すぐに終らせる、という侵略者の当初の思惑は外れて、ウクライナの戦争は長期化の様相を呈している。毎日のように、子供を含めた多くの犠牲者が出ている。
この現実を前にして学者、研究者は悩み続ける。およそ学問というものは人類の幸福と世界の平和のためにあるのだから、“なんとかならないの”という思いを共有している。特に社会科学に携わる人々にはその思いが強い。自分達が属する学問分野が戦争を止める道筋を示せないか?
本書はそんなやむにやまれぬ思いから書かれたのだろう。著者は対照的な二人である。一人は国際関係論を専門とする大学人。もう一人は弁護士を本業としながら法律・経済分野の書物を多数著し、小説も書いている、まさに多才の人だ。
著者の一人、上杉が書いているが、廣田は“自分の父よりも年上”。分野の違いに加えて、これだけの年齢差の二人の共著というのも珍しい。
「和平学入門——戦争を止める13の法則」(筑摩書房 2025年)
■
ワタナベ君:教授のお勧めなので早速読みました。共著なのですがとても読み易い。分担して書いていますが内容が融合していて、しっかりと一冊の本になっています。
教授:分担は上杉が国際関係論からのアプローチ。廣田が弁護士生活で培った紛争解決の経験からの帰納法的なアプローチ。
ワタナベ君:ひとつの山頂をまったく違う方角からめざす。そのひとつの山頂が、ちょうど富士山のように分かり易く空に突き出している。なにしろ世界平和という頂きですから。読みたくなりますね。
教授:これまで紛争解決学という本はたくさん書かれてきた。また、平和についての本も多い。でも“和平”のために書かれたものは知る限り、少ない。廣田さんも平和学と和平学は違うと言っている。前者はカントがそうだけど、理念的に平和な社会を想定して、そこに至るために私たちがするべきことを探求する。これに対して和平学は、現在の戦争状態からどうやって脱して平和を実現するかを探る。だから、まさに実践の科学だ。
ワタナベ君:紛争解決のためになんらかの論理を発見しようという試みは各方面の大家がいろいろ試みています。でも、その方法論は、いわばマクロ的です。
そもそも紛争とは何か、どんな枠組みの中で発生するのか、それを引き起こした国際情勢は何か、当事国の政治情勢がどう影響したか等を研究しています。これはこれで必要です。
教授:廣田さんもこの方向を重要視している。だけどそこに限界も感じていた。国際関係論だけでは「実践の科学」にならないと。前著(『紛争解決学』1993年、信山社)を書いた時からそう思っていたようだ。国際関係論の知見に、自分の経験から導き出した“法則”を書き加え頂上をめざすというわけだ。
ワタナベ君:第2章は国際関係論、第3章がいわゆるミクロ視点で書かれ、ここに13の和平づくりの“法則”が示されています。これが本のサブタイトルになっています。
教授:法則といっても自然科学のように定理化したり、数式で示されたものではなく、こうすれば大抵はこうなる、という道標のようなものだね。法則といいたい気持ちはわかります。
ワタナベ君:廣田さんは東大法学部でかの民法の大家、『紛争解決と法』(1972年、岩波書店)を著した川島武宜教授の数少ないゼミ生で、鉄鋼メーカーに就職してから独学で司法試験に合格し弁護士になる。法曹人生といっても一度は場外に出ています。
教授:弁護士の主戦場は裁判・法廷と思いがち。私達の世代素人はテレビでペリーメイスン(古い!)なんか見てたからそう思うのだけど、実は違うのだ。裁判所の外に活躍の場がある。紛争になって判決に至る事例より、民事訴訟では和解の方が遥かに多い。その和解を廣田さんは多く経験してきた。ミクロといえばミクロだけど、そこからの経験則を紛争解決のための“法則”として昇華させ“13項目”を示している(第3章)。
ワタナベ君:そこを中心に検討してみましょう。第1の法則は囚人のジレンマ。でも、これは全体の包み紙のようなもの。この法則は、プレイヤーの立場上の平等が条件ですから、ウクライナの戦争やガザの戦争には、そのまま当てはまりません。相手を出し抜いたり裏切ったりを、お互いにやると損害が最大になるということを説明していますが。
第2の法則は戦況です。ここで興味深いのはウクライナ戦争では初期に和平のチャンスがあったことです。いまでは参加者の強弱がはっきりしてしまったから、強い側のロシアは和平に興味がない。
教授:第3の真逆の法則というのは、そのとおりだ。戦争をする論理は“相手をやっつける”で、和平の論理は“相手を許す”だから真逆だね。だから、事態の進行中にこれを転換するのは、とても難しい。人はやっつけるのが得意で許すのは苦手だから、と廣田さんも書いている。
