日本でも四季が消えたかのように、夏から冬への転換が急になっている。この夏の異常な暑さが尾を引き、9月末くらいまではふつうにTシャツで出歩いていたのが、嘘のようだ。
その猛暑の下、稀に見るアツい参院選も7月にはあったが、近年メディアを挙げて「うおおおお!」してたはずの気候変動や脱炭素化は、なんの争点にもならなかった(苦笑)。なんで? 問うべきはいまじゃないの?
答えはシンプルだ。脱炭素化のブームはニセモノであり、煽った識者はみな詐欺師だったのだ。
例によって、後出しではない。いまから約1年前、執筆している『公共』の教科書の意義を説く取材で、やはり詐欺師ぞろいの「AIブーム」と並べて、令和のエコロジーのどこがニセモノかを、はっきり指摘しておいた。
生成AIに質問して教えてもらうのは、Googleで検索して自分で考えるより10倍も多く電力を使うので、環境への負荷としては最悪です。だからAIと脱炭素化が同時に流行するのは、本来なら矛盾している。
どうしてそんな奇妙な事態が起きたかといえば、「人間の悪口さえ言えればそれでいい」人が、あまりに増えたからです。「どうせAIには勝てない」「地球にとっては迷惑」という口実をつければ、いくらでも他人の活動をくだらないとけなすことができます。
教育図書、2024.12.4
(強調を付与)
そうなのだ。詐欺師たちは、内心では別にAIを好きじゃない。地球を愛してもいない。単に(自分以外の)人間が嫌いで、他人様にケチをつけバカにする口実を売って稼いでいるのだ。
が、AIやエコをネタに今ごろ気づくようでは、ぼくも大した知性ではない。本物の思想家は、大昔――そう、ちょうど80年前に「戦後」が始まったころ、すでに同じものを見抜いていた。
① ドイツ人が道徳的および形而上的に同じドイツ人に対する審判者に成りあがったり、
② 精神的な交流を求める善良な意志が消滅して、他人に強制を加えようとする意志が仮面をかぶって横行したり、
③ 罪の告白を相手方に要求することが認められたり、
④「自分には罪がないのだ」という傲慢な気持ちから他人を見くだしたり、
⑤ 自分に罪のないことを意識すれば他人に罪があると断定して差し支えないように思ったりする場合には、必ず隠れた不真実があるのである。
橋本文夫訳、182頁
(丸数字と改行を付与)
精神科医から哲学に転じたヤスパース(ヘッダーはWikipediaより)は、ナチスの滅亡後まもない、1946年の講義録にこう記した。誰よりも深く「ドイツ人として」の反省を説く一方で、それが “反省マウント” に悪用される事態を懸念したのだ。
「道徳的および形而上的」とは、彼が分類した4種の戦争の罪のうち、抽象度が高い方の2つである。低い方は、直接の下手人が負う刑事責任と、ナチス体制を容認したことの政治的な責任だから、わかりやすい。
道徳的な罪とは、命令に従ったので当時は合法でも、内心では悪に気づけたはずだといった罪。形而上的な罪とは、自分に止める力がまったくなかった場合でも、他の人が犠牲になるのを見た際に感じる、居たたまれなさのようなものを指す。
ヤスパースの慧眼は、後2者の罪は自ら心に問うべきものであり、他の人を非難するためのものではない。抽象的な “正義” ほど、誤った使い方をすれば、単に周囲を支配するための道具に堕落すると、見抜いていたことだ。
恐らくはすべてのドイツ人が道徳的な洞察にもとづいておのれ自身に検討を加えることをうながされている。……しかしこの場合には自己の良心以外に何らの法廷を承認する必要はない。
128頁
ご存じのとおり、その実例は、ぼくらのSNSにひしめいている。他人の “被害” に便乗し、どんなやり返しでも “正義” と見なされる「被害者権力」だけ使わせて! な人が、めっちゃ増えた。
そんな際に濫用される、イッちゃった発言や煽り方の特徴も、ヤスパースは予言していた。
語るに似て、その実、もはや語るのでない語り方、侮辱はするが決して答えを聞こうとするのでなく、むしろ殴打を加える刹那を目標におき、現実には腕力と撲殺、機関銃と爆撃機にほかならないものを、こっそりとまず言論の形で持ってくるというような語り方もまた、語り合うということを排除するものである。
31頁
この種の有識者は、”戦況” が優勢なときはイキっても、逆転するや「言い逃げ」して固く口を閉ざすことが知られている(苦笑)。だがその行き着く先もまた、ヤスパースは手厳しく描き出す。
誇らしげな沈黙の態度は、しばらくの間ならば、その背後に隠れて息をつき意識を取り戻す正当な仮面となるだろう。
けれどもそのために、かたくなに自分の殻に隠れ、ものごとをはっきりと知ることが阻まれ、現実による感激を覚えずに済むということになれば、この態度は自己欺瞞と化し、他人に対しては謀略に堕してしまう。
このような態度から生ずる気分は、みずからは危険に曝されることなく、心中ひそかに人を罵ることによって、発散され、冷酷と激昂のうちに、ひねくれた表現を通して、無益な自己消耗をひきおこす。
30-1頁
月曜に出た『文藝春秋』12月号で、連載「保守とリベラルのための教科書」も、丸2年。戦後80年の最後の担当回にあたって、このヤスパースの戦争責任論の古典を、採り上げた。
そこには、また別のちょっとした理由もある。
この本は邦題を変更してなんどか出し直されているけど、1998年の『戦争の罪を問う』からは、巻末に加藤典洋の解説が附されている。
95年の「敗戦後論」論争で、いま風に言えばキャンセルされかけた加藤は、本書の「われわれは語り合うということを学びたいものである」(21頁)という文言に共鳴しつつ、こう記す。
賛成意見よりも反対意見を尊ぶこと。
こういう姿勢が日本の戦後の思想から消えたのはいつ頃からだろう。わたしは、その頃から戦後がわたし達に結晶させたあの可能性としての戦後的思考の核心が、溶けはじめた、という印象をもつ。
いま回復させられるべきは、この感覚、それが溶けてわたし達の手にない、という感覚である。
242頁
『可能性としての戦後以後』にも再録
ぼくの耳には詐欺師が嘶くのが聴こえる。彼らは声を揃えて、「そんな感覚は要らねぇ。さっさと溶けちまって、俺らの意見一色でメディアを塗りつぶさせろ、そして儲けさせろ」と言っている。
ぼくの目には本物が遺した言葉が見える。それはホンモノに継がれるのを待っている。戦後批評の正嫡は81年目に入っても、まさにニセモノの “正義” を暴き、穿つ者でなければならない。
参考記事:
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年11月13日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。