民主主義と権威主義再び:勢いを増す中国・ロシア

この数年、思うことがあります。我々が享受する自由な民主主義は本当に今後も発展的に普及していくのだろうか、と。我々日本人は民主主義が至極当然の如く教育を受け、アメリカはそのリーダーとして君臨し、日本はそれを追随する形が戦後、ずっと続いてきました。

一方、学術界では民主主義の欠点や制度疲労的な点も指摘されてきました。例えばアメリカでかつて起きた1%と99%の格差問題は民主主義を追求した結果としてマネーに極端にウエイトがかかったアメリカで起こるべくして起きた事象でありました。またバイデン政権の頃のリベラル派はバラマキを伴い、少数の声を尊重する動きが数多く起きました。Black lives matter運動もそうだし、LGBTQなどマイノリティへの配慮もそうでした。ただ、私が見たのは配慮すればするほど公平感に霧がかかるというものでした。

日本でも新宿の歌舞伎町タワーに男女別がないトイレが出来て話題になりました。ところが実際には社会がそれを受け入れませんでした。結局、建物の所有者は半年もせずに間違いを認めることになります。何を間違ったのかと言えばマイノリティの権利を強調するあまり、マジョリティに無理を強いたのです。この辺りから一時盛り上がったマイノリティへのスポットライトは徐々に暗くなっていきます。

私が感じるのは民主主義=自由=自己権利の極度な主張=社会全体に醸成されている認識や習慣、慣習への修正圧力=社会の不和だとみています。端的に言えば社会全体が平等になることはないのです。残念ながら生物学的にも医学的にも経済学的にも社会学的にも全ての人間が同じではないのです。差異があるからこそ、今の社会が面白く、人は努力をし、生きる力を持つのです。それを政治や法律で突然、今日から平等です、というのは社会的強要による平等の押し付けになり、一定限度を超えると人は我慢が出来なくなるのです。

民主主義が一定の進化を遂げていた時代は良かったのです。ところがこの数年は極端な思想と施策に走り始めたので脱落者が出てきたのです。これが私が懸念している民主主義の制度疲労です。

さて、地球規模の国家体制をみると、民主主義に対して権威主義がその対立軸に上がります。そして今や権威主義の国の方が多いという実態があります。では権威主義の国家の人々は不幸か、といえば必ずしもそうではないかもしれません。なぜならば生まれてから今日に至るまで自由を知らなければ人々は比べようがないのですから。(幸せの尺度や価値観など比べようがないのです。個人レベルで見ても自分の今と昔を比べて幸せかどうかは単純比較できないでしょう。)

では権威主義がなぜ、増えていているのでしょうか?私は統治しやすい、これが最大の理由だと思います。欧米を見ていると一つのことを決めるのにあまりにも多くの意見が出て決まるまでに時間を要します。よってトランプ氏は権威主義的立ち位置から政権運営をしますが、当然、それに対抗する訴訟や反発、国民感情が複雑に入り乱れます。一方、中ロなど権威主義の国では一定のルールと枠組みにはめ込むことで政権運営がしやすくなります。

習近平国家主席とプーチン大統領 クレムリンHPより

我々民主主義の国にいる者からすると「かわいそうだな」と思うでしょう。ところが彼らはそう感じていないのです。制限枠が生まれた時から存在するため、それを超えた自由というイマジネーションがないのです。もう1つは厳しいペナルティです。もしも体制から外れるようなことをすれば処罰が待っています。人間はある処罰を受けると多くのケースでは最後にギブアップします。そして「仰せの通りにいたします」になります。これは何処の世界でも同じ。たとえば警察に捕まり、取り調べで多くは自供を始めるのは心理学的に許容を超える状態に置かれるからであり、「陥落」するのです。だから警察では自供を「落ちたぞ!」という訳です。

中国天津で開催された上海協力機構首脳会議、北京の抗日戦争勝利80年記念式典、ウラジオストックで開催される東方経済フォーラムは権威主義国家が主体となる大きな一連のイベントになります。注目しているのは彼らの結びつきがより強化されているという実態です。明らかに民主主義陣営より権威主義陣営の方に勢いがある、そう感じないわけにはいかないのです。

我々、民主主義陣営は何に突っかかってしまったのでしょうか?人のエゴでしょうか?私は最近アメリカ人と話をしても面白くないのです。お金の話が先に来てしまうからです。

そんな時、ふと思うことがあります。日本の平等主義って美しいよな、と。国民が一つのことを共有し、皆で楽しみ、悲しみ、考えます。そこでは個人主義が極端に浸透した北米におけるバラバラという感じはしません。日本的平等主義が世界に広がればよいと思いますが、それはたやすくないでしょう。理由は宗教観が邪魔するのです。そうならば日本がより美しくなり続けることで世界がうらやむ社会をより発展させるしかないのでしょう。

社会が分断化する中で日本の存在感はより重要になってくることでしょう。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2025年9月2日の記事より転載させていただきました。

アバター画像
会社経営者
ブルーツリーマネージメント社 社長 
カナダで不動産ビジネスをして25年、不動産や起業実務を踏まえた上で世界の中の日本を考え、書き綴っています。ブログは365日切れ目なく経済、マネー、社会、政治など様々なトピックをズバッと斬っています。分かりやすいブログを目指しています。