すべてのSNSはポルノであり、だれもが出演する俳優である。

早いもので師走も半ば、「今年をふり返る」系の企画が増える時期である。光栄なことに、昨年に続いて『文藝春秋』(2026年1月号)の読書欄が、「わたしのベスト3」に起用してくれた。

文学が社会に戻ってきた | 與那覇 潤 | 文藝春秋PLUS
『関係のないこと』上田岳弘/新潮社『他人の手帳は「密」の味』志良堂正史/小学館新書『プロレタリア文学セレクション』荒木優太編/平凡社ライブラリー 文学が社会に戻ってきた年だった。むろん、売上とかの話…

文学が社会に戻ってきた年だった。むろん、売上とかの話じゃない
(中 略)
疫病や戦争など、関心を持たないことは「ありえない」とされる公の領域が生活を埋め尽くし、ファクト以外を「語るな」とされて、私的な感じ方は表に出すのを禁じられる。そんな時代は文学を足蹴にして、いま振り返れば怪しい「科学もどき」の解説ばかりを、垂れ流した。

488頁(強調を付与)

文学とは “あってもなくてもいいもの” の象徴で、その意味で常に不要不急である。なにかあれば真っ先に「要らない!」と言われる。実際、生涯に1冊も小説を、買って読まない人なんてざらだ。

隠蔽された「8割削減」の真実: やはり、それは2度目の "満州事変" だった|與那覇潤の論説Bistro
今年の6月に岩本康志氏(東大経済学部教授)の刊行した『コロナ対策の政策評価』が、反響を広げている。2020年4月、当初は "専門家がエビデンス・ベースで" 発案したように報じられた「接触8割削減」の政策の、完全な無根拠ぶりが立証されているからだ。 西浦博氏の「接触8割削減」は計算違いだった : 池田信夫 blo...

このとき、2つの道がある。あえて言おう、卑小な道高貴な道だ。

卑小な方は、なくたって別にいい文学の領域で「自分だけが助かろう」とするやり方だ。たとえばベストセラーを出せば、ないと困る①ビジネスの領域に “引き上げて” もらうことができる。

ヒット作がなくても、②社会正義の領域への移籍を狙う手がある。小説とか映画とか、どーでもいい趣味の話をくっちゃべってるように見えても、実は「社会を変える実践なんです!」みたいに言い張れば、ドヤ顔できる。

批評と男性性をめぐって 杉田俊介×水上文『男性解放批評序説』刊行記念対談|HB ホーム社文芸図書WEBサイト
批評家と聞いてまず思い浮かべるのは、やはり男性のイメージになる方が多いでしょうか。 杉田俊介さんの新刊『男性解放批評序説 フェミニズム・トランスジェンダー・メンズリブ』は、〈男性特権にどう向き合うか〉〈弱者男性論は差別的か〉〈痛みを消さない男性学はあり得るか〉などの問いに真摯に向き合った批評集です。そして男性学視点の本...

要するに、

①「小説なんて要らないけど、私は〇万部売れて映画になって、×万円ぶんGDPを押し上げたじゃないすかぁ?」

②「批評なんて要らないけど、私が論じるのを読めばSDGsとダイバーシティの考えが広まるじゃないすかぁ?」

な人たちは、文学の中でも “私だけは” 要にして急なんで、助けてください、と言ってる点で共通する。①は資本主義に肯定的、②は批判的という「右と左のイメージ」は、見せかけだけのニセモノで、本質的な対立はない。

年間読書人氏が、前回の拙稿に応答してまとめてくれたが、そんなニセモノ・カーニバルのうさんくささが、2020年代の読書界には立ち込めていた。先月末の「令和人文主義」をめぐる炎上は、溜まったガスにマッチを放ったようなものだ。

令和人文主義≒谷川嘉浩≒反教養主義≒三宅香帆≒北村紗衣≒キャンセルカルチャー≒オープンレター≒小林えみ…etc、という「隠された連環」|年間読書人
つい最近知った流行語(?)「令和人文主義」について、昨日一文を草したばかりだが、今朝になって、与那覇潤が私の記事を紹介した「note」記事をアップしているのを知った。 ・やはり、令和人文主義の正体は "キャンセルカルチャー2.0" だった。 タイトルに「令和人文主義」が入っているので、てっきり、紹介された私の記事...

