ドン キホーテをの所有会社パン パシフィック インターナショナルの安田隆夫会長が末期がんであることを公表しました。一代で2兆円規模の小売り事業を立ち上げたわけですから人生エンジョイされてきたことかと思います。76歳なのですが、写真を拝見する限りお歳を召した感じがします。
ドン・キホーテHPより
がんと宣告されると仮にどんな人でも人生が走馬灯のように現れ、懐古し、反省し、満足し、笑い、悲しむのでしょう。やり直しができない人生だけにその思いはそれぞれだろうと思います。特にがんの場合、宣告されてからお亡くなりになるまで一定期間あるのでその間に自らを整理し、次の世代に託し、最後は無の境地になるのかもしれません。
当然ながらそこから生まれる言葉は究極のエッセンスであり、人生哲学において最高の言葉が聞けるのも事実です。日経に掲載された安田会長のインタビュー記事からエッセンスになる言葉を拾ってみました。(AIではなくひろが自分で拾っています。)
運をうまく活用
創業者はガバナンス根幹を担い、経営者は中長期的な成功にまい進する
(取締役の息子には)象徴の達人になれ
経営トップは決して毎日を楽しめるものではない。問題解決に専念を。
スピードをもって果敢に責めよ
顧客の声を反映せよ
日本の国益のためにも徹底的に海外で戦っていくべき
日本と同等のレベルで日本に近い価格で海外で展開せよ
やり残したことは全くないわけではないが悔いはない
権限委譲を徹底してほしい
短い記事から抽出できるだけでもこれだけの秀逸な教訓を読み取ることができます。書籍が書けるぐらいです。もちろん、安田氏は大企業を育て上げた立場の目線で述べていることも多く、一般の方には響かない内容もあるでしょう。一方で私のように極小ながらも経営者には響く言葉は多くあります。稲盛和夫氏がお亡くなりになった時にも改めて数々の名言が披露されましたが、賢人が人生経験を踏まえて最後に吐露する言葉にはうわべで滑ったようなものとは違う重さを感じます。
さて、私が個人的によく知る方々にがんの告知を受けたなど健康を害している方が数名いらっしゃいます。皆さんそれぞれだと思います。内にこもってしまい、全く出てこなくなった人もいれば医者の許可をもらって飛行機に乗って人生を謳歌されている方もいます。がんだと思えないほど普段通りでにこやかに幸せそうに暮らしている方もいらっしゃいます。
がんの告知において重度で回復の見込みがない場合、余命宣告を受けることもあるでしょう。その時に慌てふためくのか、余裕を持って人生の整理をするのか、心理的、精神的に大いなる差があると思います。私もこの歳になってなるほど自分が世界の中心で振り回している限り、後進が育たないなと思うようになりました。
これを継続してお読みの方はお気づきかと思いますが、私も各方面相当幅広く顔を突っ込み、様々な活動をしてきたのですが、数年前から引くタイミングを見ており、既に4,5つのコミットメントを完遂し、バトンタッチをしています。私はそれを人生の簡素化と考えています。ただ、私の場合は社会にコミットする事業や社会奉仕活動は簡素化しつつも、自己完結できる新たなことにステップインしています。つまりたった一人のプロジェクトでこれでこれから花を咲かせられたらうれしいと思います。
安田氏が権限移譲を徹底してほしいと述べていますが、これは私も全く同意です。老害という言葉は好きではないですが、例えばドンキの場合は主たる顧客層が10代、20代だろうと推測する中で時代のトレンドや考え方を創業者が活躍した30-40年前のままで押し通すことなどできないわけです。よって例えばスタッフの身なりにはかなりの自由度を与えたのも同社が初めてだったと思います。
ところが多くの大企業では革新的なアイディアを取り入れ、チャレンジすることができないケースがほとんどです。その多くは「そんなことしたら創業者に何と言われるか」という保守的発想が支配するのです。案外それを恐る恐る創業者に相談すれば「そうしたらええやないか」と言われたりするものです。私が創業家出身の会長の秘書をしていた際、副社長などが報告後に安堵した顔で「ご了解を得られた」と声をかけてくれるのですが、組織が自虐的に硬直化してしまっている証とも言えるでしょう。
私は気持ちの上ではあと40-50年、生きるつもりですが、「いつ何時」ということは心の中に常に抱えています。私の日本の友人が「会社型の生保に入る?」と一生懸命勧めてくれるのです。個人の生保は掛け金次第ですが、もらえる金額が数千万円なのでそれは私には無意味な話。だけど会社の生保なら考えてみるかな、と思っています。
人生走馬灯と言いますが、私なんてこのブログを毎日書きながら自分の経験値の辞書と比べながら書いているので毎日が走馬灯であり、おかげさまで幼稚園時代から今日に至るまでほぼクリアに全ての流れを年表と共に覚えています。先日も高校の同級生が私が勤めていたゼネコンに入社したという報を聞き、「お前は確か業界No1のゼネコンにいたのになんで今更こんなちっぽけな会社に?」とやり取りしながらも昔の写真を送ってくれたりして「なるほど、あの時はこういうことだったのね」という具合に頭の中の自叙伝の加筆修正が進む今日この頃です。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2025年7月20日の記事より転載させていただきました。