黒坂岳央です。
「育休もらい逃げ」という言葉が、SNSで大きく拡散している。 育児休業給付金を受け取りながら、復職せずに退職する。その行為に対し、「詐欺だ」「残された同僚への裏切りだ」「これから産休を取る人への大迷惑」といった罵詈雑言が浴びせられているのだ。
感情論が先行しているが、まずは冷静に事実を確認しておく必要がある。まるで犯罪のように言われているが、事実として違法行為ではない。 育児休業給付金は、雇用保険料を財源とする公的な保険制度であり、会社が慈悲で支払う給与ではない。要件を満たした労働者が権利を行使し、結果として退職を選択することは、法的に何ら問題のない行為である。
それでもなお、「最初から辞める気だったのに嘘をついた」という「心情的な罪」を問う声は止まない。確かに計画的にそれをされると企業に負担があるのは事実だ。
しかし、計画的な「悪意」によるものは少数派で多くは「不可抗力」だ。厚生労働省「雇用均等基本調査」令和5年度)では、育休終了後の女性復職率は93.2%と高く、退職は約7%のみ。計画的な「もらい逃げ」は少数派なのだ。
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予測不能な「育児の修羅場」
「復職するつもりだったが、できなかった」。これが多くの当事者の偽らざる本音ではないだろうか。筆者は自身の体験から、そう確信している。
自分自身、妻が妊娠した際は、共働きを継続するつもりでいた。夫婦で「パパママ教室」にも通い、育児と仕事の両立について熱心に予習もしていた。
だが、いざ生まれた我が子は重度の「カゼインアレルギー」だった。 台所で牛乳をコップに注ぐだけで、その微細な飛沫に強く反応。掃除のレベルは極限まで引き上げられ、頻繁な通院の日々が始まった。我々夫婦の家系に目立つアレルギー体質はおらず、完全に「想定外」の事態だった(今はほぼ完治)。
このような状況下で妻の職場が、「定時出社絶対」「突発的な欠勤不可」という硬直的な環境にはとても対応できない。
生まれた命を守るための軌道修正を、外野は「計画的な搾取」と呼ぶのだろうか。産前の計画など、産後の現実の前ではあまりにも無力である。その想像力を欠いたまま、個人のモラルを石打ちにする社会は貧しいと言わざるを得ない。
ホワイト企業で「もらい逃げ」は起きない
一方で、筆者の務めていた会社は「復職率がほぼ100%」だった。ありがたいことにホワイト企業で、年収水準も高く、何より「お互い様」の文化と人員的な余裕があった。そこでは、女性社員たちは当たり前のように産休に入り、そして当たり前のように戻っていた。
理由はシンプルだ。「ここを辞めるのが惜しいから」である。 高待遇で、理解があり、働きやすい。子供が熱を出せば早退も出来る。そんな環境を手放す合理的な理由がないのだ。このように環境が整っていれば、出産後も外野がうるさく言わずとも、本人が積極的に戻る。
逆に言えば、「もらい逃げ」が多発する企業は、従業員のモラルを嘆く前に、鏡を見るべきだろう。そこには「給付金をもらってでも脱出したい」と思わせる、魅力のない職場が映っているはずだ。
労働者は、より良い環境を選び取る自由がある。「逃げられた」のではなく、「選ばれなかった」という残酷な市場評価を突きつけられているに過ぎない。
「女性を採用しない」は首を締める
だが正論ばかりで世の中は回らない。この問題に対し、「育休もらい逃げを避けるために、妊娠しそうな若い女性の採用を控える」という防衛策を講じようとする企業が出てくるだろう。
彼らにとってこれは合理的なリスク回避に見える。だが、労働人口が減少の一途をたどる日本において、その選択は企業の「緩やかな自殺」に等しい。
もはや、男性だけの採用に絞って生き残っていけるほど、労働市場は甘くない。労働人口の減少というメガトレンドは、今後の既定路線だ。
「育休後に辞められるかもしれない」というリスクを許容し、人員配置にバッファを持たせる。あるいは、それでも「戻りたい」と思わせる魅力的な組織を作る。その体力と覚悟がない企業は、人手不足という形で市場からの淘汰圧力にさらされ、静かに消えていくことになる。
これは「もらい逃げ」という個人の問題ではなく、企業の新陳代謝を促す「淘汰圧」として機能しているのだ。
「迷惑」の連鎖を断ち切るために
もちろん、すでに働いている現場の同僚への負担は深刻だ。「こんなに忙しいのに妊娠すると迷惑がかかる」という罪悪感は、現役世代の精神を蝕んでいる。 だが、その怒りの矛先を、同じ労働者である「休む人」に向けるのは筋違いだ。誰か一人が抜けただけで機能不全に陥る労働生産性や収益性の低い企業に問題があるのではないだろうか。
「育休=大迷惑」という空気が醸成されれば、出産控えは加速し、少子高齢化という日本の根本問題はさらに悪化する。それは巡り巡って、将来の労働力不足という形で、我々の首を絞めることになる。
◇
法を犯していない個人を「もらい逃げ」と断罪し、留飲を下げるのはもうやめよう。我々が目指すべきは、予期せぬトラブルで誰かが欠けても、「お互い様だ」と笑って回るだけの「余裕」を、企業と社会に取り戻すことである。
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