聖母マリアは「第2のキリスト」にあらず

8月15日は日本では「終戦記念日」だが、ローマ・カトリック教会では「聖母マリアの被昇天」で、カトリック教国では公式の祝日だ。オーストリアでは15日の祝日と16日(土),17日(日)の週末を入れて3連休となった。

「聖母マリアの被昇天」の話に入る前に、前日の14日が聖マキシミリアン・コルベ神父が亡くなった日だったことを思い出す。同神父はアウシュヴィッツ強制収容所で囚人の身代わりに自分の命を提供した聖職者として世界で知られている。ヨハネ・パウロ2世は1982年10月、コルベ神父を列聖した。同神父はアウシュヴィッツの聖者と呼ばれている。47歳の生涯だった。

アウシュヴィッツの聖者コルベ神父、強制収容所時代の同神父の肖像、バチカンニュースから,2025年8月13日

さて、「聖母マリアの被昇天」とは、イエスの母マリアが霊肉と共に天に昇天したという日を意味し、ローマ教皇ピウス12世(在位1939~58年)が1950年、世界に宣布した内容だ。聖書にはどこにもそのようなことは記述されていない。その意味で、キリスト教会の伝承に基づいた教義だ。聖母マリアの処女懐胎を祝う「聖母マリアの無原罪のみ宿り」(12月8日)と共に、「聖母マリアの被昇天」は聖母マリアの神聖化を強調する教会側の狙いがあったわけだ。

「聖母マリアの無原罪の御宿り」の場合、1708年にクレメンス11世(在位1700~21年)が世界の教会で認定し、1854年、ピウス9世(在位1846~78年)によって正式に信仰箇条として宣言された。「マリアは生まれた時から神の恵みで原罪から解放されていた」という教えだ。その結果、聖母マリアは罪なき神の子イエスと同じ立場となり、「第2のキリスト」という信仰告白が生まれてくる一方、キリストの救済使命の価値を薄める危険性が指摘されてきた。中世のトマス・アクィナスらスコラ学者は聖母マリアの無原罪説を否定した。

キリスト教会はカトリック教会でもプロテスタント系教会でも聖書が聖典だが、その聖書の中には聖母マリアの無原罪誕生に関する聖句は一切記述されていない。「神と人間との間の仲保者もただ1人であって、それはキリスト・イエスである」(テモテへの第1の手紙第2章5節)と記されている。聖母マリアを救い主イエスと同列視する教義(無原罪の御宿り)は明らかに聖書の内容とは一致しない。

プロテスタント教会や正教会は聖母マリアを「神の子イエスの母親」として尊敬するが、「マリアの処女懐胎」を信じていない。一方、カトリック教国のポーランドでは聖母マリアを“第2のキリスト”と見なすほど聖母マリア信仰が活発だ。ちなみに、マリアは父ヨアキムと母アンナの間に生まれている

「聖母マリアの被昇天」も現代のキリスト信者にとって、それを文字通り信じることは困難だろう。ピウス12世が聖母マリアの霊肉被昇天の教義を突然言い出したのではなく、第1バチカン公会議(1869~70年)から高位聖職者の間で教義化への動きはあった。現代の信者たちにとって死者が霊肉ともに昇天するといったことは考えられない。キリスト教会の中で東方正教会はマリアの肉身昇天ではなく、霊の昇天と受け取り、マリアの昇天を教義とは受け取っていない、といった具合だ。

カトリック教会が聖書に記述されていないマリアの神聖化に乗り出した背景には、キリスト教社会で長い間、神は父性であり、義と裁きの神であったが、慰めと癒しを求める信者たちは、母性の神を模索し出したことにある。そこで母性の神を代行するとしてマリアの神聖化が進められていった。換言すれば、聖母マリア崇拝は父性の神を補完する意味で生まれてきたわけだ。

ただし、聖母マリアの神性化はイエスが結婚していれば必要ではなかったことだ。しかし、イエスは結婚できなかったから、母性の代表として聖母マリアが必要となった。その意味で、12月8日の「聖母マリアの無原罪の御宿り」、そして8月15日の「聖母マリアの被昇天」は33歳で亡くなったイエスの生涯の実相を示唆した祝日といえる。

注・・上記のコラムで「聖母マリアの被昇天」の部分は「聖母マリアの被昇天に思う事」2022年8月16日を再掲載した。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2025年8月15日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。