黒坂岳央です。
世間では「実家が太い=人生イージーモード」という意見がある。
確かに、親から十分な経済的支援を受けられることは進学や住環境、生活基盤で大きな優位性があるのは事実だ。一方で経済的困窮の厳しさを軽視するつもりはない。
だが、実家が太いというだけで「人生丸ごとイージーモード」になるほど人生は単純ではない。実際には、お金では解決できない課題や、富裕層特有の心理的・社会的プレッシャーが存在する。
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「実家が太い」=金銭資本だけではない
多くの人は「実家が太い=経済力」と短絡的に考えているが実際はそうではない。社会学者ピエール・ブルデューは、資本を以下の3つに分類している。
- 経済資本
- 文化資本
- 社会関係資本
富裕層の家庭というのはこれら複数の資本を複合的に子へ継承する。社会関係資本とは、親の人的ネットワークや推薦力などで、就職や事業機会の獲得に直結する力である。
これらの複数要素が「総合的に強い実家」なのだ。極端な話、お金だけは潤沢に与えても愛情を与えず、放置して育てると子供はまともに育たたない。
筆者が中学生の頃、クラスメートに「親が社長でお金持ちの息子」がいた。
彼は中学生の段階で親から好きなだけお小遣いを与えてもらえる子だったが、不良グループを出入りするようになってグレた。その後はいくつもの国に長期留学をしたが、英語はものにならず帰国。
実家の恵まれた資本力を自覚しながら、自力で何も成せなかった自己否定でその後、引き込もりになってしまった(現在はどうなったかはわからない)。
こういう実例もあるため、経済力は単に1要素でしかないと捉えるべきだ。実際に子育てを経験すれば「子供はお金だけでは育たない」という現実が見えてくる。
富裕層教育のすさまじさ
富裕層の家庭では子どもに戦略的かつ計画的な教育を与える。
塾や習い事、家庭学習環境の整備など惜しみない投資である。文部科学省「令和5年度 子どもの学習費調査」によれば、私立小学校の年間学校外活動費は平均約100万円と、公立小学校の約8倍に達する。
実際、東京に住む富裕層の家庭とお互いの子供の教育について会話する機会があったが、自分の「想像以上」だった。
1組目は小学校低学年の子供を2人持つ母親で、週7回習い事をさせていると聞いて仰天した。聞き間違いを疑ったが、やはり「週7回」で間違いない。1日に2つ習い事をする日があり、「ちゃんと週1日フリーの日を設けている」と母親はいっていた。
もう1組も小学校低学年の子を持つ家庭だが、父親が日本最高峰の高学歴である影響からか、すでに中高一貫校をターゲットに勉強をさせている。
子供は複数の塾や家庭教師、英語教師をつけて勉強をさせている家庭で、筆者が就寝するような時間まで勉強をしている話を聞いて耳を疑った。「高学年になったらまだまだ勉強しないと」といっていたのが印象的だった。子供の日常生活にどこにそんな時間があるのだろうか?
これは一部の極端な例ではあるが、OECDの調査でも、日本の高所得層ほど子どもへの教育投資額が突出していることが報告されている。
このようなエピソードに「別に騒ぐほどのものではないのでは?」と感じる人は感覚が麻痺している。日本の大半の家庭、特に地方の家庭はこのような環境ではないのだ。
筆者自身、小さい頃からまともに勉強をしたことがなかったが、自分が勉強をしなかったことで人生前半、大変な苦労をした。そのため、上述した家庭ほどではないにせよ、自分の子供たちにはかなり熱心に勉強やしつけをしている。
仕事量をセーブし、筆者自身も子供たちに勉強を教えている。結果、学力はかなり向上したが、子供の負担は大きいのは間違いない。
心理学研究では、富裕層の子どもは学業成績が高い一方、不安や抑うつ、物質使用のリスクが高いという報告もある。要は「緩やかな自由」ではなく「高密度な期待と管理」の中で成長するケースが多い。
まず幼い時期を見ても、彼らが「人生イージーモード」とは到底思えない。勉強を頑張る子供は大変苦労している。しかも、彼らの苦労は学生時代だけでは終わらない。
就職先でもエリートたちとの熾烈な競争があるし、独立しても競合他社との競争が待っている。しかも「競争」は実家が多少お金持ち、という程度で解決が不可能な課題である。
“上には上”の現実と比較圧
地方の富裕層家庭の子でよくある話が、「地方では実家もお金持ちで成績優秀、勝ち組だと思っていたが…」というものだ。彼らが都市部の大学や私立学校に進学すると、「さらに上の世界の住人たち」と遭遇することになる。
たとえば慶応大学などでは、資産規模や文化資本の桁違いな幼稚舎出身との出会いによって「勝ち組出身」と思っていた幻想がガラガラと音を立てて崩れ去るという事が起きる話は有名である。
都市部の教育現場は、世帯年収1,000万円超の世帯割合が地方より大幅に高く、学習費も全国平均を上回る層が集中している(文科省調査)。 そこでの競争は地方出身者の想像を超える厳しさを持つ。
このような「格差の可視化」は、中間層にも上層にも起こり得る。とくに都市部の教育現場は、世帯年収や学習費において全国平均を大きく上回る層が集中しており、そこでの競争は地方出身者の想像を超える厳しさを持つのだ。
◇
結局、上には上がいるので大学や就職先でも、自分が競争のフィールドにいる間はずっと苦しい戦いが続いていく。そして人生の本質は競争なので彼らはずっと努力し続けることになる。
こうした富裕層の子の悩みは、周囲から共感を得にくい。この非対称性を理解しないまま「羨ましい」と軽々しく断じることは、当事者にとって軽視や無理解として受け取られる可能性が高いのだ。
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