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欧米の「Conservative(保守)」とは、「小さな政府・個人の自由・市場の自律」を重んじる思想であり、秩序を守るために変化を恐れず、政府の過干渉を批判する存在である。
これに対し、日本の「保守」はまったく異なり、国家・伝統・秩序・同調を重んじ、“体制を守ること”そのものを目的とする政治的姿勢へと変質している。
したがって、欧米の「保守」が「国家の縮小」を唱えるのに対し、日本の保守は「国家の拡大」を好む傾向にある。ここに、規制緩和への冷淡さの根源がある。
これがアベノミクスの「第3の矢=成長戦略」が最も機能しなかった核心部分であり、特に自動車・電機など日本の基幹製造業は、世界的競争で「技術では勝ち、制度で負ける」要因となっている。
日本の保守が規制緩和を嫌う三つの理由
1. 官僚依存体制
日本の保守政治は、政策立案を官僚に委ねる構造の上に成り立っている。官僚機構が作り出した制度を「正しいもの」と前提し、それを安定的に運用することが政治家の“仕事”とされている。したがって、官僚の権限を削ぐような規制緩和は、体制内部で嫌われるテーマである。
2. 支持基盤が既得権層
自民党を支える地方組織の多くは、建設業・農業・医療・電力・公務員など、規制の恩恵を受ける産業・団体である。規制緩和はこれらの票田の利益を直撃するため、政治家にとって“票を失う改革”であり、触れること自体が政治的リスクとなる。
3. 「混乱=悪」という文化的価値観
日本社会では、「秩序・安定・和」が至上価値とされる。このため、市場原理や競争導入による短期的混乱を容認できない。サッチャーやレーガンのように「痛みを伴う改革」を主導する政治家は、“非情”と見なされやすく、社会的支持を得にくい。
日本の保守は、思想的保守ではなく体制防衛的右翼に近い。彼らにとっての「保守」は、自由や個人の尊厳を守る思想ではなく、国家・官僚・既存組織の権限を守る行為そのものである。
保守が右翼に転換したアベノミクスを検討する
第1の矢:大胆な金融政策(量的・質的緩和)
成果:円安と株高(2013〜2015年)を実現し、短期的に企業収益を押し上げ、失業率も改善した。一定の「デフレマインド緩和」には成功した。
限界:物価上昇は主に円安による輸入物価高であり、実質賃金は低迷した。日銀の国債保有が膨張し、出口戦略(利上げ・正常化)が困難化した。金融緩和の恩恵は大企業・資産保有層に偏り、格差が拡大した。
第2の矢:機動的な財政政策(公共事業中心)
成果:東日本大震災の復興や老朽インフラ整備には一定の効果があった。景気後退を食い止める「下支え」にはなった。
限界:財政支出が恒常化し、国債残高はGDP比で260%を超過した。投資の多くが一過性であり、生産性向上や構造改革には結びつかなかった。高齢化による社会保障費の膨張が、財政余力を圧迫した。
第3の矢:成長戦略(構造改革)
成果:規制緩和・企業統治改革・女性活躍推進など「方向性」や「看板」は掲げたが、実現はしなかった。
限界:具体的成果は乏しく、企業投資や賃上げへの波及は限定的であった。既得権構造(農業、医療、労働市場など)の抵抗で実行せず、「成長戦略」というより「改革宣言」で終わった印象である。
詳細に検討すると、成果と呼べるものの多くは円安効果という他力に依存したものであり、短期的な心理効果や金融市場の安定には寄与したが、潜在成長率の底上げや賃金上昇にはつながらなかった。その結果、「量的緩和頼みの不均衡経済」に陥り、デフレ脱却ではなく低成長の固定化が現実となった。
歴史的背景:改革派保守の絶滅
明治の自由民権運動や戦後の吉田ドクトリン、中曽根民営化など、かつての保守には「秩序の中で改革する」流れが存在した。しかし平成以降、リスクを避ける保守が主流となり、制度改革を恐れる「惰性の政治」が定着した。これにより、日本の保守は守旧派としての性格を強め、欧米の保守とは思想的に袂を分かった。
特に、バブル崩壊後の長期停滞期において、官僚依存型の保守政治は「危機管理能力」ではなく「延命能力」に特化していった。新自由主義を悪とみなし、規制緩和を“国を壊す行為”と断じる言説が保守論壇を支配した。結果として、改革的な思想をもつ政治家や学者は周縁化され、保守は「体制を守ること自体が目的」という閉鎖的構造に陥った。
結論:改革なき保守はもはや保守ではない
保守とは本来、「変化を恐れずに秩序を守る思想」である。現状維持のために変化を拒むのは、保守ではなく惰性の権力主義である。日本の保守がこのまま右翼的体制維持主義に留まる限り、政治は国民の創造力と自立心を窒息させ続けるであろう。
時代に応じて制度を変革する勇気を捨て、規制緩和を拒む保守は、もはや「国を守る者」ではなく、「国の成長を妨げる者」と化している。政治面でも過去思考と仮想敵国との戦いに熱中し、米国依存に終始する限り、日本は世界の孤児への道を歩むほかない。