対照的な実業家:柳井正と孫正義

10月14日のThe New York Timesに、ユニクロの柳井正氏に関する長い記事「For Uniqlo’s Founder, Conquering America Is Personal」が掲載された。

nytimes.com

この記事は

「ユニクロ創業者・柳井正氏は、米国市場をファーストリテイリングの成長の柱と位置づけつつ、トランプ政権の保護主義に強い懸念を示している。2005年の進出以来、北米事業は2022年に初めて黒字化し、柳井氏は『ようやく入り口に立てた』と語るが、高関税政策が中国・東南アジアの供給網を脅かすと警鐘を鳴らす。アメリカ文化に影響を受けた戦後世代として、『自由と民主主義の国アメリカに健全さを取り戻してほしい』と訴える。中国市場が減速するなか、ユニクロは2027年までに北米店舗を倍増させ、次の主戦場をアメリカに定めた。」

という趣旨で、柳井氏を好意的に紹介した記事でした。

この記事を読んだ幾人かの米国の友人から、同じビリオネアーでもトランプに真っ先に媚を売り、できもしない大風呂敷を広げる孫正義に比べると、はるかに毅然として立派だという意見が寄せられてきました。それに対し私は以下のような返事を送ったところです。

孫正義氏(左)と柳井正氏(右)
SoftBank Academiaより

柳井正と孫正義、この二人はいずれも「戦後日本が生んだグローバル型経営者」という点で共通していますが、アメリカとの向き合い方においては、まったく対照的な姿勢を見せています。

孫正義氏は、第一次トランプ政権発足後すぐにホワイトハウスを訪問して「5万人の雇用創出」を誇示するなど、政治的演出も交えてのトランプへの接近は、典型的な「取引的アプローチ」で、民主主義の理念や制度への尊敬という要素は希薄です。

対して柳井氏は、NYTインタビューでも明確にトランプの保護主義を批判しています。「自由と民主主義の国としてのアメリカの健全な復活を望む」と語るその言葉には、理念に立脚した友情が見えます。

然し、その孫氏は、日本の通信政策の自由化では霞が関と徹底的に戦った、いわば自由経済の旗手でした。

通信事業への進出に意欲をもっていた孫正義氏は、国家権力と戦っても通信の自由化、NTT独占体制の打破、電波行政の岩盤規制を打破しない限り、彼の夢の実現は不可能であったのです。通信事業への強い意欲に突き動かされた彼は、当時の霞が関の官僚にとっては恐るべき“破壊者”でした。その姿勢は、まぎれもなく近代的自由主義の実践者であったと言えます。

対して柳井正が守ってきた「自由」は、市場の中での自由でした。彼は政治的対立を避け、官僚や規制との衝突を回避しつつ、純粋に「価格」「品質」「普遍性」という市場原理の勝負で世界を相手にしてきました。

かつて国家権力に抗した孫正義が、アメリカではトランプという「権力そのもの」に最初に接近して、ホワイトハウスで笑顔を見せ、「雇用創出」を約束し、米メディアに大々的に取り上げられる姿は、もはや反権力の改革者ではなく、権力との共演者にさえ見えます。

孫正義が日本で戦ったのは、どこの国でも厳しい統制下にある通信でしたが、彼が米国で志向していた投資金融分野では、逆に権力の追い風がヨットレースのように効果的だという事実を無視することはできません。

「通信では権力と戦う必然、金融では権力を利用する必然、そしてアパレルでは権力を避ける必然」

これこそ、孫正義と柳井正という二人の経営環境と構造的な分岐点を最も的確に捉えています。

孫氏が霞が関に挑んだのは、勇気というよりも構造的必然で、国家が通信を握る限り、「自由化を叫ぶ者」は自動的に反体制にならざるを得ません。

一方で、米国で彼が身を置いたのは通信ではなく投資金融の世界。ここでは、規制との闘いよりも、むしろ政策の波をいかに先読みし、利用するかが勝負になります。

資金調達、評価益、IPO、税制——どれも政治との距離次第で劇的に変わる。トランプ政権のように「減税」「国内投資奨励」「規制緩和」を掲げる政府は、孫氏にとってまさに追い風を送る権力であり、彼はそれをヨットの帆のように使いこなそうとしたに過ぎない。

柳井氏はその点で、一貫して“市場そのもの”を信じており、彼にとって政治は環境の一部であり、決して取引の相手ではないと信じる。彼は、米国の保護主義にも「自由貿易を分断することは世界発展のマイナス」と理路整然と反論はするものの、「自分は正しい」と叫ぶ攻撃性ではなく、むしろ市場の公正さを信じる実務家としての静かな怒りがあるように思います。

トランプに媚を売る孫正義に対して、毅然として然し矜持を保ちながら皇帝トランプに対峙する柳井正と見るより、両氏が生きる業界の違いが態度の違いに色濃く反映したのではないでしょうか。

それにしても、トランプとの接近は孫氏の航海術としては見事でしたが、柳井氏のように「風そのものに意味を問う」人物こそ、いまの世界で希少な存在になりつつあるのは悲しい現実です。