日米同盟と日中関係のトレードオフを直視した安全保障論議

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日本の安全保障政策について、特に最近、高市首相の台湾有事を日本の「存立危機事態」に結びつける発言に触発されたこともあり、さまざまな激しい論争がまきおこっているようです。ここで私が痛切に感じるのは、信頼性の高い理論と根拠に基づいた議論(evidence-based arguments)が、安保論争にもっと導入されるべきだということです。

もちろん、そうした試みがないわけではありません。ただ、日本の戦後の安全保障政策に関する議論は、歴史研究や地域研究にもとづくものが目立つ一方、理論的なアプローチからの分析が、日本(語)では相対的に少ない。

私の意見は、後者をもっと活用すれば、高市発言や日本の安全保障の本質が見えてくるということです。つまり、これは高市氏の「タカ派」的な政治信条に還元されるものではなく、繰り返される国際関係の同盟政治パターンの一つの例に過ぎない、ということです。

日本の安全保障行動のパターン

この問題を考えるのに役立つ一つの研究が、ニコラス・アンダーソン氏(ジョージ・ワシントン大学)による「無政府状態下の脅威と覇権国による再保証―日本の戦後安全保障政策―」です(Nicholas D. Anderson, “Anarchic threats and hegemonic assurances: Japan’s security production in the postwar era,” International Relations of the Asia-Pacific, Vol. 17, No. 1, 2017, pp. 101-135)。

アンダーソン氏によれば、日本の安全保障政策は、「東アジア地域における脅威」と「同盟国である米国からの安全保障の提供(=「再保証」)」に大きく影響されます。そして、この仮説を戦後日本の安全保障政策の変遷を通じて論証しています。すなわち、国外からの脅威が低く、米国からの同盟コミットメントが強ければ、日本はほどほどの安全保障政策をとるが、逆に脅威が強くなり、米国の同盟コミットメントが弱まれば、現在の日本がそうであるように、防衛費の増額といった安全保障の強化に力を入れざるを得なくなるということです。これが日本の安全保障行動のパターンであり、メカニズムなのです。

他方、首相のリーダシップや平和国家のアイデンティティ、反軍主義の文化などの要因は、確かに無視できない一定の影響はあるものの、これらで戦後日本の安全保障政策の移り変わりを説明するには無理があると彼は結論づけています。

シンプルな分析の効用と日本「特殊論」の不毛

この研究成果が正しいとするならば、その政策上の含意は深いと言えるでしょう。日本は別に「特異な国家」ではなく、国際環境の変化に合理的に対応する「単一のアクター」として捉えればよいということです。

そして、日本を「単一の合理的国家」として扱う理論的アプローチは、社会科学の「簡潔性」原理という確立された方法に基づくものです。つまり、このロジックで日本の安全保障行動をシンプルに説明できるのであれば、あえて余分な要因を組み込んで、議論を複雑にする必要もメリットも乏しいということです。単純で分かりやすい分析は、複雑で分かりにくい分析に優るのです。

こうした社会科学としての国際関係研究には、そのベースに「統計学」があります。私は、日本の安全保障政策を論じる際、もっと「統計学のロジック」を活用すべきだと思っています。これは数学的手法を用いるべきという意味では必ずしもありません。では、ここでいう「統計学のロジック」とは何でしょうか。ある図書から引用します。

「統計学者は(大半の人と)どこが違うのか。第一の違いはデータの見方だ。大半の人は予想外のパターンだけに注目しがちだが、統計学者はそれらのパターンを背景のなかで評価しようとする」。

(カイザー・ファング、矢羽野薫訳『ヤバい統計学』阪急コミュニケーションズ、2011年、248ページ)

つまり、日本の安全保障政策にもパターンはあり、その背景には「日本を取り巻く国際環境」があるのです。

現在の日本政府の対応も首相の行動も、そのパターンに当てはまるのではないか、ということです。そうであれば、「外的脅威」と「同盟コミットメント」の要因から日本の安全保障を分析して評価したほうが、そして、政治指導者の個性や信条などを過大評価しない方が、政策議論はより大きな構図に位置づけられるので、より細かな属人的要因を強調するものより、もっと説得的な見方を提供できそうです。その主な理由をこれから説明していきます。

