映えない恋愛が、なぜTikTokで映えたのか?

TikTok、YouTube、X。『ストロベリームーン』のプロモーション動画が300万回再生だ。編集側は喜んでいる。「Z世代は流行を察知するスピードがすごい」。本当か?

ストロベリームーン」(芥川なお 著)すばる舎

表面的な分析では足りない

正直に言おう。ネットで流れてくる分析は、全部が薄っぺらいんだ。「バイラルしやすい」「恋愛小説が流行ってる」「SNS時代だから」。こんなの、誰でも言える。

でもね、これ本当はもっと、何か別の話なんじゃないかって、ずっと引っかかってるんだ。作品の内容を思い出してみよう。

入学式で出会った高校生が、その日のうちに付き合う。1ヶ月後、6月4日(余命宣告とほぼ同日という、設定の露骨さよ)に、自転車で移動する。ただの自転車で、ストロベリームーンを見に行く。手を重ねて。赤い月を。

これ、マジで「映らない」じゃん。

病気だし、話は暗いし、エモーショナルで重くて。通常、TikTokで映えるのって、キラキラ、カラフル、踊ったり、ナチュラルメイクで可愛かったり。そういうやつなのに。

それなのに、なぜ300万回再生?

答えは、シンプルだ。Z世代は「本物の感情」に飢えてるんじゃなくて——いや、違う。「自分たちの世界に存在しないもの」に飢えてるんだ(と思う)。

毎日、目に入ってくるのはフォロワー数、いいね数、再生回数だ。TikTokで10万超いったメイク動画。YouTubeで100万再生の自撮り。Reelsでバズった画像。毎日、その数値。心がすり減ってく。

彼ら彼女らは「映えるもの」を求めてるんじゃなくて、実は、「映えない現実」を求めてたんだ。自転車で月を見に行く。ただそれだけ。指輪をもらう。でも相手は死ぬ。派手じゃない。でも本気。その、スマホに映らない話だ。

「映らない」けど「本物」

親友たちが「親族に成りすまして」看護師に聞く場面がある。フィクションなのに、異常にリアルだ。日常では起きない。でも、その友人たちが必死で、そんな大胆不敵な行動をする。「映らない」けど「本物」。

そういうシーン、正直に言うと、自分たちの学生時代には、こんなドラマなかった気がする。むしろ、スマホで盛り上がるだけ。Z世代は、SNS中毒になりながら同時に——いや、SNS中毒になってるからこそ、「SNSの外の感情」を忘れてた。というか、見たことなかったのかもしれん。

編集側は「流行を察知した」って言ってるけど、本当?それとも、「やっとこの世代が現実を思い出し始めた」ってだけなのか?

後者だとしたら、これは流行じゃなくて、覚醒に近いんじゃないか。デジタルネイティブと呼ばれたZ世代が、デジタル外の世界を「再発見」してる。その象徴が『ストロベリームーン』。

映画化も決まった。映画館。スクリーン。スピーカー。スマホじゃなくて、非デジタル空間。 そこで、二人が手を重ねてストロベリームーンを見る場面を、大きなスクリーンで見る。自分のスマホじゃなくて。

ジェネレーションギャップなんだと思う。大人の世代には当たり前の「映えない恋愛」が、Z世代には衝撃。

だからこそ、ここが重要

もし『ストロベリームーン』を見たZ世代の子が、その後、親友に電話をかけたんだとしたら。 つまんないことで。映える情報じゃなくて本音だけで。そしたら、この映えない恋愛は、本当に映えることになる。その子自身の人生の中で。

もし見たなら。読んだなら。泣いたなら。その感動を、スマホの中で完結させるな。 映えない何かに変えてくれ。自転車に乗る。親友に会う。好きな人に連絡する。そういう、すぐに消える、数値化されない、インスタに上げられない何かに。

本当にそうしてくれたら。その時、初めて『ストロベリームーン』は、本当の流行になる(ような予感がする)

尾藤 克之(コラムニスト、著述家)

22冊目の本を出版しました。

読書を自分の武器にする技術」(WAVE出版)