「やめ時」を誤る社長たち:感情に支配される経営判断の罠

経営コンサルタントの鍵政達也です。

「もう少しやれば黒字に戻せる」──そう信じ続けた結果、赤字が膨らむ。

撤退を遅らせる社長の多くは、冷静な数字よりも感情で判断をしてしまいます。

「やめ時」を見誤る心理の構造と、経営を守るために必要な視点を整理します。

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「もう少し頑張れば」は危険なサイン

飲食店や新規事業など、最初の数か月は「様子を見る」期間だと言いながら、半年、一年と赤字が続いても「まだやれる」「立て直せる」と考えてしまう。そんな社長は少なくありません。

もちろん、簡単に諦めるべきではありません。やるべきことをきちんと出来ていないということも多くあります。

しかし、問題は「根拠のない楽観」で判断を誤ること。業績が悪化しても、努力量や熱意で挽回できると信じてしまうと、冷静な損益分析よりも感情が意思決定を支配します。

埋没費用(サンクコスト)という心理的な罠

撤退をためらう理由の一つが「ここまで投資したのだから」という感情です。

内装費、広告費、採用コストなど、すでに支払ったお金を「取り返そう」と考えてしまう。

いわゆる「埋没費用(サンクコスト)」の罠です。

経営において重要なのはこれから使う資源を回収できるかであり、過去の投資がどれだけ大きくても、未来にリターンが見込めないなら撤退すべきです。

「もったいない」と感じた瞬間こそ、最も危険な心理状態だといえます。

「責任感」が決断を遅らせる

もう一つの大きな壁が、責任感の強さです。

「この店舗を閉じたら社員はどうなるか」
「取引先に迷惑をかけたくない」

そんな思いが社長の判断を鈍らせます。

もちろん、責任を持つことは経営者として重要です。

しかし、それが「延命策の言い訳」になっていないかを振り返る必要があります。撤退を遅らせた結果、資金繰りが悪化し、より多くの人に迷惑をかけてしまうケースは後を絶ちません。

撤退とは、切り捨てではなく「会社全体を守るための決断」なのです。

プライドと世間体の壁

社長にとって撤退は「自分の判断ミスを認めること」に等しい場面もあります。

「失敗した社長だと思われたくない」「社員の前で格好がつかない」──。そうしたプライドが、合理的な判断を遠ざけます。

しかし、早めに撤退を決断した社長は、金融機関や社員から「冷静な経営判断ができる人」と評価されることも多いものです。

誤りを引きずるよりも、早く方向を変えたほうが信頼は守られる。

むしろ「引き際の潔さ」こそ、経営者の資質が問われる瞬間です。

「現場の声」に引きずられる危うさ

現場からは「メニューを変えれば」「キャンペーンを打てば」と前向きな提案が出るものです。それらは貴重な意見である一方、感情に流されると判断を誤ります。

重要なのは、数字で現実を直視すること。

毎月100万円の赤字が続く店舗で、黒字転換するにはどのくらい売上を伸ばす必要があるのか。

仮に粗利率40%なら、赤字100万円を埋めるためには月250万円の売上増が必要です。それを実現するには現在の2倍の集客が必要かもしれません。

現実的にそれが小手先の改善策で可能かどうか——。

冷静なシミュレーションをすることで、感情から一歩離れた判断ができるようになります。

「見える化」が決断を早める

赤字を続けた場合の影響を年間損失として見える化することは、経営者にとって強い現実感をもたらします。

毎月100万円の赤字 → 年間1,200万円の損失
毎月200万円の赤字 → 年間2,400万円の損失

この「見える数字」は、撤退判断を先送りする怖さを教えてくれます。

資金繰りの悪化だけでなく、本来投資すべき事業や人材に資源を回せなくなるという機会損失も生まれます。

損失を「数字で可視化」することは、経営の冷静さを取り戻す第一歩です。

判断を早めるための3つの工夫

撤退を「勘」ではなく「仕組み」で判断できるようにするには、次の3つが有効です。

1.撤退基準を事前に定める
赤字が○期続いたら撤退、客数が一定以下なら撤退など、定量ルールを設定する。

2.外部視点を入れる
顧問やコンサルなど第三者の意見を取り入れることで、主観の歪みを防ぐ。

3.撤退後のシナリオを描く
スタッフの異動先、設備の転用先、取引先への説明など、「撤退後の未来像」を具体的にしておく。

こうした準備があれば、いざという時も冷静に判断できます。

経営と人生に共通する「やめる勇気」

撤退判断は経営に限らず、個人の選択にも通じます。

仕事、投資、人間関係──どれも「続ける勇気」と同じくらい、「やめる勇気」が問われる場面があります。

感情に流されず、未来を基準に判断するという点では、経営も人生も本質は同じです。

「終わらせること」は負けではなく、次に進むための条件です。

おわりに

赤字事業の撤退は、売上を伸ばすことと同じくらい重要な経営判断です。

そこには、サンクコストの呪縛、責任感、プライド、現場への期待──多くの心理的障壁が存在します。

しかし感情ではなく数字とシナリオで判断すれば、撤退は未来への一手となります。

撤退は終わりではなく、次に進むための決断。

経営でも人生でも、「やめ時」を見誤らない力が、成長の持続性を決めるのです。