ご存じのとおり10/10、公明党の斉藤鉄夫代表は自民党の高市早苗・新総裁との会談後に「連立離脱」を発表した。
興味深いのは、外野の多くが高市氏と公明党とで溝になると見ていた、靖国神社参拝などのいわゆる “右傾化” ではなく、「政治とカネへの対策」が離脱の決定打になったことだ。
斉藤鉄夫代表が10日、自民の高市総裁と会談し、〔離脱の〕方針を伝えた。
斉藤氏は7日、高市氏と会談し、靖国神社参拝を含む歴史認識や外国人政策への懸念を伝え、認識を共有した。裏金事件の真相解明と企業・団体献金の受け皿制限では結論に至らず、連立合意を持ち越した。
西日本新聞、2025.10.10
(強調は引用者)
これは昔見た――というか、だいぶ前にも実現していた “かもしれない” 景色だ。自公両党の代表がかつて、こんな会話を交わした時代がある。
「どうだ、内閣に入って、いっしょにやらないか」
「条件は変わらない。ひとつは憲法擁護、もう一つは企業献金をやめるということだ」
「企業献金をやめるなんて自民党がまとまらない」
「企業献金をやめる約束をすれば、一気に連立に行くぞ。やめるまで十年くらい余裕をもっていい」
「必要悪だ。企業献金をやめることはできないな」
朝日新聞、1998.8.27
(ヘッダー写真も)
会話の主は、大平正芳首相と、竹入義勝・公明党委員長。1979年10月の衆院選では、大平の唱える「一般消費税」の構想が不評で過半数を割り、自民党は左右で分裂含みの内紛に突入した。その際、”左”(護憲)の大平の隠し玉が「公明との連立」だったが、未達に終わっている。
そもそも2024年10月、発足したばかりの石破茂政権が衆院選で過半数を割った翌日から、ぼくはそうした1970年代の「多党化時代の再来」を予見して、次のように書いている。
一党支配に最初の翳りが兆した1968~72年に比べて、よくも悪くもいま自民党は、だいぶ弱い。平成半ばから言われてきたけど、多数与党といっても「公明党の積極アシスト、共産党の消極アシスト」に支えられての足腰だった。いよいよ今回は、それでも躓く結果となった。
与野党の議席数が接近し、国会に緊張感が生まれるのは望ましいが、ひとつまちがうと不まじめな目立ちたがりが政治をかき回す事態になる。実際に、70年代の「保革伯仲」では欲得ずくの政局ばかりが頻発し、統治のパフォーマンスがよかったという人はあまりいない。
強調箇所を変更
ご承知のとおり約1年後、今年7月の参院選でも自公両党は大敗し、両院で過半数を割る。その結果を踏まえて、政治学者の河野有理さんと対談した後にも、ぼくはこんな例を出しておいた。
「第1次多党化時代」と呼べる70年代にも、自民党が左右に割れるとの噂は絶えなかった。1979年〔総選挙後の11月〕には、国会の首班指名に大平正芳(現職)と福田赳夫の2人が立つ前代未聞の事態になり、野党がほぼ棄権した決選投票を、辛くも大平が制した。
このとき「もし構図が逆だったら」とは、長く囁かれた歴史のifだった。タカ派の福田に、リベラルな大平が反旗を翻す形だったら、野党がいっせいに大平に入れて自民党を分裂に追い込み、平成を待たずに政界再編が起きたかもしれない。
〔 〕内を今回追記
いま注目されるのは、公明党が次の首班指名で誰に入れるかだ。現状では「斉藤鉄夫」とのみ書いて、中立を保つとの見方が強いが、有力野党がひとりに票を集めれば “非自民政権” もあり得る。
だが1970年代を顧みれば、また別の道もあって、総裁職は退いてもまだ総理大臣の石破氏が「右傾化を忌避し、政界浄化を求める政党は、一致して “石破” に投票を!」と呼びかければ、他律的な総理・総裁分離での再度の組閣もあり得る。
その場合、今度こそ自民党は左右に割れるだろうし、いまの石破氏にその胆力があるとも思いがたいが、大平正芳が首相だった70年代末に起こりかけた未来が、約半世紀を経て実現する可能性は、論理的にはあるのだ。
問題は、”歴史を失い” 過去を参照しない社会では、そんな省察がまるで語られないことだ。それがぼくらの叡智を奪い、無気力にさせている。
もちろん、過去抜きでも「正しい見通しは立つから困らないぜ!」という発想も、ありかもしれない。でも思い出してほしい。10/4に行われた自民党の総裁選で、メディアや専門家の言ってきた見立ては、正しかったか?
