ジーンズ全面推しの町、倉敷市児島を廃線跡とともに歩く

岡山駅から瀬戸大橋線に乗って児島に来ました。倉敷市の南部にあって、この駅から南はJR四国の管轄。まもなく瀬戸大橋に架かるという場所です。瀬戸大橋線は何度も乗っていますが児島で降りるのは初めて。岡山出張で来たのですが、仕事は午後からなので午前中ふらっと散歩しに来たのです。

児島駅を降りてまず目に入ったのはジーンズ柄の自動販売機。

そしてジーンズ柄のエレベーター。のっけからジーンズ推しということがわかります。

駅の階段もジーンズ。

コンコースにもジーンズ。

駅前広場も幸せの黄色いハンカチならぬ、インディゴカラーのジーンズが私を出迎えてくれました。これでもかというジーンズ推しの町です。

児島は国産ジーンズ発祥の地として知られています。瀬戸内に面した児島は塩分を含んだ土地が多いため米ができず、綿花を栽培していました。そのため繊維産業が盛んになり帆布や学生服の市場を席巻していました。ところが1950年代後半になると合成繊維が市場に出回るようになって学生服は木綿から合成繊維のテトロンにとってかわり、児島の学生服産業は弱体化していきます。

そこで目をつけたのがジーンズでした。繊維産業に加え、この地域は藍染も盛んな地域だったも追い風となり、苦労はしたものの1965年に国産第一号のジーンズを販売。児島を含めた岡山、広島東部地域は以後60年にわたって日本の市場を独占するジーンズの生産地であり続けています。

ジーンズストリートの案内看板。ジーンズで歩く方向を示してくれています。なんともおしゃれですね。

ジーンズの生産を始めて60年。今はこれだけのショップが店を構える、その名に偽りのない「ジーンズストリート」を形成しています。

こちら、BIG JOHNは児島でジーンズ生産を始めた先駆者。今でも国産ジーンズといえばBIG JOHNと言われるほど高い品質を誇るジーンズの生産を続けています。

このほかにも少し歩くだけで何店舗ものおしゃれなジーンズショップに巡り合います。ジーンズの知識があればここで蘊蓄を語ることができるんですが、あいにくファッションに疎いもので見ていて楽しい、という言葉しか思いつきません。残念。

公衆トイレもジーンズ。めっちゃおしゃれ。

ジーンズストリートのメインストリートにもジーンズがのぼりのように掲げられています。マンホールにもジーンズストリートのエンブレムがあって、町をあげてジーンズの町を盛り上げているのがわかります。

消されてますが「富士銀行」の文字がうっすら見えます。

ジーンズストリートは新しくできたジーンズショップだけではなく、かつて塩田で栄えた児島の片りんを垣間見ることもできます。こちらは旧富士銀行味野支店。大正時代の銀行はこのような気品の漂う西洋風のデザインのものが多くありますが、こちらもその例に倣ったギリシャ神殿風のデザインになっています。このほかにも児島には旧中国銀行もあって、塩田の財を成した資産家が多く集まっていたことをうかがわせます。

その最たるものが野崎家。その旧宅はジーンズストリートのもっとも奥に位置しており、一般に開放されています。ただ、残念ながらこの日は月曜日で定休日。しかも映画の撮影が行われていて中をのぞくことがかないませんでした。残念!

蔵が見える!

先ほど映画の撮影と言いましたが、旧野崎家は数々の映画のロケ地になっています。2023年公開、菅田将暉さんや原菜乃華さんらが出演した「ミステリという勿れ」は私が大好きな作品なのですが、その舞台も旧野崎家。ミステリの中心的な役割を果たした蔵が向こうにちらっと見えました。映画好きだっただけに中に入りたかった。また児島に来る理由ができました。

ジーンズストリートからの帰り、時間があったのでもうひとつ寄ってみたい場所に立ち寄りました。旧下津井電鉄児島駅。児島から沿岸部の下津井を結んでいた鉄道で、1990年限りで廃止された鉄道の廃駅です。かつては国鉄宇野線の茶屋町から分岐していましたが、茶屋町ー児島間が廃止になってからはJR(国鉄)と接しない私鉄として知られていました。

なお、旧下津井駅周辺を訪ねた記録はこちらのブログに残しています。

93 ン十年思い望んでいた鷲羽山に登り瀬戸大橋を一望する|ミヤコカエデ(Miyako Kaede)
憧れの鷲羽山制覇! 私が小学生のころ(つまりン十年前)、鷲羽山という関取さんがいました。結構強い印象で、確か関脇くらいまで行ったと思います。 そのころは北の湖全盛時代と記憶していますが、鷲羽山、という四股名が格好良かったからか妙に印象に残っていて、それが岡山の瀬戸内にある山だと知ってからはいつか行ってみたい、と思う...

ここには車体は残っていませんが、ドーム型の立派な構内はそのまま残されていました。ここから先、下津井まで廃線跡は「風の道」という遊歩道として残されています。

旧線路側から児島駅跡を望む。

下津井電鉄は今では珍しいナローゲージ鉄道でした。平成に入るまで、ここを小さな車体を揺らして乗客を運んできました。

架線を渡した電柱や柵は今でも残り、かつて鉄道がここにあったことを示してくれています。この日は半日授業だったのか、地元の中学生がここを通って下校していました。彼らはここに鉄道が走っていたことを知りません。場合によっては親も知らないかも。時の移り変わりを感じます。

数百メートルほど歩いて隣の駅跡、旧備前赤崎駅までやってきました。多くの廃線は跡形もなく消えてしまうのですが、ここではホームもしっかり残っていて保全に努めてくれているのがうれしかったです。この先もいってみたかったんですが、そろそろ戻らないと仕事に送れるのでJR児島駅に戻ります。

児島のゆるキャラ「Gパンダ」が出迎えてくれました。繊維業で栄え、ジーンズの町として60年を歩んできた児島。ジーンズストリートは多くの店が軒を連ね、ジーンズ全面推しの活気のある町に成長してきました。ジーンズに興味のある方は、塩田で栄えた歴史もたどりつつ、ぶらりと歩いて見てもらいたいと思います。


編集部より:この記事はトラベルライターのミヤコカエデ氏のnote 2025年12月24日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はミヤコカエデ氏のnoteをご覧ください。