
歴史の流れを正しく見通すのは、難しい。
いま「二大政党制」がなぜ振るわないか、という記事を先月書いたが、若い人はそんなのそもそもあったんすか? と感じただろう。長い安倍晋三時代(2012-20)のあいだ、自民党に対抗できる規模の野党など、想像もできなかったからだ。
だけど平成のなかばまでは、「日本の二大政党化」こそが動かせない前提で、多党制の方が「好ましい」と述べることさえ、論壇では憚られた。まして二大政党化は幻で、「多党化の時代が来る」なんて言ったら、頭がオカシイと思われたろう。

でも、現におかしな予測の方があたってしまった場所に、ぼくたちはいる。で、そんなときこそ、ホントは歴史の出番だ。
世の中の論調が「だいたい正しい」と思えるなら、”いま” 言われていることを自明視して生きればいいので、歴史は要らない。でも、それだと前提が動いたときに対応できず、鮫島伝次郎なセンモンカのように恥の多い生涯を送ってしまう。

発売中の『Voice』10月号で、久しぶりに河野有理さんと対談した。11年前(!)の前回の対話を以下の拙著に収めたとおり、河野さんの本業は政治思想史なので、自ずと歴史の話になる。
タイトルはずばり、「自民党の命脈はいつ尽きていたか」。で、河野さんの発言にいわく――
河野 『読売新聞』の主筆などを務めた渡邉恒雄氏は1974年に発表した『保革連立政権論』(ダイヤモンド社)で、55年体制のもとで自民党の栄華が永遠に続くかのように語られているけれども、まもなく党が分裂して保守多党化時代が訪れると予見していました。
渡邉氏の予測は当時としては外れていましたが、じつはその間違え方は正しくて慧眼でした。実際、保守多党化の芽はその後も存在し続け、いま半世紀越しに本格的に花を開かせようとしているわけですから。
187-8頁(算用数字に改定)
強調と改行は引用者
「第1次多党化時代」と呼べる70年代にも、自民党が左右に割れるとの噂は絶えなかった。1979年には、国会の首班指名に大平正芳(現職)と福田赳夫の2人が立つ前代未聞の事態になり、野党がほぼ棄権した決選投票を、辛くも大平が制した。
このとき「もし構図が逆だったら」とは、長く囁かれた歴史のifだった。タカ派の福田に、リベラルな大平が反旗を翻す形だったら、野党がいっせいに大平に入れて自民党を分裂に追い込み、平成を待たずに政界再編が起きたかもしれない。

結局、自民党の分裂は「政治改革」をめぐる1993年まで持ちこされ、そこから99年の自公連立の成立まで、合従連衡の「第2次多党化時代」が続く。現在はその後の自民・民主の二大政党化の夢が破れた、3度目の多党化時代といえる。
で、両院で与党が過半数を割るいま、「自公」の枠組みを初めて作った小渕恵三首相(1998-2000)が参考になるとする、河野さんの指摘が面白かった。それを受けて、ぼくはこう言っている。

與那覇 政治ジャーナリストの後藤謙次氏も、大著『ドキュメント 平成政治史』(岩波書店)で、小渕氏の急逝に時代の転機を見ていました。1999年の「国旗・国歌法」など、本来なら「取扱注意」な法制を、あえて右寄りの色は出さずに他党とのすり合わせで通していった。
小泉・安倍氏のような自分の思想を前面に押し出すスタイルだったら、かえって大騒動になったはずです。
195頁
派閥の会長という他に個性のない小渕は、首相就任を「冷めたピザのようだ」と海外で酷評され、元首相の中曽根康弘にも「真空総理」と揶揄された。が、空っぽだからこそ「色んな人の助言が聴ける」とネタに変え、意外な粘りを見せる。
ケータイが普及する時期だったので、「ブッチホン」と銘打って識者に電話をかけまくり、「江藤淳文相」のようなタレント内閣も構想した(固辞されて挫折)。SNSの会話やYouTubeでの共演に応じてPRする、目下の政治家のハシリとも言える。

自虐ネタに応じる度量もあった。
朝日新聞の回顧記事より
『平成史』でも触れたけど、国旗国歌法のほか周辺事態法・通信傍受法・国民総背番号制など、冷戦下で激しい左右対立を生んだ法案をしれっと通す謎の技術も、空っぽさを自認し「暑苦しく押しつけない」キャラから来た面は大きかった。
後の小泉純一郎や安倍晋三にせよ、または民主党政権にせよ、俺様には「こんな思想があるぜ!」と誇示しながら、遠からず「実は空っぽなのでは?」と言われた例は多い。だったら最初から自覚があって、謙虚な方がいいかもしれない。

参政党の神谷宗幣代表も、既視感のあるフレーズのハリボテで「空疎」だとする批判は多い。でも中身のある政治家なんて前からいないわけで、空っぽさを強がって糊塗するか、すなおに認めるか、2つのスタイルの岐路が現在だろうか。
カラーが鮮明な「スゴいリーダー」で自民党復活! を夢見た小泉・安倍時代は、いま米国の共和党でトランプが暴れる路線の先駆けともいえる。3度目の正直に賭けて同じ道を行く以外の、選択肢も歴史に探す価値はある。
この他に戦後史はもちろん、戦前の昭和や冷戦下の海外まで参照しながら、河野さんと眼前の政局を幅広く議論した。先日の選挙の総決算として、ぜひ多くの読者を得てほしい。
参考記事:


(ヘッダーは「ブッチホン」で流行語大賞を受ける小渕首相。「真空総理」と異なり自称との解説が、左に映る。ユーキャンより)
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年9月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。







