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高市新政権が発足して間もなく、政治日程の中心に浮上した議論があります。衆院議員定数の1割削減です。連立を組む日本維新の会が「絶対条件」として掲げ、自民党も合意しました。第219回臨時国会(12月17日までの58日間)での成立を目指すという流れです。
何が削減されようとしているのか
現在、衆院議員は小選挙区289人、比例区176人、合計465人です。この1割にあたる約45~50人の削減を目指しているのですが、その内訳には大きな問題があります。
自民党と維新の両党が念頭に置いているのは、比例区の削減です。小選挙区は区割りの変更を伴うため調整が複雑だというのが理由とされています。しかし、その「技術的な都合」こそが、実は民主主義に対して致命的な影響を及ぼす可能性を秘めているのです。
小選挙区は1人しか当選しません。このため大政党に有利に働き、落選者に投じられた票は「死票」となります。対して比例区は得票数に応じて議席を配分するため、死票が少なく、中小政党や少数派の声も国会に届く仕組みになっています。
この二制度の組み合わせは、多様な国民の声をできるだけ漏らさず国会に届けるための工夫です。その比例区を削減することは、国会に届く「民意の多様性」を狭めることに他なりません。少数派の声は黙殺され、既得権益を持つ大政党の声のみが国会に響き渡ることになるでしょう。
この懸念が杞憂ではないことは、維新が本拠地とする大阪府議会の事例を見れば明らかです。
維新主導で府議会の定数を109から79に削減する際、複数区を減らして1人区を増やしました。その結果はどうか。維新が議席の約3分の2を占める「1強」状態が生まれたのです。議長も副議長も維新が独占しています。
民主的な選挙制度が、特定勢力の独裁的支配を生み出すという矛盾。これは偶然ではなく、定数削減と選挙区制の組み合わせが必然的に招くものです。
「身を切る改革」という美しい嘘
「身を切る改革」というスローガンは分かりやすく、人気があります。議員の給与や事務所経費を削ることは、財政負担の軽減につながるでしょう。一見すると、国民のための改革に映ります。
しかし見落とされているのが、「民意を切る」ことの代償です。
議員定数が減れば、国会に入るための選挙競争はより激しくなります。既存の大政党には有利に働く一方で、新人や中小政党の参入障壁は格段に高くなるのです。結果として、「職責を果たしていない無能な議員は落ちるが、優秀な議員も一緒に落ちてしまう」といった事態になりかねません。
多様な声が黙殺され、権力が既得権益に集中していきます。歴史を紐解けば、民主主義の衰退はしばしば「効率化」の名の下に静かに進行してきたものです。
選挙制度は国権の最高機関である国会の構成を決める民主主義の根幹です。そのような根本的な問題が、多数派だけで決められてよいのでしょうか。
野党の意見は聞かれたのか。市民の声は十分に反映されたのか。学識経験者による慎重な検討は行われたのか。定数削減という議論が進む中で、こうした根本的な問いが置き去りにされているように思えてなりません。
第219回臨時国会は12月17日までの58日間です。この短い期間に、日本の民主主義の根本に関わる決定が下される可能性があります。
その決定が、本当に国民全体の利益のために、民主主義の原理に基づいて行われるのか。それとも、特定の政治勢力の権力維持のために、民意を削除する過程として行われるのか。
その問いに、われわれは真摯に向き合う必要があります。なぜなら、その答えが日本の民主主義の今後を決めるからです。
議員定数削減という一見すると技術的な政策問題の背後に隠された、民主主義の本質に関わる葛藤を、年末までの政治劇の中で、冷徹に見つめ続ける必要があるのです。
尾藤 克之(コラムニスト、著述家)
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