こんにちは。自由主義研究所の藤丸です。
ここ数日、「アフリカ・ホームタウン」問題に関して、外務省やJICA(国際協力機構)に説明を求める声や、移民反対を訴える声がSNSを中心にあがっています。
それに対して、政治家や有識者からSNS規制の検討の意見もあります。
これらにも関係することとして、今回は韓国人の自由主義者の友人の寄稿記事を紹介します。
「戦う民主主義」という虚像
こんにちは。今日は「戦う民主主義」をテーマにして文章を書きました。
ここ最近、日本政府がデマ拡散を防ぐことを名目にSNS規制を唱えており、またアフリカホームタウン移民の件で話題になっている中、ドイツの状況が参考になるかと思い、寄稿をさせて頂きました。
自由主義の観点から、ドイツの「戦う民主主義」の概念やその限界について触れたいと思います。よろしくお願いします。
1. ドイツの「戦う民主主義」とは
ドイツ基本法の第21条2項には、「政党で、その目的または党員の行動が自由で民主的な基本秩序を侵害もしくは除去し、または、ドイツ連邦共和国の存立を危うくすることを目指すものは、違憲である。違憲の問題については、連邦憲法裁判所が決定する」と書かれています。
ではなぜ、このような条項があるのでしょうか?
戦後のドイツは、第三帝国の過ちを繰り返さないために「戦う民主主義(Streitbare Demokratie / Defensive democracy / 防衛的民主主義」という考え方を取り入れました。
「戦う民主主義」とは、自由や多元性といった民主主義の価値を守るために、あえて自由の一部を制限するという逆説的な概念です。
ワイマール共和国でナチスが合法的に権力を掌握し、民主主義そのものを破壊した歴史を踏まえ、「民主主義は自殺してはならない」という信念から生まれました。
具体的には、違憲政党の解散、公務員からの排除、憲法擁護庁による監視などが手段として制度化されています。
つまり、民主主義の名の下に「自由の敵には自由を与えない」という発想が正当化されているのです。
実際にこの制度は何度か行使されています。
1952年にはネオナチの「社会主義帝国党(SRP)」が、1956年には東独共産党の影響を受けていた「ドイツ共産党(KPD)」が違憲とされ、解散に追い込まれました。
最近では2017年、ネオナチの「民族民主党(NPD)」の違憲審査が行われましたが、この時は「危険性はあるが国政レベルで影響力が乏しい」という理由で解散には至りませんでした。
こうした歴史を振り返ると、戦う民主主義という概念が単なる理論ではなく、実際に政治的現実を大きく左右してきたことがわかります。
そして今年の5月、憲法擁護庁はとある政党を「確実な極端主義団体」とし、盗聴や監視をすることができるようになりました。また8月、同党のヨアヒム・パウル候補が、ルートヴィヒスハーフェン市長選挙への立候補を禁止された事件もありました。
この「戦う民主主義」は本当に「自由」を守る盾なのでしょうか?
それとも、都合の悪い野党を締め出すための口実になっているだけなのでしょうか。
そもそも、その政党に何の問題があったのでしょうか?
これから掘り下げていきたいと思います。
2. ドイツのための選択肢(AfD)
ドイツ政界には様々な政党がありますが、ご存じのない方々のために事前に簡潔に説明したいと思います。
大きく分けて6つで、世間では概ね次のような思想を支持すると知られています。
■キリスト教民主同盟(CDU)+キリスト教社会同盟(CSU)
キリスト教民主主義、リベラル保守主義を支持する。■社会民主党(SPD)
社会民主主義を支持する。■ドイツのための選択肢(AfD)
ナショナリズム、経済的自由主義を支持する。■左派党(Linke)
民主社会主義、共産主義を支持する。■同盟90/緑の党(Grüne)
環境主義を支持する。■自由民主党(FDP)
古典的自由主義、社会自由主義を支持する。
この中で、唯一連邦及び州政府の運営において極力排除され、ひいては連邦憲法擁護庁によって極端主義団体と指定された、「ドイツのための選択肢(AfD)」について述べたいと思います。
AfDは2013年に結成された政党で、当初はユーロ危機をきっかけに「EUの財政移転に反対する欧州懐疑主義派」として登場しました。
当時の主張は、南欧諸国の債務をドイツが肩代わりするのは不公平である、よってユーロを廃止しよう、などというものです。