では、ぼうぼうと燃えた「自分だけ助かろう主義」の卑小さと異なる、高貴な道とはなにか?

ひとりで “よその領域” に逃げ出すのじゃなく、いつも不要不急で、公共的じゃなくて、「あなたの感想ですよね~?」みたく毎日嗤われる “文学の領域” そのものを、まるごと救おうと努める道だ。それこそが、連帯である。

ファクトチェックにさよならを: ふだんの歴史は "嘘" でいい。|與那覇潤の論説Bistro
集英社系の教養サイトimidasに、作家の上田岳弘さんとの対談が載りました。どちらも同じ1979年生で、ともに体験した「昭和のおわりから令和まで」をふり返る歴史トークにもなっています。 AI時代における知性とは?【対談】上田岳弘×與那覇潤  新作『関係のないこと』(新潮社)でコロナ禍を経ての社会の空気感を捉...
令和の大学教授は "ルー大柴" になり、そしてみんな信じるのをやめた。|與那覇潤の論説Bistro
お休みしていた『表現者クライテリオン』での連載「在野の「知」を歩く」が、ようやく復活! 先週末に出た9月号で、在野研究者と言えばこの人! の荒木優太さんと対談しています。 荒木さんのYouTubeではすでに、2分強でのPR動画も公開! ぜひ、再生して下さいましたら。 在野で研究する人は昔からいましたが(ていうか...

ベスト3には、今年ご一緒する機会に恵まれた①上田岳弘さんの短編集『関係のないこと』と、③荒木優太さんの編んだ『プロレタリア文学セレクション』を挙げた。が、もちろん会わないと連帯できないなんてことは、ない

真ん中でとりあげた2冊目、文字どおり(ぼくが無知なのかもだけど)まったく知らない著者から送られてきた、②志良堂正史『他人の手帳は「密」の味』が、実は今回のメイン。

手帳類図書室

控えめに言って、驚くべき本だ。上のリンクのとおり、別に著名人じゃないパンピーのつけた手帳や日記を収集し、公開する図書室がある(有料)。なぜそんなことを始めたか、その哲学を、創業者自身が書き下ろしている。

一億総SNS社会の現在ほど、”個人” でいることが難しい時代はない。「個人的には…」と断ってネットになにか書くとき、実は誰もが他人の目線を意識しているからだ。芸能人がわざわざ公開する “プライベート” のように。

ほんらいなら私秘的な性行為を、あえて “人前” でやることでアテンションを稼ぐ手段がポルノだけど、いまやすべてがポルノになっている。内心で支持すれば足りることまで「推し活」と称して表に出すのも、要は感想のストリップ劇場だ。

——と、ぼくなら皮肉る事態を、志良堂氏は “私” の消えやすさ(fragile)として繊細に描き出す。

他人の手帳は「密」の味 | 書籍 | 小学館
◎尾崎世界観さん(クリープハイプ)推薦!「他人の手帳の中にいる誰でもない誰かが、『私』が何者か教えてくれる、とこの本が教えてくれる」記録のための日記だけでなく、…

何かの作品を見たときに浮かんだ自分ならではの感情や感想は脆いものだ。定着する前に他人の感想を見聞きすることで、いとも簡単に上書きされてしまうし、
(中 略)
長い時間をかけて温めていたアイデアや信念も、時にフラジャイルだ。公開してリアクションやコメントを受け取れば、それがポジティブな助言だったとしても、何らかの変容を受ける。それを避けるには、公開せず自分の胸の内に秘めておくしかない。