次の第4の法則、対話と合意の項ではベトナム戦争終結時のキッシンジャーの話が出て来る。でも、彼みたいな能力は珍しい。トランプ大統領の周辺にはこういう人はいないね。
ワタナベ君:私が注目したのは第5の法則である、“正義に蓋”です。お互いに正義の旗を振っていたら和平は成立しない。正義は相対的。そして和平こそ、なににも勝る正義という主張です。正義の旗を降ろせというのは言いにくいことですが、それが大事だと。
教授:法学者は正義といえば普遍的で絶対視する傾向があるけど、ここでの正義に蓋は受容したい。世の中には、様々な正義があるというのは経済学ではむしろ当然ですね。廣田さんの経済学の勉強の成果と思いたい。
ワタナベ君:第6と第7の法則は一対です。戦争責任は大きすぎて一人の戦争犯罪人が負えるような罪ではない。被害>人間の責任 だから、“目には目”を式の刑法の考え方では戦争はなくならない。戦争犯罪に対する刑法の適用は難しい。そういう意味では東京裁判もニュールンベルグ裁判も限界がありました。また負けた国に過大な罪を負わせるのも歴史の教訓としては有効ではない、というより有害で、ドイツに過大な債務を背負わせたベルサイユ条約の失敗を見よ、という訳です。
教授:第9の法則。経済制裁の無効性。これも注目すべき論点だ。先進各国はロシアにこぞって経済制裁を課しているが、経済成長が減速し、国内物価が上がったくらいであまり効いていない。経済制裁というのは抜け道が多い。経済が後退しても人々は困るけど、プーチンの命にかかわることはないからね。
ワタナベ君:調停は有効で、特に技法が大事。どこで誰がやるか。調停者は前面に出ないで自ら裁かない方がいいと。これはトランプさんに聞かせてやりたいですね。続く第10の法則、仲裁が有望で国際司法裁判所に期待。でも、アメリカ、ロシア、そして中国は非加盟なのですね。ここに紹介されているオーストリアの作家ベルタ・フォン・ズットナーのことは日本ではあまり知られておらず、私も初めて知りました。
教授:和平を進めるには、国民をはじめ周辺の多くの人々を納得させる規範が必要(第10の法則)。これはその通り。問題はその規範がどう作られるかだ。政治家や政界の規範だけでは大いに不足。その国の歴史、宗教、文化、文学、言語などの各分野から国民を納得させる規範は出てくる。紛争の最後に文化人が登場するのはよくある。両国の学者・芸術家・文化人が会合を開き、戦争を止める大義を示す、そんな光景があるといいと思う。同じ民族なのだから、文化的共通項は沢山あるはずだ。
ワタナベ君:第12と第7の法則は類似しています。私が注目したのは最後の“卓越した和平案”です。エクアドルとペルーの戦争で両国が争った土地を共有の自然公園にするという提案が紹介されています。ロシアが奪い取ったところはロシアのものなんていう、トランプ提案は完全なプーチン寄りだし、全然、卓越していませんね。
教授:第3章の紹介が長くなったけど、本書の中心部分だからね。他の部分で印象に残ったところは?
ワタナベ君:第4章の和平の第二軌道です。当事国、そして政治家だけでなく、様々なプレイヤーが和平のために尽力する。特に平和憲法を持つ日本は、アメリカの属国として行動していては世界平和のイニシアティブはとれない。
廣田さんも日本国憲法の前文を掲げ、次の言葉を添えて本書を締めくくっています。
「国際社会で名誉ある地位を占めたいと思う」。「本書は、私たち日本人がそのような地位を占めるため、そして平和を実現するためのささやかな一歩である」
(P.243)
■
紛争解決学に関心のある二人が協働して著した本書は、いわば和平を開く挑戦の書である。
廣田は上杉を道連れにして再登山。九合目にたどり着いたが、眺望はイマイチ。それは、国際関係論がマクロ視点である分、得られる結論が抽象的で一般的に過ぎるからだろう。
廣田は頂上に続く坂を登るとき、自分のリュックから“13の法則”を取り出す。それは、彼の長い弁護士人生から育まれた宝物なのだ。
学問の方法論として、実験的なマクロとミクロの接合だと思う。勿論、“接ぎ木”全般について言えることだが、それが成功して花が咲くとは限らない。
著者たちが共通して言っているように、和平を実現することは“限りなく困難”な課題だからである。それでも二人が挑戦するのは、世界の不幸をなんとか止めたいと思うからだ。その思いの普遍化に本書が貢献することを願っている。