本日、2025年8月15日は、戦後80年の「終戦の日」です。
80年前、日本はアメリカと戦争していました。
アメリカ人と言っても、当時も今も、さまざまな考えの人がいます。
アメリカの自由主義者たちの、日米戦争・原爆投下に対する考え方について、知っておくことは重要だと思い、記事を翻訳して紹介いたします。
元の記事は、アメリカ自由主義系シンクタンク・ミーゼス研究所のHPに掲載されているRalph Raico氏の”Harry Truman and the Atomic Bomb”です。
「日本」と言っても、様々な立場や考え方の異なる人がいるように、あたりまえですが「アメリカ」も決して一枚岩ではありません。
平和や自由を求める人々は、どの国にもいますし、その反対の人たちもいます。
※元の記事は下記から全文が読めます。
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ハリー・トルーマンと原子爆弾
1945年8月6日の広島、そしてその3日後の長崎への原子爆弾投下────これは、ハリー・トルーマンの大統領職における最も衝撃的な出来事であり、決して忘れられることはなく、永遠に彼の名と結びつけられるであろう出来事です。
この攻撃と、その後の放射線障害によって、おそらく約20万人が死亡しました。その大多数は民間人であり、その中には数千人の朝鮮人労働者と、広島の刑務所に収監されていた米海軍パイロット12名も含まれます。
原爆投下には常に大きな論争が存在してきました。
トルーマンが最初から一貫して主張したのは、原爆使用の決定とその責任は自分にあるということでした。
しかし、年月が経つ中で、トルーマンはその決定について異なる、そして矛盾した理由を述べてきました。時には、単に復讐心から行動したと示唆することもありました。自分を批判した牧師に対し、トルーマンは苛立ちを露わに次のように答えました。
私以上に原子爆弾の使用に心を痛めている者はいない。しかし、私は日本軍の真珠湾への不当な攻撃や、我々の捕虜の殺害には非常に心を痛めた。
彼らが理解する唯一の言語は、私たちが彼らを攻撃するために使ってきた言語なのだ。
このような論理は、日本軍の残虐行為が、罪のない男女や子どもに対する致命的な報復を正当化しうると見なさない者にとって、何の説得力も持ちません。
トルーマン自身も当然この点を認識していたため、時折、別の口実を持ち出しました。1945年8月9日、彼は次のように述べました。
「世界は、最初の原子爆弾が軍事基地である広島に投下されたことに注目するであろう。これは最初の攻撃において、可能な限り民間人の殺害を避けるためだったのだ」。
しかし、これは荒唐無稽な話です。
真珠湾は軍事基地でした。
一方、広島は、軍事施設を含んではいたものの、約30万人が住む都市でした。いずれにせよ当時、港は機雷で封鎖され、米海軍と空軍が日本周辺の海域を制圧していたため、広島に駐屯していた部隊は事実上無力化されていたのです。
別の機会には、トルーマンは「広島が工業中心地だったから爆撃した」と主張しました。
しかし、米国戦略爆撃調査報告書は、「広島の主要な工場は、市の周辺部に位置しており、深刻な被害を免れた」と指摘されています。
標的となったのは、市の中心部だったのです。
トルーマンが原爆によってどのような犠牲者が出たのか理解していたことは、1945年8月10日に内閣に対し第三弾投下をためらった理由を説明した発言から明らかです。トルーマンは次のように述べました。
「さらに10万人を抹殺する考えは、あまりにも恐ろしい」「あの子どもたち全員を殺すなんて考えたくない」。
さらに10万人を抹殺する……あの子どもたち……。
そもそも、広島が主要な軍事または工業の中心地だったという考え自体、表面的に見ても、説得力に欠けます。
広島は、日本本土への数年にわたる壊滅的な空襲の間も無傷で残っており、爆撃司令部が設定した33の主要標的リストにも入っていなかったのです。
したがって、原子爆弾投下の正当性は、驚くべき広まりを見せた一つの巨大な虚構に依拠するようになりました——すなわち、「原爆は50万人以上のアメリカ人の命を救うために必要だった」という主張です。
これは、もし12月に九州上陸作戦が行われ、さらに翌年に本州への全面侵攻が必要となった場合に失われるであろう命の数だとされています。しかし、日本本土への全面侵攻の最悪のシナリオは、米軍の死者4万6千人でした。
米軍全戦域での第二次世界大戦における戦死者総数のほぼ2倍にあたる50万というばかげた数字は、いまや高校や大学の教科書で繰り返し引用され、無知な評論家によって軽率に引用されています。
この点での愚かさの極致は、1991年にジョージ・H・W・ブッシュ大統領が「原爆投下は何百万のアメリカ人の命を救った」と主張したことです。
それでも、トルーマンの多くの嘘と自己欺瞞は、彼が引き起こした恐怖を考慮すれば理解できます。同様に、アメリカ占領当局が破壊された都市からの報告を検閲し、数千の遺体や恐ろしく損傷した生存者の映像や写真を一般公開しなかったことも理解できます。そうでなければ、アメリカ人——そして世界中の人々——は、当時明らかになりつつあったナチスの強制収容所の光景との不気味な類似性に気づいたでしょう。
