高市首相の国会答弁を発端にして「存立危機事態」をめぐる論争が始まり、中国が報復措置をとるなど、日中紛争に発展しています。
そもそも存立危機事態とは何なのか、なぜこれがいつまでももめるのか考えます。
【出演】
篠田 英朗(東京外大教授)
池田 信夫(アゴラ研究所所長)
■
高市早苗首相の国会答弁をきっかけに、「存立危機事態」をめぐる議論が一気に燃え広がっている。問題は単に一つの失言かどうかではない。日本の安全保障法制の歪(いびつ)さ、中国の対日戦略、日本の政治・官僚システムの限界が、今回の騒動に凝縮されているからだ。言論アリーナの緊急討論では、この点がかなり立体的に掘り下げられていた。
1. 発端は「戦艦」発言と朝日見出し、中国総領事のツイート
騒動のきっかけは、立憲民主党・岡田克也氏の質問に答えた高市首相の国会答弁だった。
高市首相は、海上封鎖を戦艦などで行い、これを解くために米軍が来援し、それを阻止する武力行使が行われる可能性がある、という趣旨の答弁をした。
ポイントは、高市首相は「台湾海峡での封鎖」とは明言しておらず、自衛隊による武力行使に踏み込んだとも言っていないことだ。それにもかかわらず、朝日新聞の見出しは「武力行使もあり得る」といった形で強めに打ち出し、中国側が敏感に反応した。大阪の中国総領事がX(旧ツイッター)上で高市首相に対し暴言を吐いたことで、一気に外交問題へと拡大した構図である。
2. 「政府見解から大きく逸脱せず」だが、言葉遣いが中国を刺激
討論では、高市発言そのものは従来の政府見解から大きく逸脱したものではない、という評価が示されている。
ただし「戦艦」「台湾」といった具体的な単語が出てきたことで、暗黙のうちに「台湾有事」を想定している印象を与えたのは事実だろう、という指摘だ。
高市首相自身も「自分のスタンスを明確にしたい」という意図があり、岡田氏の質問に対して答弁を少し「踏み込んで」発展させようとした節がある。しかし、官邸や官僚側で事態のシミュレーションや対外説明の準備ができておらず、「そこまで踏み込んだつもりはない発言」が独り歩きし、後から火だけが大きくなっていった。
その結果、「言った/言っていない」「一般論だ/台湾を想定している」といった解釈争いだけが残り、事態収拾の手立てが乏しい状況に陥っている。
3. 「存立危機事態」という概念そのものの歪み
そもそも一般の有権者にとって、「存立危機事態」という言葉自体がほとんど意味不明だ。
これは安保法制の際、集団的自衛権をフルスペックで認めることを避け、「一部容認」という苦肉の妥協をした結果生まれた、極めて政治的な概念である。
本来なら「集団的自衛権は違憲ではない」と素直に整理し、具体的な行使は政策判断の問題と割り切ればよかった。しかし、憲法解釈と公明党などとの政治的妥協を優先した結果、複雑な条件付きの法体系になり、法律家・官僚ですら完全に説明しきれない構造になっている。
その歪みが、「存立危機事態とは何か」「どこまでが一般論で、どこからが具体的想定か」といった国会答弁の細部に凝縮され、今回のような炎上をいつでも再生産できる仕組みになっている、というわけだ。
4. 中国は日本の「弱点」をよく研究し、経済で長期的に締め付け
討論では、中国側の反応の質が、13年前の尖閣問題の時とは変わっているという指摘もあった。当時のような激しいデモや目に見える反日キャンペーンよりも、今回は観光客・留学生・水産物など、経済や人的交流の部分をじわじわ絞る「長期戦」の色彩が強い。
背景には、日中経済関係の構造変化がある。今や日本にとって中国との経済的結びつきは「生命線」に近く、一方で中国は日本の法制度や世論、メディア環境までよく研究している。そこで「日本の政治家が危ない議題に触れたがらなくなるように圧力をかける」ことが合理的な戦略になる、という見立てである。
つまり、中国から見れば、日本が安全保障上の重要な意思決定を必要なタイミングでできなくなればそれでよい。日本側が内部矛盾と法解釈の混乱で自縄自縛になり、危機の際に機能不全に陥ること自体が、中国にとっての「成功」となる構図だ。
5. 日本は「触らぬ神」に祈るだけの袋小路へ
最も深刻なのは、日本の政治と官僚機構が今回の騒動から学ぶメッセージが、「構造を直そう」ではなく「危ない話題には触れるな」になってしまうことだろう。
PKOの「駆け付け警護」に象徴されるように、日本の安全保障法制は「できるようなことを言っているが、実際にはどこまでできるのか誰も責任をとって説明しない」という状態が積み重なってきた。現場から見れば、それは「本当の危機が来ないことを祈るしかない」時限爆弾である。
しかし、憲法改正にせよ安保法制の抜本見直しにせよ、今さら議論を始めれば、今回以上の対外的な反発と国内政治の大混乱が予想される。結果として、「今の枠組みを前提に、なんとか誤魔化しながらやり過ごす」以外の選択肢が見えにくい。
今回の言論アリーナは、その袋小路ぶり、そして日本が抱える安全保障上の「構造的弱点」を、かなり冷徹にあぶり出していたと言えるだろう。
高市首相の国会答弁をめぐる炎上は、個人の失点というより、日本の安全保障と法制度、外交の歪みが一気に噴き出した「症状」にすぎない。
問題を首相個人への賛否やメディア批判だけに矮小化すれば、同じような騒動はこの先も繰り返されるだけだ。
本当に問われているのは、「存立危機事態」という概念そのものを含め、日本が危機にどう備えるのかという制度設計の根本なのである。
☆★☆★
You Tube「アゴラチャンネル」のチャンネル登録をお願いします。またSuper Thanksでチャンネル応援よろしくお願いします!!