つまり、国家財政の自立性を守ろうという経済的自由主義に基づいた立場でした。実際、初期の構成員は経済学者が多かったです。
その後、メルケル政権による難民危機や移民問題をきっかけに、AfDはより国民国家の主権や移民の制限を重視するナショナリズム政策も取るようになりました。
熟練労働者の制限的受け入れ、EUの過度な権限拡大への批判、そしてNATOの軍事介入への反対などが、彼らの主要なテーマになっていきました。
とりわけウクライナ戦争以降は、「ドイツの国益を第一に考えるべきだ」という立場から、武器供与や戦争拡大に対して明確に異を唱えています。
経済政策の面では、欧州の反移民政党の中でも経済的自由主義を掲げており、税負担や規制の軽減を繰り返し訴えています。
代表のアリス・バイデルはハイエク協会出身の経済学者として、サッチャー首相やミレイ大統領を評価しており、現政権の債務赤字を痛烈に批判しています。
また、イーロン・マスク氏も「ドイツを救うのはAfDしかない」と述べ、欧州政党の中でも特にAfDに注目しているところです。
(スクショの許可は頂きました)
ちなみに、この記事のために、ドイツのリバタリアン政治活動家であるナオミ・ザイプト(Naomi Seibt)氏から貴重なご意見を頂きました。
「あなたはAfDの経済政策がドイツ政治において一番自由主義(リバタリアニズム)に近いと思いますか?」という私の質問に対して、ザイプト氏は「簡潔に言えば、はい、間違いないです。アリス・バイデルは、公式の場で何度もAfDを『右派リバタリアン』と呼んできました。他にリバタリアニズムを名乗る政党はありません。FDPはかつて『自由市場の党』として知られていましたが、それは見せかけに過ぎず、実際には連立を組める相手の政策をただ取り入れるだけの臆病な政党となってしまいました。現在では得票率5%すら獲得できていません。」と述べています。
(ザイプト氏のXアカウントです↓)
自由主義の視点から見ても、経済的自由を基盤に据えるAfDの訴えには耳を傾ける価値があると思います。
共同代表のアリス・バイデル氏とティノ・クルパラ氏
ただし、トランプ大統領の関税政策に対して二人の共同代表の意見が分かれるなど、AfDの内部には経済的に自由主義的な立場を取る人もいれば、より保護貿易を支持する人もいるそうですし、外交・安全保障に関しても意見の幅が存在します。
AfDはルペンやファラージという一人に依存する政党とは異なり、派閥間の会話を重視しているのです。
どちらかと言えば、これこそ「民主的」な政党として健全な姿だと言えるのではないでしょうか。
興味深いのは、いわゆる「極端」とされるAfDや左派党の政策の一部が、むしろ主流派よりも自由主義的なことです。
左派党は一貫して反介入を掲げ、海外派兵や軍事ブロック拡大に批判的です。
AfDは、経済的自由主義であり、EUの中央執権、NATOの無制限な介入やウクライナへの支援に反対を唱えています。
どちらも、軍事費を膨張させて戦争拡大に突き進むCDUやSPDといった「穏健派」と比べれば、よっぽど慎重で平和的な、つまり税金をなるべく使わない立場だと言えるでしょう。
そういうAfDは支持を集め次々と議席を増やし、2025年選挙で20.8%を獲得することで第二党になりましたが、にもかかわらず、AfDは「極右」や「危険な勢力」というレッテルを貼られ、連立政権に参加されずいじめられたり、憲法擁護庁による監視対象に指定されるなど、政権側からの弾圧を受けています。
しかしごく一部の発言を拡大解釈してAfD全体を「危険な極右」と決めつけて排除するのは、国民の声を無視することに等しいのではないでしょうか。
AfDの有権者の多くは「大ドイツ主義」を望んでいるのではなく、EUの中で自分たちの生活や主権が軽視されていると感じ、既存政党に代わる選択肢(alternative)を求めているのです。
世論調査では、自営業者、労働者、旧東ドイツ地方、若者、移民1世代など、ごく普通の市民の不満と願いが反映されています。
またAfDが議席を増やした理由は、メルケル政権の難民受け入れ政策による治安悪化や文化的違いによる紛争にありました。むしろ必要なのは、彼らが何を問題視し、どのような代案を提示しているのかを、冷静に議論の俎上に載せるべきです。
AfDの存在は、必ずしも全ての政策に賛同できるかどうかは別として、少なくとも民主主義者が唱える「多元性」を保証する重要な役割を果たしているのではないでしょうか?
3. それは本当に自由ですか?
