Newspicksでやってる落合陽一氏の「WEEKLY OCHIAI」に参政党の神谷宗幣代表が出ていて、
外国人比率は最大で10%以内にするべき・・・みたいな事を言ってSNSで騒ぎになっています。
でもまあ、上記動画を見た感じでは結構普通なことを言っているというか、
・外国人をいきなりゼロにするとか全員追い出すとか無理
・でもドイツレベルの20%にするのは論外
・10%を最大値として、ちゃんと日本に馴染んでもらう制度設計が必要
・・・というまあまあ穏当なことを言っている感じでしたね。
この「10%を最大値として」みたいな話については、結構最右翼層からの突き上げも食らってるようですが、とはいえだいたい「参政党ですらこういう感じ」の方向性であるなら、だいたい日本社会の今後はこのレンジをどうやって乗りこなすかという話になるのが明確になってきたなと思います。
今回はこの問題に関連して考えるべき課題をいくつか整理する記事を書きたいと思っています。
1. ちょっと我慢すればいいというレベルの人手不足ではない
2010年代も人手不足と言われつつまあまあ過去の延長でやってこれたんで、「この延長」で、ちょっと我慢すればなんとかなるだろう・・・と思ってる声も大きいんですが、それが全然成り立たないレベルの激変が今後やってくるんですよね。
詳しくは以下記事に書きましたが・・・
2010年代以後の日本では、
・人手不足になった分は、老人と女性を無理やり働かせることで埋め合わせてきた
んですよ。
でも既に女性の労働参加率はG7でも既にトップクラスに高い状態になっているし、老人の労働参加率は「単にトップ」なだけじゃなくて他の国と比べ物にならないレベルになっている↓
他の国と全然違うグラフになってる
左端が日本
だから「女性と老人でショックを吸収」してきた部分が限界に来て、「人手不足」がそのまま露呈するようになってきている。
さらに、大元の「人口減少」的なレベルの話だけで言っても、上記記事で引用したリクルートワークス研究所の坂本貴志氏の発言では、
今の日本は「人口減少局面のジェットコースターの頂上から少し下ったところで、その加速度の激しさに動揺している」状態
・・・だと述べています。こわっ!
なんせ「島根県の人口まるごと」っていうレベルで毎年人間の数が減っていくことになるので・・・
だから「どの程度」かはともかく外国人労働者の存在なしには普通の日常生活も回らない日本にすでになっているしこれからさらになるのは間違いない。
「コンビニを0時に閉めるのを我慢すればいい」とかいうレベルの話じゃなくて、ゴミ回収もされなくて街に溢れるし、あらゆる建築工事は止まるし、介護なんて誰も受けられない贅沢品になる。
そういうわけにいかないから、外国人との共生は当然必要になる。あとは「どの程度」「どうやって」という問題になる。
「別に入れなくても済む方法があるんじゃないか」というレベルの議論が放置されることで、今みたいな「ダダ崩れ」の状態が続くのが一番良くないので、「必要は必要」と割り切った上でその先の議論ができる環境にしていくことが大事なわけですね。
それに、「外国人労働者を入れすぎると賃金の押し下げ圧力になるから良くない」というのは、アホみたいに大量に入れすぎた時の理論的な現象としては正しいんですけど、「社会の基礎的なニーズも満たせないほどの人手不足」の場合は成り立たないんですね。
だいたいの経済学の実証研究においては、移民労働力が「安い」労働を代替してくれると、その分は付加価値の高い労働に人手を回せるようになるので、賃金は上昇圧力を受けることが多いそうです。
2. 入れるならちゃんと日本社会でトレーニングされるように
前も書きましたけど、もともと「ただダダ崩れに入ってくる状態」が放置されている事に関して問題意識があったのは、リベラル寄りの人にもかなりいたので、こうやって関心が高まってる状況を利用して、キチンと「厳格に管理された受け入れ方」をしようという流れは高まっています。
川口のクルド人みたいな形で全く管理不可能な方法で自然発生的に入ってこられて、何人いるかもわからないしちゃんと「日本社会に属してもらう」こともできてない・・・みたいな状況を放置しない事が大事だ・・・というコンセンサスが取れるようになってきていることが大きい。
「左右の党派対立」から極端なことをいう勢力から分離して、一手ずつ着実に「管理された受け入れ方」ができるようになっていけば、後は日本社会の同化力を維持していくだけでなんとかなるはずだ、という感じもしています。
良くないのは20世紀型の「社会の無理解が全部悪い」という形で吹き上がる極論と、「全員追い出せ」という極論に引き裂かれる事なんですが・・・
以前のように欧米が「輝ける事例」として存在しているわけではなくて欧米自体がむしろこの問題の「良くない例」としてクローズアップされてる現状の中では、果てしなく「日本社会の閉鎖性が悪い」というだけの議論をするのも限界があるからね。
そこで「現実主義的な着地以外を許さない」包囲網をいかに右と左の党派争いから分離して形作っていけるかどうかが大事ですね。
3. 参政党の伸び、SNSの治安悪化で「我に返る」動きをいかに吸い上げていけるか?
こないだ、ある保守系のインフルエンサーの人が、だいたい以下のようなポストをして結構バズってたんですが、
スイスのような中立国がいい!でもスイスのような徴兵や武器保有はいや!
北欧のような社会福祉がいい!でも北欧では当たり前な「寿命」の概念(後期高齢者の延命治療しない等)は嫌!
米国のような多民族国家がいい!でも米国のように皆が国旗に忠誠を誓うのが嫌!!
そんなご都合主義は通用するかよ
なんかこういう↑無理のある「リベラル」的な方向性が、この人類社会に本来存在している課題についての対処をせずにとにかく「日本」という単位をディスって終わるみたいなモラルハザードをもたらしてた面があったわけですよね。
参政党が伸びたことや、最近のSNSが本当に「ヤバい」感じになってきていることは、こういう「無為無策の理想主義=リベラル」みたいな状況自体を転換させていく重要なステップになってるし、その方向性を後押ししていかねば、と思っています。
SNSにいる「リベラル」とは違って、新聞とかでちゃんと色々と考えている「リベラル」はここ最近急激にまともなことをいうようになっていて。
さっきたまたま見た記事ですけど、女性のアカデミアで移民問題・・・みたいな人がいうことが、ただただ「日本の閉鎖性が悪い」って言ってるだけみたいな暴論ではなくなっている。
いままでのように、欧米由来の理想論をそのまま振り回してローカル社会側が悪いといい続けるムーブに対する適切な抑止力が常時存在するようになってくれば、むしろ少しずつ新しい血が入るのは大事な面もある。
米国のラテン系がそうであるように、ある種の「反・意識高い系のガッツ」みたいなものを補充し続けないと社会が病むところがあるからね。
ある種の「狂気」がSNSにあふれかえることで、むしろ「まともな意見」が中央でガッツリ集まって現実に対処しなくちゃ・・・という流れが徐々に見えてきているし、あとはそれを丁寧に形にしていく事で、この混乱は最終的には乗り越えられるだろうと個人的には感じています。
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つづきはnoteにて(倉本圭造のひとりごとマガジン)。
編集部より:この記事は経営コンサルタント・経済思想家の倉本圭造氏のnote 2025年8月31日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は倉本圭造氏のnoteをご覧ください。