高市人気と自民停滞をどう読むか?内閣と自民党支持率の相関②

(前回:高市人気と自民停滞をどう読むか?内閣と自民党支持率の相関①

高市内閣は「個人の高支持」と「自民の伸び悩み」という二重構造でスタートしたが、類似の乖離状況を探すならば小泉純一郎内閣がそれであろう。

そこで今回は、小泉内閣にフォーカスを当てておさらいをする。

時代背景

小泉内閣は2001年4月26日から始まり第2次・第3次を経て2006年9月26日に至るまでの5年5か月続いた政権である。

小泉内閣誕生の直前期、経済の世界は「新世紀の幕開け」と「IT革命とITバブルの生成と崩壊」という高揚感の余韻と先行きへの不安が混在する時代であった。

一方国内政治の世界は、「旧態依然としたシステムによる停滞」という印象が強く、国民の間には閉塞感も漂っていた。特に与党自民党に対しては「IT革命」を「イット革命」と読む時の総理への悪印象や「派閥の論理(密室内)で決まる永田町」のような負のイメージが強かった。

NHKの世論調査(2001年3月)でも森内閣7%、自民党21.4%と極めて低い支持率を記録していた。民心は離れていたと言えよう。

小泉内閣誕生前夜、政界に対しては現状への不満と先行きへの不安感から、あたかも“気化したガソリン”が日本社会に充満していたかのような状況であった。

幻想的な新時代イメージ

この時代環境のもと登場した小泉内閣は、幻想的な期待感を国民の中に醸成することに長けていた。例えば「小泉内閣メールマガジン」というIT革命を利用した対話(SNSの先駆け)ができそうな幻のイメージ、あるいは「自民党をぶっ壊す」「郵政民営化」のようなスローガンで“旧体制を刷新”してくれそうな期待感に溢れていた。後にメディアから「小泉劇場」と命名され持て囃された新しい政治手法に国民は踊らされた。

しかし劇場型政治には「お米を主食としながら田圃を破壊する」ようなパラドックスを内包していた。その結果小泉内閣が終わった後、国民が手にした果実は郵政民営化のような「宴の残滓」であり、自民党が手にしたのは「3年後の下野」へと続く隘路だった。

皮肉なことに、小泉純一郎が“目指した”「自民党をぶっ壊す」または「抵抗勢力の排除」という目標は「自民党下野」という形で完全に達成された。劇場で役柄(“設定”)を演じていただけなのにスローガンが現実化してしまったことは、真面目に仕事をしていた自民党議員の多くにとって大変な誤算であっただろう。

小泉劇場と内閣・自民党の支持率

小泉内閣においては、内閣と自民党の支持率という観点から3つのフェーズにわけ、それぞれのメインテーマを整理して支持率の相関性を検証して行く。

フェーズ1:“劇薬”ドーピング期(’01年5月~’02年7月)

テーマ:「自民党をぶっ壊す」期待と落胆

政治の世界の旧弊を一層してくれそうな期待が膨らんだが、実際には褒賞人事で登用した田中真紀子外相では9.11以降の激化する国際情勢に対応できず更迭に至った。これにより内閣支持率は「田中ファンというプレミアム」が剥落し、一度は高まった自民党支持率も相変わらずスキャンダルと縁が切れない政党として元通り低下した。

フェーズ2:外交ピーク・内政停滞期(’02年9月~’05年7月)

テーマ:拉致被害者一部奪還と痛みを伴う改革

内閣も党も支持率低下に追い込まれた小泉政権だったが、ここで大きな外交成果を獲得する。北朝鮮による拉致被害者の一部奪還に成功したことである。これにより内閣は息を吹き返したが自民党の支持率はそこまで改善しなかった。「改革なくして(経済)成長なし」として行った諸制度改革などは国民負担の増大も予想されるものであり支持率は一進一退であった。

フェーズ3:「官から民へ」幻惑期(’05年8月~’06年9月)

テーマ:郵政民営化は“蜜の味”

「郵政族」などの言葉が象徴したように、郵政関連の政治力は大きなものがあった筈だが郵政民営化を争点として小泉内閣は国民の支持を得、改革の象徴として断行された。省庁や官僚を「引き摺り降ろす」かのような光景は小泉劇場のクライマックスであり国民に対する求心力は高まった。結果として自民党の支持率も高まることとなった。

これらの動きを時系列でまとめると次のグラフの通りとなる。

小泉内閣・自民党の支持率相関関係

小泉政権時代における、内閣と自民党の支持率を、既述3フェーズにわけて散布図に落としたものが次のグラフとなる。青がフェーズ1、橙がフェーズ2、灰色がフェーズ3である。

座標軸は前回記事で共有した視座であり、縦軸内閣支持率(歴代平均44%)・横軸自民党支持率(通算平均33.5%)である。グラフでは括弧内の数値を原点としている。

これによりポジショニングの遷移が明瞭になる。

支持率相関関係の模式図

散布図だけではメッセージが伝わりにくいかもしれないので、単純化したのが次の模式図である。

端的に言えば「田中真紀子更迭」「自民党議員スキャンダル」によって支持率を落としたが「拉致被害者奪還」で持ち直し、「郵政民営化」で再び民心を得た、というベクトル(方向と量の2要素)が明確化された。

まとめ

支持率の高かった小泉内閣でも「自民党支持率が平均以下であった期間が長かった」という事実には意外感があった。筆者の印象とは少し異なるが、一般には2重構造が予想されている高市内閣はどのような軌跡を描くことになるだろうか。

今回は小泉内閣の動きを振り返ることで、高市内閣がとるべき政策の基礎的条件を抽出できたと考える。(ただし筆者の主観が色濃く反映されるため、具体的に詳述はしない。)

抽象化して表記するならば、内政も外交も実利同様(以上)に情緒(国民感情)も大切にしないと支持率は高まらないことが見て取れる。まずは高市内閣にとって第一回目の(11月NHK世論調査の)支持率ポジションに注目したい。

(つづく)