似たような構造を持っている国が隣にあります。それは韓国です。
韓国は「国家保安法」という、かつての愛国者法や治安維持法に類似する法律が存在します。反国家勢力の規制や共産主義活動の禁止を名目にしていますが、実際には軍事政権が反対派を弾圧する道具として利用してきました。
2014年には「統合進歩党」という主体思想を追従する極左政党を内乱扇動罪(内乱陰謀とは異なる)で解散させました。
2021年、ドイツの連邦憲法擁護庁は新たに「民主的正当性を持つ代表への軽蔑」「国家機関や代表者の権威の否定」「政府命令への抵抗」を民主主義違反と定めました。これは明らかにコロナ規制に異議を唱える市民を弾圧するための政治的装置です。しかし、「戦う民主主義」体制の下では、それが反民主主義になります。
また元庁長は、あるインタビューでアニメファンのことを「部屋で引きこもりながら極端化する若者」と決めつけ、反ユダヤ主義や反フェミニズムに結びつけた上で「オタクテロリズム」という空想上の概念への警戒を呼びかけました。こうした発言は、国家権力が市民社会の多様な文化や趣味まで監視と統制の対象にしようとする姿勢を示しています。
実際、ニーダーザクセン州憲法擁護庁長も、「極端主義者がゲーム世界に入り込んで勢力を広めているため、綿密に探っている」と述べています。
これはミレイ大統領が警告した、「文化の戦い」の一種です。国家が決めた極端主義を防ぐために、いつでもその文化を弾圧する準備がドイツはできていることが、明らかになっています。
では、現在の日本はどうでしょうか。
日本国憲法には「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」「検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。」と規定されており、ドイツのように「戦う民主主義」を採用していません。
しかし現実には、誹謗中傷対策という名目で民主的に選ばれた政府がSNS業者に対応を求めたり、移民政策への懸念の声を「政府の邪魔をするな」「デマだ」といった形で無視する場面も見られます。
これはドイツのCDU政権と大きな違いがあるとは言えないでしょう。
ちなみに、日本の自民党とドイツのCDUはいずれも「保守政党」を自称していますが、国家による介入主義が強いという共通点を持っています。
私たちは、ドイツで行われている自由の弾圧に注目し、日本における状況も同じ傾向を示しているのではないかと問い直す必要があるかもしれません。
こうした事例を見ると、東欧や北朝鮮・中国と自らを対比しながら「自由民主主義国家」を自称する第一世界の言説が、どれほど偽善的かがよくわかります。そして、その対立構造を煽って人々を騙してきた冷戦的秩序の欺瞞も明らかです。
結局のところ、彼らの「戦う民主主義」とは民主主義を守るための美名をまとった「(既得権益のために)戦う民主主義」に過ぎないのではないでしょうか。
全体主義を防ぐためと言いながら、結局は「自分たちの体制を守るため」にしか使われていない。
自由主義の観点からすると、どちらも自由の敵です。
4. 「戦う民主主義」という虚像
これらの件を踏まえると、自由主義の観点からすれば、「戦う民主主義」なる概念は極めて危険です。なぜなら「ナチスを繰り返さない」と叫びながら、ナチスのように体制批判者を迫害し、「北朝鮮とは異なる」と言いながら、北朝鮮のように思想の自由を検閲しているからです。民主主義とは、市民が自由に選択肢を持ち、それを投票で選び取る制度のはずです。
それを国家権力が「許される政党」と「禁止される政党」に線引きするのであれば、独裁国家と何も変わらないのです。
もちろん、民族社会主義や主体思想といった全体主義的イデオロギーは、自由主義者にとって断固として拒絶すべきものです。
しかし、彼らの表現の自由すら封鎖するのであれば、私たちは自ら「反対派を弾圧する権力者」と同じ側に堕ちてしまいます。
自由主義的な秩序とは、気に入らない意見を力で封じることではなく、すべての立場がオープンな議論で競える環境を意味します。
ヨーゼフ・ゲッベルス長官
第三帝国の国民啓蒙宣伝長官、ヨーゼフ・ゲッベルスはかつて次のような発言を残しました。
「もし我々の敵がこう言うとしよう──『かつて我々は君たちに言論の自由を認めてやったではないか。だから今度は君たちも我々に認めるべきだ』と。だがそれは、我々が君たちにも自由を与えなければならない証拠にはならん!むしろ、君たちが我々にそれを与えたという事実こそ、君たちがどれほど愚かであるかの証拠なのだ!」- 1935年12月4日
この発言は、しばしば「戦う民主主義」を正当化するための言い訳になります。
しかし、私たちはこう言い返さないといけません。
「深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ」
民主的に選ばれた政党が反対派を弾圧する様子が、ナチスと異なるのでしょうか。ゲッベルス長官が今のドイツを見たらこう言うのでしょう。「ほらみろ!君たちも我々と同じではないか」と。
「戦う民主主義」という虚像を脱ぎ捨て、自由主義の原点に立ち返るなら、政府がまずやるべきことはAfDや共産主義者を排除することではありません。デマを防ぐためにSNSを検閲することでもありません。
むしろ、彼らが暴力を使わない限り彼らの声も選挙市場に等しく委ね、国民が自らの判断で取捨選択できるようにすべきです。
そして、国民が全体主義思想に陥れないように、規制廃止、減税、政府の縮小を実現して、豊かな社会を作らなければなりません。
それが本当の政府の仕事ではないでしょうか。
編集部より:この記事は自由主義研究所のnote 2025年8月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は自由主義研究所のnoteをご覧ください。