ジェームズ・ワトソン博士との思い出

DNAの二重らせん構造を解明し、のちにノーベル賞を受賞したジェームズ・ワトソン博士が11月6日に97歳で亡くなられた。われわれのような遺伝子を研究している者にとっては神様のような存在だ。しかし、私にとっては、シカゴ大学卒業生という意味で親近感がある。

ジェームズ・ワトソン博士 Wikipediaより

おそらく日本人でゆっくりとワトソン博士と話をする機会があった研究者はあまりいないだろう。私は1987年にユタ大学在学時に初めてお会いしてから5、6度お会いして話をしたことがある。

ワトソン博士はゲノム研究推進者のひとりであり、当時ユタ大学で進めていたDNA多型マーカーによる遺伝的染色体地図作成の重要性に関する最大の理解者だった。ユタ大学のこのプロジェクトの評価委員でもあり、早く染色体地図を作るようにと応援していただいた。私はDNAマーカーを準備する責任者として評価を受けたが無茶苦茶緊張していたことを記憶している。

この遺伝的染色体地図は、遺伝性疾患の原因に関して、何のヒントがなくても、遺伝性疾患の患者と家族の血液(DNA)があれば、多型マーカーの情報をもとに原因遺伝子にたどり着くことができるポジショナルクローニング(位置=ポジションを手掛かりに原因遺伝子を見つける手法・逆遺伝学とも呼ばれる)ができるのだ。

ユタ大学在籍当時、私はこの多型DNAマーカーを見つける責任者であり、これらを利用して全染色体をカバーできる遺伝的地図を作製した。それまでは、ポジショナルクローニングは理論的なものであったが、これらのマーカーの利用が可能になってポジショナルクローニングの有用性が実証されたのだ。

ユタ大学で2回目にお会いした時には、マーカーをたくさん見つけたことで少しお褒めの言葉をいただいた。誇らしい気持ちだった。次にお会いしたのが、1993年にBanbury Center で開催された“Polygenic Basis of Cancer“会議だった。これはワトソン博士が設立したCold Sprong Harbor研究所の主宰する少人数の会議だ。Eric Fearonがオーガナイザーを務めた会議で、私のセッションにはCurtis Harris、Steve Friendとがん研究の歴史に残る人たちが一緒だった。

次にお会いしたのは2004年にCold Sprong Harbor研究所で開催された国際HapMapプロジェクト会議だ。この会議の顛末は以前にも書いたが、会議の場で示された地図に日本列島がなく(ニュージーランドはあった)、プロジェクト参加国に対して失礼だとオーガナイザーに食って掛かったことが強く印象に残っている。

プロジェクト代表のフランシス・コリンズ博士が失礼を詫びてくれたので怒りの矛を収めたが、地図を示した研究者は悪びれた様子もなかった。今でも、クソッタレと思っている。私の後方に座っていたワトソン博士は、席を発って出ていこうとする私を唖然として眺めていたが、あとで慰めてくれた。

ワトソン博士は2007年に人種差別発言をしたことが問題視されて所長を辞めたが、2008年に日本学術振興会に招かれて来日した。その際に名指して私に会いたいと言われて、東京大学の教授室で2時間も話し込んだ。がんに対して高い関心を示していたことが印象的だった。

その夕刻、パーティーに参加した際、ワトソン博士に手招きされ、近づくと、「私ののどを調べて欲しい」と言われた。理由を聞くと、昼寝中に鼻血が出たので診て欲しいとのことだった。博士の部屋に行き、非常用のライトをつけ、スプーンで喉の奥を診察した(と言うほどのことでもないが)。枕についていた血液も少量だったので、重篤なことでないのは予測できたが、「大丈夫です。何も異変はありませんよ」と答えた時の、博士のかわいい笑顔を今でも覚えている。こんなエピソードも懐かしい。

そして最後にお会いしたのが、2010年に上海近郊に設立されたCold Sprong Harbor Asia研究所設立記念として開催された1st James Watson Cancer Symposiumにおいてだ。中国にCold Sprong Harbor Asiaが設立されたことはショッキングなことだった。中国の戦略的な取り組みと、日本の存在感の低下を象徴することだと感じたからだ。

ワトソン博士との思い出で、最も鮮烈に覚えていることは、このシンポジウム冒頭での博士の強烈な一言だった。「Not study cancer, but cure cancer!」。私が翻訳すると「いつまでがんの本態を知るとか言っているのだ!四の五の言わず、がんを治せ!」となる。今でも通用する一言だ!

これまでのワトソン博士の医学・生物学分野での功績は言を俟たない。心より、ご冥福をお祈りしたい。


編集部より:この記事は、医学者、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のこれでいいのか日本の医療」2025年12月21日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。