この爆撃は、アイゼンハワーやマッカーサーを含む米軍高官によって、野蛮で不要な行為だとして非難されました。
トルーマンの首席補佐官であったウィリアム・D・リーヒ海軍元帥の次の見解は、その典型的なものでした。
「ヒロシマとナガサキでのこの野蛮な兵器の使用は、日本との戦争において何の実質的援助にもならなかった。…私の個人的な見解では、この兵器を最初に使用したことで、私たちは暗黒時代の野蛮人と同じ倫理基準を採用したということだ。私はそのような方法で戦争を戦うように教えられていないし、女性や子どもを殺すことで戦争に勝つことはできない」。
原子爆弾投下に関与した政治エリートたちは、戦前の「孤立主義」の復活を助長するような反発を恐れていました。そして、世論の嫌悪感がこの戦争犯罪によって高まり、国際主義的な構想への熱意が損なわれることを避けるため、急いで弁明が公表されました。
しかし、その心配は無用でした。アメリカ国民の態度には、大きな変化が起きていたのです。それ以来ずっと、あらゆる世論調査は、大多数のアメリカ人がトルーマンを支持していることを示してきました。
つまり、「原爆は戦争を終わらせ、数十万の米国人の命を救うために必要だった」と信じているか、あるいはもっと単純に、この問題について特に気にしていないということです。
もし今なお、罪のない日本人の命と連合軍兵士の命を天秤にかけるような陰惨な費用便益分析に悩まされる人がいるなら、カトリックの哲学者G.E.M. アンスコムの判断に思いを巡らすべきです。
アンスコムは道徳的規則の優越性を主張しました。
1956年6月、トルーマンがオックスフォード大学から名誉学位を授与された際、アンスコムは抗議しました。
彼女は「トルーマンは戦争犯罪人だ」と主張したのです。アメリカ政府がヒロシマとナガサキで民間人を空から大量虐殺した行為と、ナチスがチェコやポーランドの村の人々を抹殺した行為に何の違いがあるのか、とアンスコムは訴えました。
アンスコムの主張は、さらに考察する価値があります。
仮に、1945年初頭にドイツを侵攻した際、アメリカの指導者が、「アーヘンやトリール、またはラインラントの都市の住民全員を処刑すれば、ドイツ人の意志が折れ、降伏に至る」と信じていたとしましょう。この場合、戦争は迅速に終結し、多くの連合軍兵士の命が救われたかもしれません。では、その場合、女性や子どもを含む何万人のドイツ人市民を射殺することは正当化されるのでしょうか?
それは原子爆弾投下と何が違うのでしょうか?
1945年初夏までに、日本は完全に敗北を悟っていました。なぜ彼らはそれでも戦い続けたのでしょうか?
アンスコムは次のように書いています。
「無条件降伏の要求こそが、すべての悪の根源だった」
この狂気じみた条件は、カサブランカ会談でルーズベルトが考案し、チャーチルの熱心な賛同を得て連合国の合言葉となりました。ヨーロッパでの戦争を延長させた後、それは太平洋でもその役割を果たしたのです。
1945年7月のポツダム会議で、トルーマンは日本人に対し、「無条件降伏を拒否した場合、本土を完全破壊する」と宣言しました。連合国の条件には「代替案はない」とされ、その一つに「日本国民を世界征服に導いた者たちの権威と影響力を永久に排除する」ことが含まれていました。「厳正な裁き」が「すべての戦争犯罪人」に下されると宣言されたのです。
日本人にとって、これは天皇——日本人にとって神聖な存在であり、太陽の女神の直系の子孫とみなされていた——が確実に廃位され、おそらく戦争犯罪人として裁判にかけられ、場合によっては皇居前で処刑されることを意味していたのです。
実際にはアメリカは、天皇を廃位したり処罰したりすることを意図していませんでした。しかし、この無条件降伏の暗黙の修正は、日本側には一切伝えられなかったのです。
結局、長崎爆撃後、ワシントンは日本の要望を受け入れ、皇室を維持し、ヒロヒトを天皇として留任させることを認めました。
その数ヶ月前から、トルーマンは政権内外の多くの高官から、米国の立場を明確にするよう圧力を受けていました。
1945年5月、大統領の要請を受けて、ハーバート・フーバーは戦争をできるだけ早く終結させる必要性を強調する覚書を作成しました。その中で、日本に対して「天皇や彼らの望む政治体制には一切干渉しない」と通知すべきだとしました。さらに条件の一部として、日本が台湾や朝鮮を保持する可能性にも言及しました。トルーマンとの会談後、フーバーはタフトら共和党指導者と夕食を共にし、自らの提案を説明しました。
第二次世界大戦を論じる体制派の著述家は、過激な推測を好む傾向があります。
たとえば、「もしアメリカが戦争に参加していなければ、ヒトラーが世界を征服していただろう」というものです。(これは赤軍の評価を過小評価しているように思われます。さらに、世界征服を企てていたのは日本ではなかったのでしょうか?)