原因と結果の取違

高市総理大臣は、中国が武力で台湾に侵攻する「台湾有事」は、日本の「存立危機事態」になり、限定的な集団的自衛権を行使する、すなわち米軍を支援する可能性を示唆して波紋を広げました。これに中国政府が猛反発して、日中関係は悪化しました。

こうした事態になったことについて、立憲民主党の野田佳彦代表は「とても驚いた。一人だけで先行して走っていく危険性を感じた」と、その主因を高市氏という個人に求めるような発言をしています。

確かに、日本のトップである総理大臣の発言は、国内外に影響するのは間違いありませんが、これは原因というより結果として説明できることではないでしょうか。言い換えれば、「東アジア地域における中国の高まる脅威」と「米国から提供される安全保障への不安」が、一連の高市氏の行動を導いたということです。

日米同盟強化のベネフィット

前者については、中国有利に傾く東アジアの軍事バランスによる対中抑止力の弱体化を食い止める意思表明と高市発言を位置づけられます。

後者については、日本にとって深刻な事態です。米国は「アジアへの軸足移動」を実行できなかったばかりか、トランプ2.0政権は、ウクライナ戦争からは手を引きつつあるようですが、イラン核施設への空爆やガザ戦争の停戦の実現、麻薬などの流入を防ぐための中南米への軍事行動を示唆するように、東アジアに集中できていません。これでは日米同盟は形がい化しかねません。

高市政権には、そんな日米同盟を「はしゃぎすぎ」と揶揄されるほどのトランプ大統領との蜜月をアピールすることで、少しでも復活させなければならなかった。いわゆる「黄金時代」の文書に署名する際、トランプ氏に、日本はアメリカにとって「最強レベルの同盟国」だとたたえさせたことは、高く評価されるべきでしょう。

日中関係悪化という副作用

もちろん、これには副作用もあります。それは日米同盟の仮想敵である中国の戦略的立場を低下させることになりますので、北京が反発して、日本を威嚇することです。その主な狙いは、日本に「存立危機事態」の認定を躊躇させることにより、日米同盟にクサビを打つことでしょう。日米関係に亀裂が入れば、台湾有事における日米の共同作戦にも支障が出るのは必至でしょうから、中国は台湾侵攻を日米に邪魔されにくくなる結果、それを有利に遂行できる可能性を高められるのです。

要するに、現在の東アジアにおいて、日米同盟や日本の安全保障の強化と日中関係の悪化はトレードオフなのです。

したがって、高市総理大臣の「存立危機事態」発言に関する正しい問いは、米国から見捨てられるリスクの低減で得る国益すなわち安全保障上の「効能」が、日中関係の緊張という「リスク」を上回るのか、というものです。

「リスク・ベネフィットの原則」に合致する抑止力の強化

これに対する答えも、国際関係理論から引き出せます。中国という現状打破国が主要プレーヤーの東アジアに適用できるのは「抑止モデル」です。現状維持国がとった軍事的措置が意図せざる結果として他の現状維持国の対抗措置を招き、その関係を悪化させる「安全保障のジレンマ」ではありません。

「抑止モデル」の状況で平和を維持するためには、日本の安全保障を脅かしかねない台湾侵攻への中国指導者のインセンティブを低下させることです。台湾を攻撃したら高くつく、軍事侵攻はうまくいかない、そのリスクは無視できないほど大きいと、習近平政権に悟らせる政策が効果的です。

そのために我が国ができることの一つが、台湾有事を「存立危機事態」になりかねないものと示すことによる日米同盟の強化です。これで台湾有事への抑止力を高められるのであれば、東アジアにおける平和と安定ひいては日本の安全保障に寄与することになるので、日中関係の悪化という副作用を上回る効果が見込めます。これは「リスク・ベネフィットの原則」に合致しているといえるのではないでしょうか。