遠い将来に日本の歴史を書く人は、2015年から25年までのあいだを「歴史を失った10年間」と呼ぶだろう。そして、なぜそんなことが起きたのかを、不思議に感じると思う。
戦後70年の安倍談話の際は、検討する会議に入った人が「御用学者になった」とか、あの人を選ぶなんて「アベはヤバい」とか、準備中から色々言われた。そんな批判の当否はともかく、みんなが歴史に注目していた。
ところが、出されなかった戦後80年の石破談話(?)をめぐっては、すごい数の政治家や学者が「お願いです。わが国の代表たるもの、歴史の話はしないで!」と叫びまくっていた。そんな国って、他にあるんだろうか?
だいたい8月15日には毎年、武道館で追悼式があって、首相がスピーチすることは決まっている。歴史に関して「完全に沈黙する」ことがありえないのは、わかっていたはずなのに、なにを大騒ぎしていたのだろう。
石破茂首相は15日の全国戦没者追悼式の式辞で、……先の大戦に対する「反省」の語句を野田佳彦首相以来13年ぶりに復活させた。ただ「反省」の対象は「アジア諸国への加害」ではなく、戦争へ進んだ道とした。
(中 略)
第2次安倍晋三政権の式辞(2013~20年)では加害や反省を盛り込まず、「歴史と向き合う」などとし、最後の年にはそれを外して「積極的平和主義」に言及した。菅義偉首相(21年)や岸田文雄首相(22~24年)はほぼ踏襲していた。
2025.8.15
強調を付し、西暦に改訂
この記事は、とてもよかった。歴史を失った10年間にかぶさって、「反省」という語がそんな長く消えていたのかと、びっくりする。あんだけの犠牲を前線でも銃後でも出して、「反省しない」ってことがあるんですかね。
いや、安倍談話に照らしても、反省してないはずはない(以下のとおり、「反省」の語も出てくる)。なんだけど、反省してますって新たに「口にしたら死ぬ病」みたいななにかが、ここ10年間を覆ってきたんだと思う。
我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきました。……こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。
談話の発出は2015.8.14
つまり近年、ぼくらは急速に「ネガティブさを含む自分語り」が下手になった。毎日キラキラしてないと死ぬ病みたいなSNSユーザーを、意識高い系とか承認欲求強すぎとか陰で笑う風潮がありつつも、国がまるごとそうなっていたのだ。
それって結構・重篤な病じゃ・ないだろうか。
5月刊の拙著『江藤淳と加藤典洋』について、『AERA』の8/11・18合併号に苅部直先生が寄せてくれた書評が、ネットで公開されている。
本書の全体に流れているのは、「歴史」、より正確には「歴史家」に対する痛烈な批判にほかならない。……単に学者が堕落したという現象にとどまらず、精神史的な変化がその背後に横たわっている。
たとえば戦後八十年とか、二十世紀といった長い年数にわたる経験を整理する物語を、日本社会に生きる人々が共有し、モラルの糧とする。その営みが、現代においてはすでに不可能になった。
段落を改変
生まれてから死ぬまで、一度も失敗せず、恥をかかない人なんていない。むしろそうした「マイナス」を、どう人生の中で糧になったとして位置づけ、語ることで共有するかが大事なのだが、なぜかいまそれが難しい。
それは歴史の消滅と、明白な関係がある。ただし過去をどう消滅させるかというメソッドが、ここ10年で急速に進化を遂げた。従来のやり方が新たに「洗練」されて、より無自覚にぼくらは歴史を忘れ出したのだと思う。
上の記事でも触れたように、戦後という時代には、歴史をかき消す方法は「過去との切断」だった。敗戦についても「俺じゃない奴らがやったこと」だとして、歴史の主体を自分から切り離すのが、定番のやり方だった。
歴史はあるんだけど、そこで描かれるのは「カンケーない他の奴らの話」とすることで、ネガティブなストーリーを受け入れやすくしていたのだ。だけどそれさえ最近は、怪しくなっている。
むしろ始めから歴史なんて描かずに、目の前の話題に「だけ」詳しいセンモンカを連れてくる。で、その現象が飽きられたらみんなで一斉に忘れて、「もうホットイシューじゃないネタは、どうでもいい」と放り出す。
折々の「いま」だけがバラバラに存在して、それを貫き、時間をまたいで生きる人格を、誰も想定しない。だから、当時こう言いましたよね、と訊かれても、出てくる言葉は反論でも弁明でもなく、「知りません」「言ってません」になる。
なので、来月から次の本『専門家から遠く離れて』(仮)の執筆が本格化するけど、それは歴史をやめて現代ネタに転ずるのじゃなくて、むしろ『江藤淳と加藤典洋』の正統な続編にあたる。
そんな次第をお話しする動画を、「ことのは」のYouTubeが上げてくれた。そこで『専門家』でも使う予定の、加藤典洋さんが昭和天皇の逝去の直後に書いた文章を紹介している(10:26~)。
当時の日本は、天皇個人、あるいは天皇制の存続をもって「国体」の護持はなったと考えていたわけだが、この護持された「国体」は、けっして戦争の “負け点” を引き受ける意志をもっていたわけではない。
それは一国民代表(東條英機、あるいは近衛文麿)を身替わりに、いわば、主権(当事者能力)の放棄とひきかえに、自己の存続を全うしたというのが事実に近い。それなら、誰がこの負けゲームの主体を引き受けるべきか。引き受けるべきだったか。
「「敗者の弁」がないということ」
『「天皇崩御」の図像学』、53-54頁
初出『毎日新聞』1989.1.23
主権にカッコして「当事者能力」と補ってあるのが、なんともいい。主権の問題といっても、ここで加藤が描くのは、WGIPガー! 勝者の裁きガー! 押しつけ憲法ガー! の、どれでもない。
そもそも、目の前の大変な敗北は「俺が」やったことでもあるんだ。俺は他人事のように、上から目線であれこれ誰が悪いとか言う立場である以前に、失敗の「当事者なんだ」と思える感覚の、有無を問題にしている。
苅部さんの拙著の書評は、以下のように続く。歴史が消えてしまったとしても、かつて歴史を語れるような主体を育てるために必要とされたモラルは、今日もなお、まっとうに相互の責任を担いつつ、共に暮らす条件だ。
むしろ、いまや「歴史なし」で――戦争の話題ならみんな背筋伸ばして聞くっしょ? といった過去への依存を抜きにして、ぼくらは社会を営まないといけない。それが今日からの課題である。
世に横行する、特定の政治主張のための歴史のつまみ食いには背をむけて、過去から遺されたテクストの言葉に向き合い、その作者と語り合うようにして思考を続けること。
その作業が、大きな「歴史」の共有が不可能になったこの時代に、さまざまな他者との共存を支える可能性に賭けるのである。
参考記事:
(ヘッダーはNHKより、80年目の追悼式での現天皇・皇后。「深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い」と発言された)
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年8月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。