志良堂著、234頁

だから本人しか読まないことが前提の手帳の中にしか、ポルノ化のフィルターをスキップできる場所がない。かつては 文学” の読み解きもまた、近い体験を提供したかもだけど、いまや推し活ハウツーが “批評” と錯覚される時代だからだ。

批評の教室 北村紗衣著 「推し活」に役立つ技術指南 - 日本経済新聞
SNS(交流サイト)の隆盛で、本や映画の感想を誰でも簡単に発信できるようになった。より充実した内容を発信するために批評技術の基礎を学びたいという需要を取り込んだのが『批評の教室』(ちくま新書)だ。3万部でヒットと言われる新書で、昨年9月の刊行から5刷3万2500部となっている。「想定していた読者と違った」と編集を担当し...
「やばい」ばかりの感想はもう卒業! "推し"を自分の言葉で語るためのテクニック | AERA DIGITAL(アエラデジタル)
 "推し活"という言葉が世代を超えて広まりつつある昨今。自分の好きなものを愛でたり応援したりする中で、その魅力を言語化して発信したくなることは少なくないだろう。...

①感染症の抑止や被侵略国の支援と、②抑止や支援を「私はしてます!」と公言するのとは、別のことだ。ほんらいは①があって②に進むのだが、SNSがすべてをポルノにする社会では、②をやりたいから①にベットする順序の倒錯が起きる。

メディアがポルノスターの絶頂演技を流し続けた2020年代、ぼくらが忘れてしまったのは、相手と「密」な関係に入り、素顔で触れあうときの手触りだった。それを取り戻すためのリハビリこそが、来年からの課題だろう。

ウクライナ浪漫派の耐えられない猥褻さ|與那覇潤の論説Bistro
今年に入って2回、お会いした相手から「江藤淳のこの文章、いまこそ大事ですよね」と切り出されて、驚いたことがある。ひとりは『朝日新聞』で対談した成田龍一先生で、もうひとりはいまアメリカで取材されている同紙の青山直篤記者だ。 文章とは、江藤の時評で最も有名な「「ごっこ」の世界が終ったとき」。初出は『諸君!』の1970年...

Webでは有料の部分なのでこっそり貼るけど、「わたしのベスト3」の末尾は以下のとおり。連載陣から22名が寄稿する年末回顧が、どうか、多くの人の年越しを豊かにしますように。

コロナやウクライナやガザをめぐり、公の場で正しいとされた言論が、わずか数年でいかに薄っぺらで、再読の価値もなく映ることか。それらに何が欠けていたかを、三冊の「文学書」は私に教えてくれる。

前掲『文藝春秋』2026年1月号、488頁

参考記事:

「歴史の復讐」が世界を揺るがした2024年を送る|與那覇潤の論説Bistro
発売中の『文藝春秋』2025年1月号の読書欄は、年末恒例の「今年の3冊」特集。私も隔月コラムの担当者として、寄稿しています。 民主主義VS伝統の復讐 | 與那覇 潤 | 文藝春秋 電子版 『それでもなぜ、トランプは支持されるのか』会田弘継/東洋経済新報社『ロシアとは何ものか』池田嘉郎/中公選書『戦う江戸思想...
やはり、令和人文主義の正体は "キャンセルカルチャー2.0" だった。|與那覇潤の論説Bistro
まるで80年前の日本のような焼け野原に終わった「令和人文主義」の炎上だったが、"戦争の反省" と同様、追及を中途半端にしてはならない。そこにはこの数年間の、人文学をダメにした潮流が詰まっているからだ。 第一にコロナ以降の混乱では、「人文学は高尚な趣味なんで」と世の中に何も言わないくせに、平時に戻り自分の本が売れるや、...

(ヘッダーは、私生活がポルノになるデジタル社会を予見した映画より)


編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年12月15日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。