黒坂岳央です。
世の中にはケンカ好きな人種がいる。
SNSを眺めているとよく見るのだが、彼らはコメント欄で積極的にケンカをふっかけてひたすら返信で口喧嘩をしたり、ちょっとした指摘に「開示請求してやる!」と憤る。
筆者が10代の頃、治安悪目の学校にいたので、先生に息巻いたり、他校の生徒と暴力沙汰になる生徒を多く見てきた。派遣社員の頃もオフィスで殴り合いのケンカを始めてしまう人がいたりと、一定数「誰とでもすぐにケンカを始めてしまう人」がいるのは肌感覚で感じている。
彼らの思考、行動を反面教師に言語化を試みたい。
Moor Studio/iStock
ケンカが娯楽化している
彼ら特有の思考は「戦いが娯楽化している」ということだ。
筆者を含め、普通の人にとって「争い」は避けたいものである。ところが彼らを見ていると、積極的に小さな火種に油を注いで大きくし、相手も応戦すると腕まくりをしてテンションを上げる。同じレベルと付き合う周囲も、ケンカを止めるどころか「面白そうなイベントが始まった!」と楽しんでノーリスクな立場の観客になる。
彼らにとっては戦いが自己承認の手段であり、日常の暇つぶしであり、また娯楽になっている。また、積極的にケンカを始める人でなくともSNSで問題が起きたら喜んでリンチに参加する、という人もいる。こういう一派もケンカ好きな人種と言える。
彼らはやりたいことがない
多くの人にとってケンカは百害あって一利なしの活動である。時間は奪われ、感情はすり減り、人間関係は悪化する。損ばかりで得るものがない「コスト」と理解しているから、面倒に巻き込まれないようスルーする。
筆者も争いは嫌なので、課題はできるだけ平和的に解決しようとするし、揉め事になりそうな相手だと感じたら静かに距離を取る。
積極的に喧嘩をする人、SNSで嬉々としてリンチに加わる人たちは「人生でやりたいこと」がないのだと思う。
もしも人生でやりたいことがあれば、赤の他人との争いに割く余裕などないはずだ。学びたいこと、挑戦したいこと、守りたいものがある人間にとって、ケンカはコストでしかない。忙しい人ほど戦わない。
裏を返せば人生で何もやりたいことがなく、落ちるところまで落ちたら、誰しもケンカやリンチに加わるインセンティブが生まれるということだ。争いはお金を使わず、時間があれば刺激的に感じられるエンタメだからである。
普通の人はそうした刺激的な争いをアクション映画やゲームで擬似的に楽しむが、刺激を求めてリアルでやってしまうのが彼らである。
暇すぎるとろくなことがない
これらの考察から言えることは、「人間、暇すぎるとろくなことがない」ということだ。忙しすぎる現代人にとって「時間の余裕を得たい」というのは悲願である。だからこそ、FIREを目指そうというムーブメントが先進国で起きている。
しかし、本当に暇で何もやることがなくなると人間の心は貧しくなる。誰しもネガティブに強く反応する機能性を有しているので、将来不安が強まり、暇を潰そうと人と争ったり、他人の不幸を願うようになる。
筆者の知っている人にも、FIRE後に世の中を見下したり、店員さんに怒鳴ったりするようになった人物がいる。元々温和な人でも、やることがなくなり、社会とのつながりが切れると狂うことがあるのだ。
自分は毎日、仕事や家事育児に忙しいので、争いや他人の不幸に目を向ける暇が無い。早朝から夜まであれこれ忙しいので倒れるように眠る。メンタルを日々の忙しさに救われていると感じる。おかしくなる引力から助けられているのだ。
◇
「労働は悪」などと言われる昨今だが、どんな人でもやりがいのある活動で忙しくしたり、ある程度強制力の働く労働で余計なことを考えないようにすることは必要だと思うのだ。
■最新刊絶賛発売中!