中国人はなぜイケアで涼むのか?

谷本 真由美

ネットでは中国人が中国のイケア(IKEA)で涼んでいる動画が出回っています。

売り物のソファーに座りこんだり、ベッドで寝転んで、まるで自宅のようにくつろいでいるのです。

これはもう何年も前から知られていることで、様々な動画が出回っていますが、やはり実際に中国に行ったことがない日本の人には未だに信じられないことのようです。

イケアジャパン HPより

私は学生時代に中国の一般の家庭に居候していたので、様々な中国人を見ましたが、このような光景はもちろん驚くことではありません。

なぜ中国人はこのような店舗で自宅のようにくつろぎ、周りの目を全く気にしないのか。

これには中国人と日本人の国民性の違いをはっきりと表すことが反映されています。

中国は大変広大なところで人口も多いですし、その広さは実際に行ってみると驚かされるものがあります。


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もちろんヨーロッパなどすっぽり入ってしまいますし、日本の大きさというのは中国の1つの州位の感じです。

環境も様々で、北部の事、シベリア状態のところから砂漠のようなところ、ジャングルがある所までさまざまです。

このように広いところなので、まだまだ開発が進んでいないところも多く、農村部の中には日本の昭和10年代のようなところもあります。

日本のテレビや雑誌に登場する都会的で進んだ中国と言うのは、大都市の1部の話ですが、中国はまだまだ日本人の感覚では、驚くような田舎や農村部が多いのです。あえて比べるのであれば、ロシアのかなり田舎の方に似ています。

地域同士の格差も凄いのですが、中国は階級による格差も昔から凄まじく、それは日本の想像を超えています。

上のほうの階層の人々は、日本人のように非常に繊細で気を使うような人々もいますし、外国のこともよく知っています。能力が大変高い人もいます。しかし。(そういった人々の少なからずは実は外国に移民していたりします。)

この格差には経済的なものだけではなく、考え方やマナーの違いも含まれます。

残念ながらあまり豊かではなく、教育レベルも低い人たちの中には、自分の血族や遅延がある人たち以外の事は気にしないと言う人たちがかなりいるのです。

これは中国の現地に行って、実際にその環境を見ればわかります。水道水さえ信用できない過酷な環境で、家端戸まで豚や鶏と一緒に納屋のようなところに住んでいる人がいます。

水はあまりないので、日本のように入浴する習慣がありません。

このような過酷な環境では、自分の親族や近所のよほど親しい人しか信用できないので、それ以外の人々には気を使うと言う考え方が生まれないのです。

しかも、その土地の支配者や政府が変われば財産をとられてしまったり、土地を占領されてしまうと言うこともあります。殺されることもあるのです。

ですから、自分と家族以外は誰も信用できない、気を使う必要もないと言うふうに代々考えている人々なのです。

そういった人々にとって最も重要なのは、自分が心地よいかどうかと言うことであって、例えばお店に行ってやってはいけないと書いてあるのであれば、自分が快適になることをやるのです。

したがって、これがイケアのベッドで寝転びがあると言う行動につながるわけです。

しかし、彼らの言い分としては寝転がってはいけないと書いていないし、罰金があるわけでは無いのだから、なぜやってはいけないのかと言うことになるのです。

確かにそう説明されればそうかもしれないなと言わざるをえません。他のお客さんの迷惑になるからやめてください、といっても、迷惑とはその人がどう感じるかのことであって、ではそれをどういう風に文章化するのか数値化するのかと言うふうに反論してきます。

寝転ぶ事は他の人たちに何か危害を加えているわけじゃないし、一体迷惑と言うのはどういうことを言うのかとなるわけです。

ですから、彼らとしてはなぜ自分たちが行われなければならないのかと疑問に考えるわけです。

ところが日本人の場合は、例えば都内やイケアに行っても、知り合いに遭遇したりすることがあるわけですし、そのお店で何か注文することもあります。そして何より白い目で見られるのが恥ずかしいので、そういう迷惑になる事は避けます。

なるべく衝突することを避けて、空気を読んで、先回りして自分がお客であっても気を使うということが当たり前になっています。

日本人は赤ん坊の頃からそういうふうにしつけられていますし、赤ん坊も周りの人の雰囲気を見て理解するので、日本の赤ん坊は他の国の赤ん坊に比べると大変大人しいのです。

このような日本人の行動は、かつて昭和の時代には日本人を取り巻く空気として取り上げられることが多く批判されることもありました。

このような空気が日本人を全体主義の行動に走らせたのだと言う。

しかし、日本人の気質というのは2025年度今でも変わっておらず、むしろさらに空気を読む社会になっています。

1部の若い人たちの中には、非常に自己中な人もいますが、しかし子供から大人までまだまだ全体的には空気を読むところであり、礼儀正しさは外国でもよく知られています。

私はイギリスではしばしば「日本人の子供は信じられないレベルで礼儀が正しくまるで高貴な貴族のような感じだが、なぜなのか」と聞かれることがあります。

これは決してお世辞で言っているのではなく、彼らが自分の子供たちや周りの子供を日本人のように礼儀正しく振る舞うようにするのにはどうしたらいいのかとなら悩んでいるからです。(それははっきり言うと、彼ら自身が礼儀がなっていないからなのですが)

日本人はこのように、空気を読んでたとえ自分がお客であっても、迷惑をかけずに礼儀正しく振る舞うことが、日本において最適化された生存戦略ですが、中国人にとってはとにかく自分が心地よくなることや、自分にとって得になることをやるのが生存戦略です。

これは環境によって生み出された行動パターンの違いと言うことが言えるでしょう。

経済学では人間はどこの土地でも同じように行動するものだと言うことで、議論が組み立てられていますが、そうではない場合もあるのです。

では、このように、行動原理があまりにも異なる日本人と中国人がお互い理解することはできるのか?

例えば、中国人が今日本に大量に移民してきていますが、彼らは日本人の行動原理を見て理解をするのにはかなり長い時間がかかるでしょう。

私の中国人の友人たちは、日本の大学や大学院に留学でやってきていましたが、やはり最初は日本人の行動や考え方に大変驚いたと言っていました。

はっきりとものを言わないし、日本人が言ったことと、やることが正反対ではないかと言うのです。


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