多くは小泉進次郎氏が大本命だと語り、決選投票が「小泉 vs 高市」なら、後者に勝ち目はないと言ってきた。万が一の高市総裁の場合も、こうも即座に「公明の連立離脱」が起きると見通した人はいなかった。
不思議なもので、それでも国内の政局の専門家は見立てを外すと、わりかし謝る。ところが疫病にせよ戦争にせよ、海外起源で遥かに大きく日本を揺るがす事項のセンモンカは、なぜか決して誤りを訂正しない。
メディアもそれを求めず、惰性で同じセンモンカを居座らせ続ける。それだけではない。「検証が必要では?」と提言しても黙殺し、人や媒体によっては「そんな文句を言ってるのはお前だけだ」と嘲笑を浴びせ始める。
もう、うんざりではないだろうか?
あるいは政治とは、「誰が首相になるか?」といったマクロなものとは限らない。日々の暮らしで「誰が女子トイレや女湯を使う権利を持つか?」といったミクロな政治ほど、国民への影響がよほど大きいといった例は多い。
そしてこれまた、そんな問題のセンモンカほど、自説がメディアでウケて勢いがある間は「私の主張以外あり得ない!」とSNSで叫びながら、情勢が変わるや逃げ出して、なんの責任もとらない。
もう、おしまいにする時ではないだろうか?
昨年の頭からぼくは、ホンモノとニセモノという言い方を敢えてしている。メディア上でのニセモノの横行が、度を越して国益を毀損しているからだが、そうなる理由もしっかり指摘してきた。
SNS社会の副作用は、むしろ「ニセモノ」の方を目立たせてしまうことでした。
個々のユーザーの主張や内面といった、SNS以前には親しい人にしか見せなかったものを、ユーザーがこぞって可視化するようになった。その結果、「私はこう思う」として発信するホンモノの論説よりも、他の人を「みんなも同じはずでしょ!」と巻き込んで同調圧力を煽るニセモノの声の方が、響きやすくなっちゃったんですね。
公明党の離脱は政局をより流動化させ、”先の見えない” 社会を生む。国会の過半数だけなら、他党と組んでカバーできても、すでに創価学会の支援なしでは当選できない自民党の議員も多い。
その引き金を引いた公明党の斉藤代表は、昨日の時点で、今後の同党の方針をこう語っている。
斉藤氏は閣外協力を否定し、野党の立場になるとの見解を示した。連立離脱後の国会対応に関し「何でも反対の敵方になるわけではない」と主張した。政策ごとに判断する考えを示した。
自民党との選挙協力は「人物本位、政策本位だ」と話した。衆院小選挙区で相互に推薦はしないと言明した。
日本経済新聞、2025.10.10
比例に徹するだろう公明党の票を、小選挙区で他党の誰に託すかは、党名ではなく「この候補はホンモノだから」という基準で、人ごとに選ぶという趣旨だろう。面白い時代が来たものだ。
メディアや言論の世界でも、同じことが起きなければならない。
ぜひ、たとえば一夜でこうした記事を出せる、ホンモノを起用してください。ニセモノに騙され “大外れ” だった2020年代の前半から一新し、見違えるような日本が生まれることを、お約束します。
参考記事:
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年10月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。