黒坂岳央です。
「この人はヤバいかもしれない」というシグナルはいろんな場所にいろんな形で現れる。
人によって様々だが、筆者は常々考えているものとして「日本語がおかしい人はリスキー」である。
「日本語がおかしい」とは単なる誤字脱字の類ではない。ちょっとしたミスは自分も含めて誰でもする。そうではなく、その人独特の世界観を表すものと考えてもらえばいい。
扇動的なタイトルではあるが、人を見下す意図はない。人を地雷と呼称する呼び方も本来正しいものではないし、筆者も完全にできた人間とは程遠い自己認識がある。
本稿はあくまで社会学の一環として書かれた。そして今回の対象者を明らかにしておこう。子供や外国人は除き、成人した日本語ネイティブという前提で読み進めてもらいたい。
LorenzoT81/iStock
「おかしい日本語」とは?
筆者が考える「おかしい日本語」とは以下のような特徴を指す。
- 句読点や改行がまったくなく、長文が感情的に続く。
- まったく質問に答えず、自分の言いたいことだけを延々と書き連ねる。
- 一読しても要点が分からず、二度三度読んでも本題が見えない。
- 絵文字の割合が多すぎる
- 独特の世界観を何の補足説明もなく、感情的に送ってくる。
- 全体的に被害者意識が非常に強い。
これらの本質は「相手とのキャッチボールが成立しない」点にある。
コミュニケーションとはキャッチボールであり、本来、投げたボールを相手が受け取り、再び返す行為だ。しかしこれらの日本語は、一方的にボールを投げつけるだけで、相手に届くことをまるで考慮していない。会話できない相手というシグナルそのものだ。だから関わることを検討すべき「ヤバい人」なのである。
コミュニケーションを取ることが不可能な相手の思考や行動は、乱れた日本語に現れる。
彼らとの意思疎通は不可能
筆者は記事や動画を出している立場なので、他の人よりも多く日本語がバグった地雷とやり取りしてきた。
昔、自分はよく物を知らなかったので、彼らに丁寧に、わかりやすく、真摯にコミュニケーションを試みたこともあった。基本的にコミュニケーション齟齬は発信者側に責任があるという考えを持っているからだ。だが今はやめた。こうした人物との意思疎通は不可能であり、まるで宇宙人と交信をするような感覚を覚える。
彼らは言いたいことを、自分が言いたい形でしか言わない。そのため、意図を理解するために二度三度と読み返し、推測や補完を余儀なくされる。これ自体が時間の浪費であり、相手に対して「こちらの時間を尊重していない」というシグナルになる。
それで最後はわかりあえるならまだ救われる。だが、こうした人物は相手を理解しようとする姿勢が皆無なので、どれだけやり取りしてもまったく分かりあえない。むしろ言葉を重ねるほどドンドン距離が開いていく。
「ここはこういう理解でよろしいでしょうか?」という確認作業に対してでさえ、唐突な長い自分語り、独特な思想の爆発、被害者意識の訴えなどで返ってくる。こうなるともうお手上げだ。ビジネス取引はおろか、雑談さえままならない。
コンビニの年齢確認ボタンを押す、という作業に激昂するおかしな人がいるが、このレベルがかわいく見えるほどだ。行動はおかしいが、心理は理解できなくはない。
本当の地雷はそんなレベルではない。具体例として筆者の親族に一人地雷がいる。親戚中が集まって昔話で盛り上がっているところに、いきなりスピリチュアル全開の「宇宙の波動」みたいな動画を大音量で流し始め、「みんなでこれを見ましょう」と促してくる。
この人物にどんな話題を振ってもスピリチュアル、詐欺ビジネス、宗教の話に強制的に誘導してくる。こういう人には一切会話が通じない。
昨今、境界知能が話題だがこの人物、意外なほど高学歴で良い大学を出ている。だから学歴や経歴が優れていてもそれだけでは判断できないのだ。
彼らは距離感もバグっている
彼らは日本語が不得手というだけでなく、人間社会における距離感もバグっている。一般常識として、初対面の相手とは「はじめまして」「こんにちは」と挨拶から入る。これはあらゆる国においても共通しており、日本独自文化というわけでもない。
ところが彼らは初対面でいきなりこちらの懐の中に入る。たとえると、初対面の人とは玄関口で話をするのが普通という場面で、いきなり土足で家の中に入ってくるような非常識さがある。
「そんな人存在するのか?」と思う人もいるだろうが、SNSにはポロポロ観測できるのが恐ろしい。まっとうな仕事をするような人、コミュニティで空気を読んで平和的に暮らす人には一生リアルではかかわらないであろうヤバい人が、SNSにはゴロゴロいる。
こちらが平和に暮らしていると、彼らの方から玄関を蹴破って中に入ってくる。そうした時、平和的に、常識的に彼らの非礼を訴えて分かり合おうとしないことだ。彼らは宇宙人であり、文字通り言葉が通じない。単語は分かっても、文脈はまったく伝わらない。まともでない人にまともな対応をすると精神がやられやすい。それを知らずにSNSを使うと自分を責めることになり、結果として病んでしまうのだ。
自分が地雷にならないために
いろんな角度から地雷について解説をしたが、読者に訴えたいのは「自分自身が地雷にならないように」ということだ。
まともでない人はメタ認知がゼロで、歪みに歪みきった自分独特の世界で生きている。だから自分で気づくことは極めて難しい。
だが完全にバグっていなくても、軽いバグを抱えた人はそれなりにいる。そこで気づきを得るためのチェックリストを載せておきたい。
- 初対面の人にはリアルでもネットでも挨拶をする。
- 結論はわかりやすく、早めに
- 信頼関係が出来る前のメッセージは長すぎない
- 聞かれたことに答える
- 相手に迷惑なほど多く質問しすぎない
- 句読点と改行を入れて読みやすく
この型を守るだけで、読みやすさは格段に上がる。次に初対面の誰かにメッセージを送る前に、このリストをAIにかけて「自分の書いた文章はこれらのリストをクリアしていますか?」と聞いてみればいい。ダメ出しが出たら次からその部分を気をつければ改善できる。
◇
「お前は言葉づかいだけで人を判断するのか。人は内面で判断されるべきだ」という反論が想定される。それ自体は正しい指摘だ。しかし、言葉とは思考が外部化したものであり、文章とはその人の内面を可視化したものである。つまり言葉で判断するのは、思考そのもので判断しているのと同じだ。
だからこそ日本語の乱れは分かりやすい地雷だ。文章の質はその人の人間性を全開に表す。大人の日本語ネイティブでありながら、日本語はバグっているが内面が常識的な人は皆無である。
■最新刊絶賛発売中!