出した3,000円台という数字は、端的に言えば、「既存の生産・流通・小売りの枠組みを維持したまま、消費者の不満が出ないようにギリギリ下げられる水準」ということである。小泉農相がその水準を大きく下回る数字を出した意味とは、私の解釈では、即ち、既存の体制をぶっ壊す、ということである。
「自民党をぶっ壊す」というスローガンを掲げた父の小泉純一郎氏よろしく、「既存の農業の仕組みをぶっ壊す」とまではさすがに表立っては言ってはいないが、気分としては近いものがあるのではないか。
そのことを国民も好感してか、江藤氏の失言があっての交代であるにも関わらず、石破内閣の支持率は、農相交代後に調査をした日経などによれば、横ばい(1%アップ)であった。小泉農相に期待するという回答は65%に上っている。
2. 進次郎氏への逆風
しかし、ここに来て、かすかに風向きが変わってきている感じもある。
果たして進次郎氏のやろうとしていることは本当に正しいのか、という論調も強まってきているのだ。
メディアや生産者たちの「逆襲」である。メディアというものは、とにかく、対象となる人を「持ち上げてから落とす」のが得意で、本質的には逆でも良いわけだが(「落としてから上げる」)、要するに、ギャップを作ることで視聴者の耳目を集めることを旨としている。
これはメディアによる操作の面ももちろんあるが、本質的には、人間というものは飽きっぽいので、よほどロイヤリティの高いファンでもない限り、だんだん、逆のものが見たくなるわけであり、ある意味、メディアはそうした人間の感情に忠実に、欲するものを提供しているだけなのかもしれない。
例えば、国民民主党の勢いが陰りを見せているが、一つの典型例であろう。確かに山尾氏を候補者にしたり、備蓄米に対してエサと言う表現をしたり、幹事長が特定の場所で美人が多いね、と言うのは良くないことかもしれないが、さほどの罪とも思えないような話でもある。上り調子の時であれば、かき消されているような話であろう。
民主党ブーム、維新ブーム、みんなの党の躍進、都民ファーストや希望の党、、、と枚挙にいとまがないが、今回の国民民主党への追い風は果たしていつまで、どれくらいのインパクトで残り続けるのだろうか。昔から、「歌手1年、党首2年の使い捨て」と揶揄されるのも分かる。
さて、話を元に戻そう。上に示したような世間の常識から考えれば、メディアが小泉新農相による米価値下げの期待を高めておいてから、「実は生産者のことを考えていない」「小泉さんが根拠としているのは、実は違う」などとして、落としにかかるのはある意味当然である。
「こんな乱暴なやり方で、米の生産体制は維持できるのか」と論難するわけであり、最近になって、消費者側ではなく、生産者や流通業者や小売業者の声を丹念に拾いはじめている。様々な意見を紹介するということで、見上げた姿勢にも見えるが、ああまたか、とも思えるわけである。
小泉氏には、「国民の期待を裏切って来た」と日本国民が集合的に、また、深層的に思えるような過去の実績が社会の重低音として流れている。メディアとしては、ここをうまく刺激することで、小泉氏への攻撃・論難を容易に出来る。
「直前は政治改革の責任者であり、本来、3月までに与野党で結論を得るはずが、結局まとめられずに敵前逃亡したように見える」「その前は、選対委員長であったが、時期を開けての解散を主張していた総理の考えとは異なる早期解散を主張し、結局、少数与党に転落してしまった」「総裁選にさっそうと打って出て論戦に加わったのは良いものの、底の浅さを露呈してしまった」といった最近のものから、「セクシーという用語を変に用いたことが注目されたが、結局、環境大臣として、何の実績も残せなかったように見える」「そもそも、約10年前に自民党の農林部会長に就任したにも関わらず、本質的改革を進めることが出来なかったことが、今回の遠因ではないのか」といった、少し前のものまで、色々な「薪」がある。
※過去の言動が、今の炎上によって掘り返されて、さらに燃え広がることを「薪をくべる」とネット上では言われるようだ。つまり、過去の言動が「薪」というわけである。
こう見ると、さっそうと2,000円を掲げて注目を浴びている進次郎氏の前途は多難であると言わざるを得ない。
3. 進次郎氏の逆襲
ただ、私の見立てでは、進次郎氏は、私が上記で述べたことなどは百も承知の上で、敢えて、大勝負に出ているように思われる。つまり、敵を作ることを敢えてやっている、というのが私の見方だ。
かつて、私は、このメルマガ論考で、小泉進次郎氏と近衛文麿氏の比較論を展開したことがある。詳しくは、そちらを参照してもらいたいが、両氏には、世襲(有名な家柄)、親類を実の親と思って育った過去、身内に芸能人、若い時分から注目されて育ってきた、などの共通点がある。
結論的には、近衛文麿氏は、類まれなる才能と気迫を持ち合わせていたにも関わらず、最後は、上記のような背景もあって八方美人化せざるを得ず、信念に基づいた思い切った・大きな決断が出来なかった、というのが私の見解だ。
故野村克也氏の語録に「35歳を超えて敵がいないということは、人間的に見込みがないことである。何かを成し遂げようとすれば、敵は当然できる。」というものがあるが、35歳の妥当性はともかく、皆に良い顔をしようと思いながら爽やかに生きてきたら、良い顔をしようと思っていることそのものを揶揄され(いわゆる小泉構文のような形で「彼はAをBと言い換えてあたかも凄い主張をしているように見えて、実は何も言っていない」と揶揄され)、変な形で「敵」を作ってしまったようにも見える。
そのような妙な形で「敵」を作るのではなく、しっかりとした主義主張を展開し、議論を交わしたい、戦いたい、という気持ちを小泉氏は有しているのではないか。
2.の最後で書いた、世間の「進次郎氏は、何も達成できていない」という批判は、そっくりそのまま、経験を積んできたと言い換えることもできる。
「農林部会長も経験していて、年上の盟友と言うべき同期当選の齋藤健氏(進次郎氏の前の農林部会長。その後農水大臣なども歴任した元経産官僚)と共に、当時は門外漢だった農政にもある程度精通してきている。環境大臣としての経験も積んできた。党内では、規制改革の旗手としても活動してきており、ある意味で規制の塊とも言うべき農業への切込み方もわかってきている。」といった自負をもって、確信犯的に2,000円という数字をぶち上げ、農業の構造改革を進めようとしている、というのが真相ではなかろうか。
農業には、大きな可能性がある。石破総理も年初の施政方針演説で、農地の集約・大区画化の重要性や輸出の強化について言及していた。農地の改革などが典型だが、いくつかの規制を取っ払っていくことで開ける道もある。
しっかりとした改革が進めば、私の見立てでは、米の価格は、早晩二極化していくと思われる。本当に質の高い言い米は高く売れるし、そうでない米は生産の増加などで消費者にある程度安く行きわたるはずである。努力がきちんとは報われない今の生産・流通などの体制が良いと思っている人は実は少ない。
進次郎氏の大勝負に期待したいと思う。