更科功「『種の起源』を読んだふりができる本」(ダイヤモンド社)は、古典を「いま読む」という行為の条件を静かに整える書物である。ダーウィンのテクストは、長大で、語義が歴史的に揺れ、版によって叙述の重心が移る。
原典に直行すれば、読者はしばしば途中で投げ出してしまうだろう。著者はそこで、それを断罪するのではなく、まず読者の立ち位置を確保することから始める。何が当時の最良の仮説で、何が今日の知見では修正を要するのか。その弁別のための座標軸を先に提示し、引用と解説を往復しながら、テクストの論理を読者の手に戻していく。
本書の価値は、ダーウィンを神話化も反神話化もしない姿勢にある。十九世紀のイギリスにおいて『種の起源』が神学書としての衣をまといながら、同時に科学書としての検証可能性を主張したという二重性を、著者は歴史的文脈の中に置き直す。

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最初の生命に「一次的原因」(神の創造)を措定し、その後の多様化を「二次的原因」(自然法則)に帰す枠組みは、当時の社会環境のなかでダーウィン自身の理論を普及するための戦略でもあった。信仰の変遷や各版の文言の差異に触れつつ、イデオロギー的な切断ではなく学説史としての連続を描く手つきは、実直で誠実である。
用語の整理もとてもわかりやすい。『種の起源』で提唱されている進化の仕組みは、「自然淘汰」「用不用」「生活条件の直接作用」と「習性」の4つの概念に集約される。
「自然淘汰」については、生存と繁殖の利得を区別しつつ、性淘汰を自然淘汰の内部に位置づけ直す。ここで重要なのは、著者が「進化=進歩」という近代的観念の惰性を退け、適応は状況依存の改良であって、価値の直線的上昇ではないことを、原文の該当箇所と現代理論の接点を示しながら丁寧に解く点である。
あわせて、「用不用」は当時に広く流通していた説明図式であってラマルク固有の発明ではないこと、今日の遺伝学的理解からは成立しないが学説史上の機能を持ったことを冷静に位置づける。「生活条件の直接作用」については、「環境への順応」一般を遺伝的変化の駆動機構とみなす立場が基本的に誤りであることを確認しつつ、例外的に観察される近縁現象の射程と限界を示す。もっとも混乱しやすい「習性」については、後天的行動と遺伝的変化の関係をめぐる19世紀的語法を明確化し、用不用・直接作用との重なりと差異を示図する。4概念の整理は、議論の踏み台として機能しているが、ここだけでも本書を読む価値がある。
そして、本書の構成は実践的である。『種の起源』の全体像を先に示し、章ごとに「なぜその論点が必要なのか」を短く告げてから引用部に入る。読者は引用の出自と射程を把握したうえで解説に接続できるので、理解の負荷が分散される。解説は冗談や比喩に逃げず、しかし専門用語の氾濫も避ける。必要なときには版ごとの差異(初版と第六版の文言変更など)を挙げ、テクストの側の揺れを可視化してから、現代の標準的理解に橋を架ける。これは、古典読解を「信仰告白」ではなく「検証可能な作業」として扱うための基本的配慮である。
「読んだふり」という挑発的な表題に反して、本書の志はまじめで実践的だ。人間の記憶が選択的である以上、「原典の全体」と「記憶に残る構造」は一致しない。だからこそ最初に「構造」を受け取り、その後で必要に応じて細部へ降りる手順は読者の理解を促進する。
著者はその順路を「王道」と呼ぶが、それは近道の礼賛ではない。むしろ、時間資源が限られた読者が誤った進化観を身につけずに済むように、躓きやすい段差に手すりを設ける作業である。読了後、読者は『種の起源』について不用意に断言しない慎みと、その内容を理解し語ることができる自信の両方を持つことができるだろう。
総じて、本書は古典をいまに生かすための「読解の制度設計」と言える。原典の背後にある19世紀の政治的状況を見渡しつつ、概念の骨格を提示し、今日の科学知と比較する。過度な敬意も、気軽な切り捨てもない。その中庸の態度ゆえに、『種の起源』への入口として信頼できる。まず本書で地図を受け取り、それから各自の速度で原典に向かえばよい。燦然と輝く科学の古典の前に立ちすくむ読者のための、落ち着いた案内である。
【目次】
第1章 飼育栽培における変異
第2章 自然状態における変異
第3章 生存闘争
第4章 自然淘汰
第5章 変異の法則
第6章 学説の難点
第7章 本能
第8章 雑種形成
第9章 地質学的記録の不完全さについて
第10章 生物の地質学的な移り変わりについて
第11章 地理的分布
第12章 地理的分布(続き)
第13章 生物同士の類縁性、形態学、発生学、痕跡器官
第14章 要約と結論







