9月末の国連総会前後、英国、カナダ、フランス、ポルトガルなどが続々とパレスチナを国家承認した。現時点で、国連193カ国の中でパレスチナを国家承認したのは157カ国。国連安保理常任理事国5カ国(中国、フランス、ロシア、英国、米国)の中で、承認していないのは米国だけだ。
今回の国家承認には、パレスチナ自治区ガザでのイスラエルによる軍事攻撃が人道危機のレベルにまで達していることが大きな要素となったと言われている。特に、「イスラエルの自衛権」を支持してきた英国などがパレスチナの国家承認表明に踏み切ったことの意味は大きい。たとえ即時停戦に結びつかなくても、である。
イスラエル支持のアメリカがすぐにその方針を変える見込みは今のところはないようだ。
アメリカは、イスラエル建国(1948年)時に大きな役割を果たした国だ。
19世紀後半、欧州での迫害を逃れたユダヤ人は、アメリカという新大陸で経済的基盤と政治的影響力を築き上げ、その蓄積された財力・政治力を「シオニズム運動」とイスラエル建国に集中的に投入した。
民間レベルでの組織的募金活動と政府レベルでの外交支援が相まって、1948年、イスラエルの建国が実現する。その後はアメリカ政府による戦略的援助がイスラエルの生存と発展を支え続けてきた。
アメリカとイスラエルの関係をおさらいしてみたい。
2025年10月5日 ホワイトハウスで会談したトランプ大統領とネタニヤフ首相 同首相インスタグラムより
シオニズムの起源
19世紀後半の欧州、ユダヤ人に対する組織的迫害が激化していた。特にロシア帝国圏でのポグロム(暴動による虐殺)が相次ぎ、多くのユダヤ人が安住の地を求めるようになった。
この状況下で、1897年、ハンガリー(当時はハプスブルク帝国の一部)・ブダペスト生まれのユダヤ人ジャーナリスト、テオドール・ヘルツルがスイスのバーゼルで第一回シオニスト会議(ユダヤ人代表会議)を開催し、「ユダヤ人国家建設」を公式目標として掲げた。
「シオニスト」とはユダヤ民族がパレスチナに民族的な国家を再建しようという「シオニズム運動」を信奉し、実現のために活動する人を指す。シオニズムの思想は「シオン」(エルサレムのシオンの丘)に由来する。19世紀末に欧州で広がった反ユダヤ主義に対抗する形でユダヤ民族主義運動として誕生した。
第一次世界大戦と英国のバルフォア宣言
1914年に第1次大戦が勃発するが、この時、パレスチナの地はオスマン帝国の領地だった。
大戦末期、英国がパレスチナに侵攻する。軍事占領から本格的な支配に発展していくが、英国は戦略的必要から中東政策において矛盾した3つの約束を並行して行った。
- フセイン=マクマホン書簡(1915年):メッカのシャリーフ・フセインに対するアラブ独立支援の約束
- サイクス=ピコ協定(1916年):フランス、ロシアとの中東分割統治の秘密協定
- バルフォア宣言(1917年11月):バルフォア外相が英国に住むユダヤ人実業家ウォルター・ロスチャイルド卿に書簡を送り、「パレスチナにユダヤ人の民族的郷土を建設する」ことを支持
バルフォア宣言はシオニズム運動に国際的な正当性を与えたという面で、画期的な出来事となった。
アメリカのウィルソン大統領も民族自決の理念からこれを好意的に受け止めた。
この時点でのアメリカの関与は限定的だったが、シオニズムへの理解を示したことが後の展開に大きな影響を与えていく。
戦間期(1920–30年代)、アメリカで組織的な募金活動
1922年、パレスチナは正式に国際連盟の委任統治領となり、英国が統治することになった。
この時期、パレスチナには東欧や中欧からのユダヤ人移民が着実に増加し、土地購入と農業開発が進んだ。これに伴ってアラブ住民との対立も深刻化し、1936–39年には大規模なアラブ反乱が発生した。英当局は反乱鎮圧後、移民制限を強化せざるを得なくなった。
一方、アメリカ国内では20世紀初頭から東欧系ユダヤ人の大量移民により、ユダヤ系社会が急速に拡大していた。特に最高裁判事ルイス・ブランダイスは「シオニズムはアメリカの民主主義理念と完全に両立する」と主張し、アメリカのユダヤ人コミュニティにシオニズム支持を広めた。
この時期から組織的な募金活動も本格化した。「ユナイテッド・パレスチナ・アピール」などの団体を通じて、パレスチナの土地購入資金、農業開発費、移民支援費が大量に集められた。これらの資金は後のイスラエル建国の経済基盤となった。
