共産党の田村委員長が記者会見で、参政党の「日本人ファースト」政策を「極右排外主義」と断じ、その主張に対して「知性と理性で反論する」と宣言しました。
ここまでは言論による対抗なので当然の姿勢といえます。
しかし同時に、街頭演説への抗議活動について「容認」と受け取れる発言をしたことが、大きな問題です。
会見する田村智子委員長 日本共産党委員長会見より
誰が「排外主義」と認定するのか?
「極右排外主義」「レイシスト」かどうか――その判定は誰が下すのでしょうか。
仮に共産党が「これは排外主義だ」とレッテルを貼れば、その瞬間に街頭演説は大音量や妨害行為に晒される。
これは民主主義における政治活動の自由・表現の自由の根幹を揺るがします。
権力を握った政党が「敵対する言論は排除してよい」と考えるようになれば、それは専制の入口です。私はそんな社会を望みません。
暴力的手法が招く逆効果
実際、共産党員を含むとされる市民グループによる抗議活動では、発煙筒が焚かれるなど過激な手法が取られています。その様子はSNSで拡散され、むしろ参政党への同情と支持を呼び込む結果になっています。
歴史が示す通り、「言論への妨害」はしばしば逆効果となり、妨害された側が勢いづくのです。
これを見て喝采する一部支持者がいるかもしれませんが、それは自らの首を絞める行為にほかなりません。
表現規制への道を拓く危うさ
さらに恐ろしいのは、こうした妨害が続くことで「秩序維持」の名の下に、新たな表現規制が正当化されかねないことです。
戦前の日本がそうであったように、「混乱を防ぐため」という大義名分は、政府や権力者に都合のいい規制を拡大させる口実となります。
共産党が自ら、自由を制限する雰囲気作りに加担していることを、ぜひ自覚してほしい。
私たちが守るべきは、どんな意見であれ「言論には言論で対抗する」という自由社会の鉄則です。
私自身、表現の自由を守る活動を続けてきました。耳障りな主張も、違和感を覚えるスローガンも、まずは開かれた言論空間で議論されるべきです。
街頭演説や集会を妨害することを容認する発想こそ、民主主義の敵であると強く申し上げたいと思います。
編集部より:この記事は、前参議院議員・音喜多駿氏のブログ2025年8月22日の記事より転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は音喜多駿ブログをご覧ください。