では、この事例に仮想の歴史を考えてみましょう。
太平洋戦争が、通常の戦争が終わるように、降伏条件の交渉によって終結したと仮定します。さらに最悪のケースを想定し、日本が帝国の一部(たとえば朝鮮半島や台湾、さらには満州)の維持を頑固に主張したと仮定します。この場合、日本は、中国で共産党が政権を取るのを阻止できた可能性があります。そしてそれは、毛沢東政権によって引き起こされたとされる3,000万から4,000万人の死を防いだ可能性があるのです。
しかし、1945年当時の外交の範囲内だけを考えても、トルーマンが原子爆弾に頼らずに戦争を終結させるための努力を尽くしたとは到底言えません。
日本人は、自分たちが「人類が発明した最も致死的な兵器(トルーマンがヒロシマ攻撃を発表した際に『これまで戦争で使用された最大の爆弾である英国の”グランドスラム”の2,000倍以上の爆発力を持つ』と自慢した兵器)」の被害者となることを知らされていませんでした。
また、ソ連が日本に対して宣戦布告する予定であることも伝えられていませんでした。この事実は、東京の一部の人々にとって原爆よりも衝撃的でした。
計画に関わった科学者の中には、無人または避難済みの地域でその威力を実証すべきだと訴える者もいましたが、その提案は退けられました。
重要なのは、無条件降伏を形式的に維持し、その実施で失われる可能性のある兵士の命を救うことだけでした。
しかし、20世紀を代表する軍事史家のJ.F.C.フラー少将は、原子爆弾投下について次のように書いています。
「命を救うことは称賛に値するが、それは人道のあらゆる原則や戦争の慣習に反する手段を正当化することにはならない。もしそれを許すなら、『戦争を短縮し、命を救う』という口実で、あらゆる想像可能な残虐行為が正当化されることになる」。
これは明らかに真実なのではないでしょうか?
そして、理性的で人道的な人々が、世代を超えて戦争の規範を発展させてきた理由も、まさにこれではないでしょうか?
大手マスメディアが政府の主張をなぞって原爆投下を称賛する一方で、著名な保守派たちは、原爆投下を「言語道断の戦争犯罪だ」と非難しました。
憲法学者で『ヒューマン・イベント』の創設者の一人であるフェリックス・モーリーは、広島の惨状に言及し、特に「33の学校が破壊され、数千人の子どもたちが閉じ込められた」ことの悲惨さを強調しました。
モーリーは同胞のアメリカ人に対し、自分たちの名の下に行われた行為を償うべきだと訴え、ドイツ人がナチス収容所で起こったことを直視するために送られたように、アメリカ人のグループを広島に派遣することを提案しました。
カトリックの司祭で『ザ・カトリック・ワールド』の編集長であり、旧右派の柱石であったジェームズ・ギリス神父もまた、この爆撃を「キリスト教文明と道徳法に対する最も強力な打撃」として非難しました。
保守派の『USニュース・アンド・ワールド・レポート』のオーナーであるデイビッド・ローレンスも長年、原爆を非難を続けました。
また、著名な保守派哲学者リチャード・ウィーバーは、
「カンザスやテキサスから来た若い兵士たちが、非軍事都市のドレスデンをホロコーストに変え、モンテ・カッシーノやニュルンベルクといった古代の聖域を粉砕し、広島と長崎に原子爆弾による絶滅をもたらした光景」に吐き気を催すほど嫌悪した、と書いています。
ウィーバーは、このような残虐行為を、「文明の基盤に深く敵対するもの」と見なしました。
今日、”自称保守派”は、トルーマンが空から数万人の罪なき日本の民間人を虐殺したことに、少しでも疑問を抱く者を「反米」だと罵ります。
このことは、かつて真の意味で保守主義者と呼ぶに値した人々と、今日の「保守派」との違いを如実に示しています。
アインシュタインが署名したルーズベルト大統領宛ての最初の書簡を起草し、マンハッタン計画を推進した世界的に著名な物理学者レオ・シラードは、1960年の死の直前に、次のように、もう一つの明白な真理を述べました。
「もしドイツ人が都市に原爆を投下し、我々がそれをしなかったなら、我々は都市への原爆投下を戦争犯罪と定義し、この犯罪を犯した ドイツ人をニュルンベルクで死刑に処し、絞首刑に処しただろう」。
ヒロシマとナガサキの破壊は、東京とマニラで処刑された日本軍将校の戦争犯罪よりも、はるかに酷い戦争犯罪でした。
もしハリー・トルーマンが戦争犯罪人でないのなら、戦争犯罪人などこの世に存在しないでしょう。
※この記事は『ハリー・S・トルーマン:革命の推進』より抜粋。ジョン・デンソン編『大統領の再評価:執行権力の台頭と自由の衰退』所収。
編集部より:この記事は自由主義研究所のnote 2025年8月15日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は自由主義研究所のnoteをご覧ください。