米トランプ政権が5日発表した外交・安全保障の指針を示す「国家安全保障戦略」(全33頁)が欧州では大きな波紋を投じている。ドイツ連邦議会の副議員団長でキリスト教民主同盟(CDU)の外交政策専門家、ノルベルト・レットゲン氏は7日、「米国は第二次世界大戦終結以来初めて欧州諸国をもはや支持していない」と強調、「米国は欧州諸国への内政干渉も外交政策の目標としている。その目的は、MAGA運動の現在のイデオロギー指針に従って我々の内政に影響を与え、そのために欧州における自由民主主義の内なる敵、ドイツでは極右政党「ドイツのための選択肢」(AfD)と協力することだ。もしこの戦略が成功すれば、欧州連合(EU)はもはや存在しないだろう」と付け加えている。
連邦軍を強化、軍事費を大幅に増額して「欧州最強の通常軍」を目指すドイツ、ドイツ連邦首相府公式サイトから
米国の戦略文書では、EUの現状を米国の利益に対する障害と位置付けている。特に民主主義の欠陥と「表現の自由」への制約を批判し、「政治的反対勢力への抑圧」に言及している。そして「大陸ヨーロッパは、創造性と勤勉さを損なう国内および国境を越えた規制もあって、世界のGDPに占める割合を1990年の25%から現在では14%へと低下させている」と指摘、欧州は文明の消滅の危機に直面していると警告しているのだ。
そして、ヨーロッパが直面するより大きな問題として、「政治的自由と主権を損なうEUやその他の国際機関の活動、大陸を変容させ紛争を生み出す移民政策、言論の自由の検閲と政治的反対勢力に対する抑圧、出生率の急落、そして国民的アイデンティティと自信の喪失」などを羅列し、「現在の傾向が続けば、20年かそれ以内にヨーロッパ大陸は別物と化してしまうだろう。一部のヨーロッパ諸国が、信頼できる同盟国であり続けるのに十分な経済力と軍事力を持つかどうかは、明らかではない」と説明しているのだ。
ここまで言われれば、米国好きな欧州人ですら反発したくなるのだろう。オーストリアの与党、リベラル派「ネオス」の欧州議会議員ヘルムート・ブランドシュテッター氏はXでの投稿で、「ヨーロッパには検閲はなく、誰もが我々のルールを守らなければならない。トランプ氏は報道の自由を脅かし、新聞やテレビ局を訴えている。我々を放っておいてくれ」と荒々しく米国批判を展開している。
同氏の怒りの発端は、イーロン・マスク氏のプラットフォームXへの罰金をめぐるEUと米国の対立だ。EUは、誤解を招くような検証と広告の透明性の欠如を理由に、Xに1億2000万ユーロの罰金を科した。さらに、Xは研究者が法的に義務付けられた公的データへのアクセスを拒否した。それに対し、マスク氏は痛烈なコメントで反論し、JD・ヴァンス米国副大統領は、マスク氏を擁護し、「EU委員会が検閲措置への不参加を理由にXに数億ドルの罰金を科すという。EUは米国企業を攻撃するのではなく、言論の自由を支持すべきだ」と諭しているのだ。
米国の対欧州姿勢は明らかにハンガリーのオルバン首相が率いるフィデス党やドイツのAfDといった右派ポピュリスト政党の強化を狙っている。そのため、トランプ大統領の対欧州政策は欧州内部の分裂を一層深刻化させることになるわけだ。
EU理事会のアントニオ・コスタ議長は7日、米国の新たな安全保障戦略を批判した。ブリュッセルのジャック・ドロール研究所主催のイベントで、「欧州は欧州の政治への干渉の脅威を受け入れることはできない」と述べた。さらに、米国は欧州市民に代わって「どの政党が善で、どの政党が悪か」を判断することはできないと付け加えた。
ドイツのヴァーデフル外相は6日、「NATO同盟における米国は、現在も、そしてこれからも、最も重要な同盟国であり続ける」と強調する一方、「表現の自由や民主主義などの問題に関して誰かが私たちに助言する必要はない」と釘を刺している。
一方、米国の「安全保障戦略」を評価しているのはロシアだ。「米国の文書はロシアの認識と概ね一致している」と指摘している。1945年以降、モスクワがかつての宿敵の安全保障戦略をこのように称賛するのは前例がない。クレムリンは、米国がロシアをもはや「直接的な脅威」とは見なさなくなったことを歓迎している。米国の新たな戦略は、「ロシアを戦略的安定の回復の目標」と位置付けている。
冷戦時代、モスクワは米国を崩壊の運命にある退廃的な資本主義帝国と見なしてきた。一方、レーガン米大統領は1983年、ソ連を「悪の帝国」であり「現代世界における悪の中心」と呼んだ。1991年のソ連崩壊後、モスクワは西側諸国とのパートナーシップを希望した。しかし、1990年代半ばにNATOの東方拡大が始まったことで、緊張は再び高まった経緯がある。
クレムリンのペスコフ報道官は、米国の新たな安全保障ドクトリンに盛り込まれた「NATO軍事同盟の継続的な拡大という概念と実現を終結させるべきだ」という記述を歓迎し、「我々のビジョンと一致している」と述べている。
ちなみに、北大西洋条約機構(NATO)報道官は、米国がNATOの拡大政策に懸念を表明したことに戸惑いを感じている。これは、現在の「門戸開放」原則の終焉を意味するからだ。米国が負担分担の見直しを求めていることについて、「同盟国は、共通の安全保障分野において、防衛への投資拡大と負担のより公平な分配の必要性を認識している」と述べるだけに留めた。
欧州諸国が米国のトランプ政権に対して批判的であり、時には不信感を有していることは良く知られていることだ。欧州とウクライナが参加しない交渉テーブルでロシアのプーチン大統領とウクライナの和平問題を協議する米国に対して、欧州首脳が不信感を吐露していた電話会合の内容がリークされたばかりだ。独週刊誌シュピーゲルによると、マクロン仏大統領は「安全の保証が明確でないまま、領土問題で米国がウクライナと欧州を裏切る可能性がある」と述べたという。欧米間の不協和音は、米国の「国家安全保障戦略」の発表を受け、さらに深まることは避けられない状況だ。
バンス副大統領インスタグラムより
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2025年12月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。