Facebookを開くと、また募金の呼びかけ。Xには災害支援のリポスト依頼。LINEには「〇〇ちゃんを救う会」への協力要請。正直、もううんざりだ。
いや、待て。これを言うと人でなしみたいに思われるか。でも本音を言えば、みんなそう思ってるんじゃないか? 昨日、コンビニのレジ横の募金箱を素通りした自分を思い出す。100円くらい入れればいいのに、なぜか手が動かなかった。

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善意の大安売り時代
思えば昔は楽だった。町内会の募金、赤い羽根、歳末助け合い。年に3回くらい付き合えば、それで「いい人」でいられた。
今は違う。毎日毎日、世界中の不幸が押し寄せてくる。ウクライナの避難民、能登の被災者、アフリカの飢餓、絶滅危惧種のイルカ。全部大事だ。分かってる。でも、全部に反応してたら破産する。いや、その前に心が壊れる。
先週、会社の後輩が「SDGsバッジ付けないんですか?」と聞いてきた。「それ付けて何か変わるの?」と返したら、微妙な顔をされた。付けりゃいいのか? 1個500円のバッジで世界が救えるなら安いもんだ。
もっと腹立たしいのは、SNSの善意アピール合戦だ。
「〇〇に寄付しました!」の投稿に500いいね。「ボランティア行ってきました♪」に1000いいね。写真付きで、満面の笑み。被災地で自撮りって、どうなんだ。
あ、これも言っちゃいけないやつか。でも言わせてもらう。お前ら、本当に困ってる人のこと考えてるのか? それともいいね稼ぎか?
大学時代の友人なんて、月1でチャリティイベントの告知してる。「みんなで世界を変えよう!」だってさ。お前、学生時代はサボって合コン三昧だったじゃないか。急に目覚めたのか、それとも意識高い系に転向したのか。
この前、某大手企業が「カーボンニュートラル実現のため、社員一人一人ができること」とか言い出した。お前らが垂れ流してるCO2の量知ってるか?
社員にマイボトル持たせる前に、自社工場どうにかしろよ。
感情労働という地獄
そもそも、今の社会、感情使いすぎなんだよ。
職場では「チームワーク」「思いやり」「共感力」。接客業なら「笑顔」「おもてなし」「感動のサービス」。家に帰れば「家族の絆」「子供への愛情」「親の介護」。
で、その上に「社会貢献」「ボランティア精神」「地球への優しさ」を乗せろと? 無理だって。感情のメモリ、とっくにオーバーフローしてる。
昨日なんか、スーパーのレジで「レジ袋いりません」って言っただけで「環境に配慮いただきありがとうございます!」って大げさに感謝された。いや、3円ケチっただけなんだけど。
話がそれた。いや、そもそも何の話してたっけ。ああ、善意疲れか。
実は先月、ふらっと献血に行った。誰にも言ってない。SNSにも上げてない。なんとなく、時間があったから。看護師さんに「ありがとうございます」って言われて、それで十分だった。
でも今の世の中、黙って善行すると「意識が低い」と言われる。アピールすると「偽善者」と言われる。どっちにしろ詰んでる。
で、どうすればいいかって? 知らん。
システムを変える? 誰が? どうやって? 個人の意識を高める? もう限界でしょ。善意を諦める? それはそれで寂しい。
ただ一つ言えるのは、善意の押し売りはやめてくれ、ってこと。
こっちはこっちのペースでやるから。月100円の募金でも、年1回のボランティアでも、それでいいじゃないか。
あ、そういえば、さっき素通りしたコンビニの募金箱。帰りに100円入れとくか。
いや、やっぱりやめとく。……やっぱり入れるか。
ダメだ、この優柔不断。これも善意疲れの症状か。もう、どうでもいいや。
尾藤 克之(コラムニスト、著述家)
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