11月15日に自民党結党70周年となったのですが、メディアの取り上げ方は割と地味な感じがします。この70年、戦後政治の中心とか、55年体制、更には同党議員を巡って数々の事件や歴史がありました。ただ、多くの方にとって自民党は生まれた時から今日までずっとそれなりに君臨している環境の中で育ってきており、当たり前すぎる存在といえばそうなのでしょう。
高市早苗総裁 自民党HPより
他方、自民党の強みとは組織の大きさ、経験値、官僚との距離が近いことが上げられます。世論調査で自民党を選ぶ人は「自民党が安定しているから」「野党が頼りなさすぎ」という消極的理由で自民党を推す人も結構いるはずです。
また国民民主党が一時期、盛り上がったのは若い現役世代の生活に寄り添った主張をしたからだったのですが、あまりにも賞味期限が短かったのに驚きすら感じた方もいらっしゃるでしょう。別に国民民主が酷いお手つきをしたわけじゃないのですが、いかんせん、人がいないのです。党首と番頭の二枚看板では奥行きがなさすぎで応用も効かないし、政策全般を全て網羅することは能力的にも人材的にも全く叶わないのです。なので、一時期、玉木首相案が飛び出した時、自民党の傀儡になるのだろうと想像していました。それでも国民民主党にとってはメリットがあったはずです。
宮城知事選で自民党が推す村井嘉浩氏がかろうじて6選しましたが、参政党候補の追い上げは相当シリアスでした。なぜそんな事態になったのか、様々な分析はあると思いますが、6選って長いのです。5選満了の段階で20年。宮城県のプーチンか、と言われてもおかしくないし、当然、その間に社会も変わるし、県民にしても20歳になった人が「この知事、私が生まれた時からずっと知事なのよね」になってしまうのです。この知事しか知らない宮城県でよいのか、伊達藩主の時代じゃないのですから「チェンジ!」をして刷新感は持たせるべきなのだと思います。
同様に日本の政党には昔の名前でずっとやっているところもあります。最も歴史が古いのが1922年の共産党で、1964年にできた公明党も長いです。一方で、70年目の自民党を含め、長くやっている政党がこのところピリッとしないのもこれまた事実です。その理由は支持原動力が変わってきているからなのだと思います。また投票こそインターネットではできないものの選挙期間はSNSで情報が飛び交い、選挙テクニックもずいぶん変わってきたと思います。
選挙カーで白い手袋して、駅前で朝の忙しい時間に誰も振り向きもしないのに一生懸命手を振り、頭を下げる選挙戦ってタイパ重視、効率重視の現代人からしたら「あれは訳ワカメ」なのでしょう。
私はご存じの通り、自民党を割るべきという主張をずっとしているのですが、私の考えは変わっていません。むしろ、分割の上、与野党再編をしてもよい時期ではないかと思います。海外ではそれは珍しくないし、政党名を変えることも普通です。「Reborn」という形で刷新感を出すのです。日本はどうしてもアメリカのニュースを追いかけることが多いのですが、政治後進国とされるアメリカの政治を見ても新しい政治像を想像するには大した勉強にもならないわけで、もっと斬新になる必要があると思います。
私が思う再編とはもう一度右派から左派をライン上に並べ、更に穏健派と強硬派を縦軸に取り、現在の政党をプロットし、次に国民が臨む政治をプロットし、その公約数をベースに再編してみてはどうかと思うのです。横軸だけを見れば参政党が最も右で分割後の自民Aが中道右派のど真ん中。ついで自民B、国民、維新あたりが中道のど真ん中となり、立憲が中道左派、共産が左派という感じが雑ながらも落ち着きどころは良い感じでしょうか?その上で私は自民Aと参政を一緒に、自民Bと国民、維新を一緒にしてしまい、野党を整理してしまってもよいのかと思います。
日本人のメンタリティは基本的には中道ど真ん中が主流だと思います。バランス感覚の良さは世界でも有数で時として八方美人と言われるかもしれませんが、敵を作らないその姿勢こそが日本が世界からリスペストされた点でもあります。また雇われている方が非常に多い社会であることを鑑みれば被雇用者をどう守るかという観点でバランスが取れるのもまた中道の中道だとみています。
日本は中道から右に行ったり左に寄ったりすることは時の情勢によりあるのですが、基本は真ん中ではないかと長年海外から見続けて思うところであります。個々人はそれぞれ信条があるのでご意見はあるかと思いますが、大多数が思う方向に進むことが国民の平穏無事なのだと思います。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2025年11月17日の記事より転載させていただきました。