第二次世界大戦とホロコーストの衝撃
ナチス・ドイツによるホロコースト(約600万人のユダヤ人が組織的に殺害された)は、シオニズム運動に決定的な道徳的正当性を与えた。
欧州のユダヤ人社会は壊滅し、生存者たちは安全な避難先としてパレスチナを切望した。しかし、英国はアラブ住民の反発を恐れて移民制限政策を継続し、これが米英間に深刻な外交摩擦を生じさせて行く。
アメリカ国内では、ユダヤ系団体による救援活動が大規模に展開された。「ユナイテッド・ジューウィッシュ・アピール」をはじめとする団体は緊急募金キャンペーンを実施し、難民救済とパレスチナ移民支援のために巨額の資金を集めた。ラビ・アバ・ヒレル・シルバーやナハム・ゴールドマンらの活動家は、議会や世論に対する組織的な働きかけを行い、シオニズム支持の政治的基盤を築いた。
トルーマン大統領も、ホロコーストの悲劇と強力な国内世論に押され、次第にユダヤ人国家建設支持の立場を鮮明にしていった。
国連分割決議とイスラエル建国(1947–48年)
1947年11月29日、国連総会はパレスチナをユダヤ国家、アラブ国家、エルサレム国際管理区域に分割する歴史的決議を採択した。アメリカは積極的にこの決議を支持し、国連加盟国への組織的な働きかけを行って採択実現に貢献した。
翌1948年5月14日、ダヴィド・ベン=グリオンがテルアビブでイスラエル独立を宣言すると、トルーマン大統領はすぐに「事実上の承認」を与え、世界最初の承認国となった。この迅速な承認は国際社会に大きな衝撃を与えた。
この過程で、アメリカのユダヤ系社会は驚異的な募金活動を展開した。1948年だけで約1.5億ドル(現在価値で約20億ドル、約2956億円)という巨額の資金を集め、これが新生イスラエルの移民受け入れ、住宅建設、食糧供給、さらには非公式ルートでの武器購入に充てられた。この民間資金が第一次中東戦争を戦い抜く生命線となった。
建国後のアメリカ支援の発展
建国後のアメリカ支援は段階的に拡大していった。
1950年代は主に経済援助と人道支援が中心で、総額約5億ドル規模。軍事支援は限定的だったが、1960年代のケネディ政権(1961年-1963年)以降、本格的な武器供与が開始された。イスラエルは中東における「反ソ連の砦」として戦略的重要性が認識されるようになった。
1973年、エジプトを中心とするアラブ軍とイスラエル軍が戦った第4次中東戦争では、米軍による大規模空輸作戦「ニッケル・グラス作戦」が実施され、イスラエルの存続を保証する強固な姿勢が示された。
1980年代以降は2国間の軍事・経済援助が制度化され、年間数十億ドル規模の支援が恒常化した。現在に至るまで、イスラエルはアメリカの最重要同盟国の一つとして位置づけられている。
なぜ支援し続けるのか
以下の理由が考えられる。
戦略的価値:冷戦期にはソ連への対抗戦略の一環として、冷戦後は中東における唯一の安定した親米民主主義国家として、軍事・地政学的価値が極めて高い。
国内政治的要因:アメリカのユダヤ系社会(約600万人)の経済力と政治組織力、AIPAC(アメリカ・イスラエル公共問題委員会)などの強力なロビー組織の影響、さらに福音派キリスト教徒(約8000万人)の宗教的なイスラエル支持――聖書に基づき「ユダヤ人の帰還とイスラエルの存続は神の計画」と信じる信仰に根ざす――が、アメリカの対イスラエル政策を支える政治的基盤となっている。
道義的・文化的結びつき:ホロコーストの歴史的記憶、民主主義・人権という共通価値観、ハイテク・軍事技術分野での互恵的協力関係が支援の正当化根拠となっている。
イスラエル建国と存続の歴史において、アメリカは資金供給、外交承認、軍事支援のすべての局面で決定的な役割を果たした。この特殊な関係は現在も継続しており、中東情勢を理解する上で欠かすことのできない要素となった。
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編集部より:この記事は、在英ジャーナリスト小林恭子氏のブログ「英国メディア・ウオッチ」2025年10月6日の記事を転載しました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、「英国メディア・ウオッチ」をご覧ください。