参政党と日本保守党の歴史観はこんなに違う

八幡 和郎

参政党と日本保守党は、いずれも「保守」を標榜する政党であり、伝統や家族、アメリカからの自立性を主張する点では共通しているが、彼らの歴史観や時代評価には明確な違いがある。

参政党・神谷代表と日本保守党・百田代表 両党HPより

1. 天皇制についての基本思想

日本保守党は「万世一系の皇統」を尊重するとしながら、明治維新を徳川と薩長土肥の権力闘争とみなし、江戸時代における徳川体制の専制や鎖国を理想化する傾向が強い。

そのため、明治維新と文明開化の成果としての近代国家形成や天皇を頂点とした政治体制に懐疑的である。とくに長州に対する評価は極めて伊藤博文や山縣有朋など低く主要な人物も低く評価されたり無視されている。その一方、昭和の軍国主義時代に対する評価が高い。

参政党は天皇制を時代を超えて日本国家の根本累年として高く評価し、明治維新を「国体再興」とし、天皇中心の国家体制の重要性を日本国家の根本として位置づけている。参政党にとっての“保守”とは、近代国家の出発点としての明治維新を支持し、その趣旨において戦前の教育・制度を部分的に復権させるとし、戦争に対する一方的な批判には反対するが、軍国主義肯定という傾向はない。

2. 教育勅語・国家道徳に対する立場

両党とも教育勅語を肯定的に捉えているが、参政党は教育勅語の内容を「普遍的な道徳」を認めつつ現代的な道徳規範を学校教育にも導入することを構想しており、教育と供御そのものの実践的な「復活」ではない。

日本保守党は、教育勅語そのものを「日本人の精神的中核」と見なし、戦後教育がこれを破棄したことを“敗戦による精神的植民地化”と捉え、その復活すら否定していないようにみえる。

3. 太平洋戦争に対する評価

日本保守党は、太平洋戦争を「自衛戦争」であり「アジア解放の戦い」として正当化する立場をとる。東京裁判史観の全否定を前提とし、日本はむしろ“正義の側”だったと主張する。国際的には身も蓋もない歴史修正主義であり、欧米およびアジア諸国にはまったく受け入れられない。

参政党も、日本に対する過度な戦後贖罪意識には批判的であるが、戦争責任についての言及には慎重で、「戦争の教訓を未来に活かす」ことを主眼とするため、正当化や反米・反連合国的立場には立たない。安倍元首相より少し右寄りといったあたりだ。私は安倍首相のあたりが欧米から歴史修正主義として非難されない限度だと思うので、国際的にはもう少し工夫が必要だ。

4. 戦後と高度成長期の評価

日本保守党は、高度成長期を日本が悪くなった時代として否定的にみる。高度経済成長自体が“敗戦レジームの延長”であり、吉田茂や池田勇人に代表される自由経済の擁護者を批判する。戦後体制そのものの全面否定に高度成長まで含めているようだ。

参政党は、戦後の高度経済成長を「日本の努力と技術の成果」として評価しつつも、「その背後にある精神的荒廃」「家族や伝統の崩壊」を問題視しており、経済至上主義への反省と価値観の転換を迫る。

総評

伝統・文化・国体の保全は共通だが、理念に大きな違いがある。

参政党は明治から昭和前期を家族を基本とし国民が心を一つにした古き良き時代として肯定的に捉え、競争よりも助け合いながら富を分配することをめざしている。郵政や交通などの再民営化、水道などの民営化への反対を目指しているが経済合理性や革新の重要性を認めない。

日本経済が好調だった時代に戻りたいということになるが、私の見るところ、かつての談合や規制による保護で非効率部門を維持する政策は、輸出産業などに規制する形で可能になっていたもので、いまや実現性がない。その意味で現実世界において危険とまではいわないが、通用するとは思えない。また、神谷代表の過去の発言などで明確に否定取り消しをしておかないと足を引っ張られる材料になりやすいものも多い。

日本保守党は江戸時代を理想とし、近代国家や戦後民主主義を全否定する立場に近く、むしろ反近代・反民主制的な前近代への回帰を指向し、経済政策には無頓着でばらまきが永遠につづけられと勘違いしている。その意味ではヨーロッパにおける極右よりさらに右寄りの前近代への空想的な回帰論であって、ヨーロッパでは1830年の七月革命とその余波である各国の国民革命以前の政治勢力にしか同様の傾向は見いだせない。