シンガポール。税制のメリットを考え、本拠地を移す富裕者層が多いとされます。ひと昔前は香港でしたが、中国の影響が強くなり逃げる富裕者層の第一選択肢でありますが、マレーシアやタイを過ごしやすさや物価で選ぶ方も多くいます。シンガポールは税制こそ日本より有利なものの生活物価が高く、自動車のような高額商品はとてつもない税金がかかります。プリウスで1500万円、カローラ1000万円という水準を聞くと同じ富裕層でも1憶、2億の資産では「下流資産家」で恥ずかしい限り、やっぱり物価が安いマレーシアに行こう、ということになるのでしょうか。
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欧米では海外移住は当たり前。それを狩猟型人種だと表現するのは学術的には必ずしも正しくありません。歴史的に大陸居住者の7割は農耕民族であり獲物を求めて動いたのは3割程度とされます。つまり侵略を目的とするような場合はともかく、そうではない場合はその地に根付くのが基本形なのです。とすればなぜ大陸人は海外移住に対して日本人ほど抵抗がないのは海がないからという理由の方が正解だと思います。海外文化が国境を接して入ってくる、あるいは隣接国と歴史的に経済や社会の強い結びつきや人的交流が存在します。日本と韓国を除き、他国ではほぼ単一民族というケースが少ないために最適居住地を求めて移動することをいとわないわけです。
日本の場合もフランスやアメリカ、ブラジル同様、農業がベースにあるものの、神道的に農地は「神様から預かっている土地」という発想があり、農業に精を出すことが神との契り的な思想もあり、移動しにくい国家体系ができていると思います。
海外移住の目的を冒頭のような節税という観点だけでとらえるのは個人的には賛同できない発想です。それは税を一面でしかとらえていないからです。北欧のように社会保障が充実している国は応分の「費用」を税金として支払うことでそのメリットを享受できます。シンガポールのように税が低くても贅沢品には莫大な税金がかかる国もあります。言い換えればどの国にも持てる資産や歳入をどのように国民に還元するか多種多様であり、個々人の価値観にマッチしているか考える必要があるとも言えます。
現代社会では海外移住への抵抗はずいぶん下がり、日本人も海外に新天地を求める方は老若男女問わず増え、最近では大学卒業後、日本で就職をせず、海外で起業やゼロスタートを切る若者も増えています。それら若者といろいろ話をしてみると日本への期待度が低かったりネガティブイメージを持つケースが大半の理由です。「就職すらしたことがない若者が何をぬかす」とお怒りになる方もいらっしゃると思いますが、彼らは親の背中、あるいは世間一般に垣間見る社会人の性に「もっと夢を、もっと明るい未来を」と思い、自らが外に出ていくわけです。
その点は富裕層が札束を抱きかかえて「税金、ちょっとでも安い方がいい」という亡者的判断基準とは大いに立ち位置を異にします。
私の個人的感覚なのですが、日本人にはお金があれば高級ワイン、旨い飯、海外旅行、できれば別荘的な第2拠点、海外でバカンス、非日常体験の日々…というアッパーライフを目指している方が多い気がします。いわゆる物的満足、充足的満足ですね。しかし、私の周りにいるカナダ人富裕層はそんなライフからはほとんど遠く、ごく普通の質素な暮らしをしています。価値観の相違なのでしょう。
彼らは3つ星のレストランには興味なく、それより厳選された素材を使ってレストランの厨房ほどもある立派なキッチンで優雅に調理をし、客をもてなし、会話をしながらゆっくり食事を摂ることに愉しみを感じています。ハワイに行く日本人は相も変わらず多いのですが、私からすればなぜ、あんな人ごみのハワイに行かねばならないのか、という疑問符が3つぐらいつくのです。行くならメキシコの東海岸とか、カリブ海に浮かぶ島の方がはるかに非日常なのであります。
ある方からカナダ人は接待をしないのか、と聞かれたのでそんなことはないが、接待の基本は昼めし、そしてバンクーバーは資産家の街だけどトロントはビジネスの街だから経費を使う思想はトロントの方が大きく、接待費の費消も大きくなる、と申し上げました。思うに日本の接待はアルコールを飲ませてリラックスさせ、素の付き合いを求めるわけですが、欧米はアルコールなしでも普段から素なのだと思います。カナダではランチに1万円、2万円という金額を払っても日本の2-3000円のランチには勝てないのです。よって私などは接待という感覚そのものをほぼ失ってしまったと言ってもよいのです。接待しなくても仕事は成り立つのだ、ということです。
海外移住は自分の人生観に気づきを入れる為であり、日本の生活の延長をするために札束を抱えてどこかに行くことは真の意味での移住者ではないと考えます。それは「いずれ捕まる国税からの逃亡者」でしかないのです。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2025年6月28日の記事より転載させていただきました。