黒坂岳央です。
「常に誰に対しても誠実でありたい」 これ自体は大変素晴らしい考えだろう。だが、残酷な現実として、365日24時間、関わるすべての人に対して「いい人」であり続けることは大変難しい。
誤解のないように言っておきたいのは、筆者は相手をないがしろにしろと言っているのではない。「誰に誠実であるか?」という冷酷な選択も時には必要という現実的な話だ。
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「誠実さ」とは何か
そもそも、「誠実さ」とは何を指すのか。答えはシンプルだ。「言行一致」である。 要するに、言っていることとやっていることが同じである状態を指す。
世の中を見渡せば、この逆を行く人間がいかに多いかがわかる。口では「顧客第一」と謳いながら裏で不正を働く業者や、「夢は叶う」と美辞麗句を並べながら平気で嘘をつくインフルエンサー。彼らの言葉と行動は常に乖離している。
世の中、全員に好かれることは不可能だが、嘘や不義理を働けば「全員から嫌われる」ことは十分あり得る。
社会的信用における誠実さとは、嘘をつかず、約束を守ることだ。 裏を返せば、守れない約束は最初からしない。
「相手の頼みを断るなんて」と一見、不誠実に見えるかもしれないが、出来もしない約束を軽々しく口にする方がよほど罪深い。特にビジネスにおいて、過剰なリップサービスで相手に無駄な期待を持たせることは、最も不誠実な行為である。
実際、筆者に企業案件が来る時もフルコミットできない案件は「申し訳ありませんが…」と断っている。「言行一致」こそがプロフェッショナルの誠実さなのだ。
誠実さはコストである
仕事において「取引先の信用を裏切らない」という誠実さは必要だ。だが、忘れてはならないのは、その誠実さを維持するには莫大なコストがかかるという事実だ。
納期を守るために、時には睡眠時間を削る必要があるかもしれない。品質を担保するには利益を削る必要がある。言行一致を貫くには、自身の時間、労力、金銭といったリソースを常に払い続ける必要があるのだ。つまり、誠実さとは「無料(タダ)」ではないのだ。
そして問題が、世の中に存在する「テイカー」や「生粋の悪人」の存在だ。 彼らは、他人のリソースを吸い取ることに躊躇がない。
特にテイカーは相手の時間や資金に気が回らず、意図せず相手からテイクしていることがほとんど。不義理を指摘すると逆上することもあるので、上手に回避するしかないのが現実だ。
「最初はお試しとなるけど、この件でうまくいったらぜひ次はもっと大きな案件をお願いしたいので」
このセリフを信じた独立直後のピュアな自分は、何度もタダ働きをすることになった。今考えると相場感がない自分が悪く、相手に悪意があったとは限らない。ただ、同じような話を何度も耳にしたので、決して珍しいケースではないのだろう。
もし嫌われることを恐れて、八方美人的に「誠実さ」を無差別に配ってしまったらどうなるか。 彼らは言行一致につけ込み、時間や資金などの経営資源を骨の髄まで吸い尽くす。そうなれば本来、誠実であるべき大事な相手に対応する余力がなくなる。
誠実な人間が損をするのではない。「八方美人的に、誠実さをただで配る人間」が損をするのだ。
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今回の話は特に中小企業において、顧客の絞り込みは基本中の基本、千客万来の姿勢は最も損をする。
ターゲット顧客以外には売らず、売るべき顧客にはしっかりとフルサポートをする。その選別に罪悪感を持つ必要はない。それこそが届けるべき相手にしっかりとした商品サービスを届けるための誠実さといえる。
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