垂秀夫・城山英己『日中外交秘録:垂秀夫駐中国大使の闘い』

著作を通じて気概ある外交官の存在を知ったのは、岡本行夫以来になろうか。政治・軍事・経済といったあらゆる側面で国際的台頭をとげ、台湾海峡や東シナ海、南シナ海において日本の安全保障の最大の挑戦となっている中国といかに向き合うべきか。

垂大使のチャイナスクール外交官としての振る舞いは、毅然さと洞察を両立させた対中外交の重要性とその実践者たる外交官のあるべき心構えや行動様式を示唆してやまない。

1. 現代中国の変容

垂大使は、現代中国について、鄧小平時代にその基礎が築かれた集団指導体制から個人指導体制に転換し、国家としての志向性は自国の経済発展を狙いとした「富国」から他国への影響力浸透や国際秩序変容も期した「強国」思想へと変容したとし、いまや国家の安全(安全保障)が習近平中国の最も重視する政策目標であると分析する。

一方、大使は複数回の中国・台湾での駐在経験にもとづき、強国思想・個人支配の共産党中国のガバナンスには、経済や市民社会といった様々な側面で軋轢が生じているとして、ポスト共産党支配の中国を遠望して日中外交を長期的・戦略的目線で構想・実践する重要性を指摘する。

2. 戦略的対中外交

垂大使は、現場主義に即した情報収集と政府高官や知識人との人脈構築こそが自身の外交官の真骨頂として自負している。

実際、大使は一等書記官時代から政務公使時代に、中南海の要人と、外交官ではなく個人のキャパシティとして付き合いを重ね、改革派知識人の論考を目にしては実際に同人と交流して中国の現状や将来について意見交換を重ねてきたという。年回300回以上も中国人と会食をするなど、常人の外交官でもなかなかできるものではない。

単に人脈形成や意見交換に済ませるのではなく、実際に政府高官や知識人の訪日を促し、選挙活動等、日本における民主的ガバナンスの実態を自分たちの目線で見て感じてもらう取組を実践していたという。

本省時代には、世論の批判が高まっていた対中ODAの拠出形式を変えることで、日中間の戦略的な知的交流に継続することに意を注いだ。大使は、日本の安全保障にとり脅威である中国と対峙しつつも、“ポスト大国後の中国”との安定した日中関係の土台づくりに、したたかに取り組む視座を一貫して失わなかったといえよう。

大使が発案者として、安倍政権の日中関係のコンセプトである「戦略的互恵関係」の「戦略的」という言葉には、そのような長期的視座に立って安定した日中関係を希求しようとする大使の大局観がはたらいている。

3. 「戦略的臥薪嘗胆」

垂大使が本書で訴えている対中外交のアプローチは複線的だ。長期的には上述のとおり、戦略的な視座から日中間の人材交流をしたたかに継続し、ポスト共産党の中国を担う中国人を育てることに力点が置かれている。

並行して、目前の現実的課題として、日本や地域の安全保障にとって実際の脅威となっている中国に対峙することも不可欠だ。後者について、大使は「戦略的臥薪嘗胆」が重要であるとして、その姿勢を次のように述べ、具体的取組として、海上保安庁の装備と人員を粛々と強化することの重要性を説く。

「国力を高め、急激に軍事力を増強させている中国に対し、今、正面からぶつかるのは得策ではない。今すぐ焦って解決しようとしてはいけない。そうすれば必ず逆効果になる。この局面では、あえて日本は耐えがたきを忍ぶしかない。ただ、中国は経済の悪化や人口減少にともなう労働人口の減少などで、国力がピークアウトしつつある。ならば数十年後に中国の国力が落ちるタイミングを見据えて、ぬかりなく準備をしておくことだ-それが『戦略的臥薪嘗胆』である」

(336‐337頁)

4. 真の台湾政策を

台湾海峡や台湾そのものへの分析について、垂大使は台湾海峡のリスクの本質は、中国による「武力統一」よりも「平和的統一」にある、すなわち中国・台湾間で何かしらの(長期的取組を含む)実体的な統一に向けたアグリーメントの締結シナリオに留意して対策をとるべきと指摘する。

日本自身の安全保障にとっての台湾の重要性は言うまでもないが(参考として『日米同盟の地政学―五つの死角を問い直す』(千々和 泰明)は、日本の安保に対する台湾の歴史的重要性を示唆している)、現在の日本政府や米国政府の公式見解上は、要するに両岸関係の“平和的解決”を期待するものであり、中国が目する“平和的統一”と日米の期する“平和的解決”は実態上大きく異なることに留意が必要だ。

日本としては、中国による台湾に対しての浸透工作(政治・経済・社会)を注視しつつ、米国や同志国間で、あるべき台湾や両岸関係に対する公式見解を再検討すべき局面に来ている。

また、大使は、台湾と日本の実務上の交流は議員レベルでも活発化している一方で、野党の国民党や民衆党とのパイプのなさを指摘し、現在の指導層に限らず幅の広い人的交流の重要性を指摘し、日本の台湾研究が深堀されることを期待している。

「そもそも現在の日本には独立した対台湾政策と呼べるものがない。たとえば、日本の国会議員は大挙して台湾を訪問しているが、会談するのは民進党の要人や立法委員ばかりだ。民進党の立法委員といっしょになって中国批判を展開しても自己満足に過ぎない。日本は国民党や民衆党とのパイプが極めて細い。しかし頼清徳政権下の立法院では国民党を中心とする野党の勢力が強く、その傾向は当面続くだろうし、台湾政局が今後、混沌とするのは確実である。日本はもっと国民党などへもスコープを広げ、台湾の政権が代わっても台湾との間で持続的かつ安定的に連携できる関係を構築することが求められる。」

(468頁)

5. 若き外交官へ

最後に、日本国内のチャイナスクール批判にも耐えながら、八面六臂に日本の対中外交を支えてきた垂水大使だが、自らの若き時代を「端牌」と評するように、自らが本流でないことを実感してきたという。面白みのない国会答弁作業に日夜従事し、外務本省の卑屈な対中姿勢を前にし、外務省は自分の居場所ではないと転職を考えることもあったという。

そのような鬱屈した時代にもめげず、本人はやがて情報収集と人脈構築としての外交官業務を天命と自覚し、ポスト共産党の中国を遠望し、中国に対しても東京(外務本省)に対しても、したたかに日中知的交流に邁進した。その姿は、まるで、辛亥革命前夜に「中国の明治維新」を熱望し日本から西欧知を逆輸入せんとした若き中国知識人を援けるアジア主義者のようだ。

今日の外務省でも、昔の垂大使のように鬱屈した気分で本省実務にあたる若き外務省員は少なくないだろう。組織の中で仕事をする以上、避けて通れない境遇というものはある。

人間万事塞翁が馬ではないが、垂秀夫という不屈で面白い外交官の物語がある。若き外交官には、歴史的な挑戦を受けている日本の外交・安全保障のために、そして何よりも自分のために、内外の批判にめげず、各々の闘い方を磨いていってほしい。


編集部より:この記事はYukiguni氏のブログ「On Statecraft」2025年11月17日のエントリーより転載させていただきました。