創価学会という存在は、日本社会において長らく「巨大でありながら不可解」な存在であり続けてきた。選挙動員力で群を抜き、公明党を通じて政権に食い込む一方、その閉鎖性やカルト的と批判される布教方法には根強い不信感がある。一般の国民にとっては距離を置きたい存在でありながら、教科書やテレビはほとんど触れず、研究書も限られてきた。この“不可視化”こそ、創価学会の最大の特徴と問題点である。
その点で、八幡和郎『検証 令和の創価学会』(小学館)は、創価学会と公明党という「最大なのに最も知られていない存在」を、賛美や断罪ではなく、事実と制度から丹念に描き出した労作である。著者はまず、その「不可視化の構造」を解明し、日蓮系宗派としての位置づけから戦後の政教分離をめぐる模索期まで、創価学会を歴史的に整理する。それを制度史として正面から扱った点が本書の強みだろう。
公明党の役割についても、「平和の党」だけでなく税・社保・下請け取引・高額療養費といった“ミクロの制度補修”のプレイヤーとして配置し直すところに本書の独自の視点がある。政権が右に切れたときのブレーキになるという評価では不十分で、与党内部のコストと便益の配分調整を回す面を評価すべきで、地味ながら家計や中小企業に効く政策を一つ一つ積み上げてきた実績を具体的に示す。こうした「かゆいところに手が届く」仕事こそ、連立の中で公明党が果たしてきた現実的な機能だと著者は評価する。
斉藤鉄夫公明党代表 公明党HPより
選挙分析も冷静だ。2024年総選挙や2025年都議選・参院選で公明党は後退したが、それを単純に「凋落」と片づけない。大阪で維新が過半数を制した地場政治の力学、非公認候補への推薦をめぐる混乱、自民党裏金問題への有権者の「お灸」など、複合要因を具体的に示し、比例得票率の推移で実態を測る。さらに、れいわ新選組、日本保守党、参政党といったポピュリストの台頭を、大衆迎合主義やMMT的財政拡張に偏る危うさとして批判する一方、「怒れる国民の声」への共感を出発点に、費用対効果に裏付けた政策提案で吸収すべきだと説く。現実志向の公明党こそ、短く響く言葉とSNSを活用してこの領域に踏み出せ、と提案するあたりは実務家らしい。
外交・安全保障に関しても、単なる「平和」スローガンで終わらない。核廃絶やAI兵器規制、北東アジア安全保障対話機構の創設など、段階的な国際制度設計として構想する。創価学会の「平和ほど尊きものはない」という理念を、現実の外交手順に落とし込む視点が光る。
創価学会の会員像についても、礼儀正しさ、読書習慣、教育熱心さ、地域活動や環境意識の高さなど、具体的な行動特性で記述する。宗教的優位を誇るのではなく、外部が評価できる社会的資質として描くため、押し付けがましさがない。公明党議員が「良い人ばかり」でテレビ映えするスターが少ないという弱点も率直に認め、外部専門家の登用や小選挙区での共同擁立、代表選挙のあり方など組織改革を提案する。
全体を通じて著者は、創価学会・公明党を「好きか嫌いか」でなく、公共選択の視点で読み解く。不可視化された最大宗教を制度・事実に基づいて理解し、日本政治をポピュリズムの荒波に埋もれさせないための実務的な提案が随所に見られる。
創価学会や公明党に批判的な人こそ、本書を通じて初めて冷静な議論の土台に立てるだろう。
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序章
日本人が知ろうとしない創価学会と公明党
第一章
自公連立の歩みと評価
第二章
池田大作というカリスマを客観的に評価する
第三章
釈尊から池田大作まで二千数百年の軌跡
第四章
公明党と創価学会の「読む年表」
第五章
現代世界における宗教と政治から考える「創価学会と公明党」