黒坂岳央です。
筆者は若い頃、「中年はたいてい、いつもなぜか不機嫌そう」と思っていた。でも少数ではあるが、ご機嫌な人もいた。そしていざ、自分が中年になるとその正体が分かった気がするのだ。
中年期から他者の些細な逸脱も許さない「神経質な頑固者」への道を歩む人も入れば、そしてもう一方は、適度に肩の力を抜き、他者に対しても自分に対しても寛容になる「上手に丸くなる人」への道がある。
この分かれ道はどこにあるのか。筆者の独断による考察をしたい。

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面倒な中年の正体
中年から面倒になる人はどうなっているのか?一言で言うと、年齢を重ねるたびに譲れない「マイルール」が増えていくことにあるだろう。
たとえば仕事のベテランは前例踏襲主義で、新人は新しいやり方にしたい、みたいな時に衝突が起きる。ベテランは「これまでずっと同じやり方で問題がなかったからこれでいい。自分が経験者なので言う通りにしてほしい。変えたくない」みたいなことを言いだすのだ。
でも、否定するにしても本来は根拠が必要なのだが、それを出せない。「自分のルールを優先したい」という感情論である。
日常生活や食事、家事などありとあらゆることにマイルールがドンドン増えていき、いざそのルールを変える必要があると強く反発したり、いきなり不機嫌になってしまう。こうして社会性がなくなると「あの人は取扱いが難しい」と敬遠されてしまうわけだ。
丸くなる中年の正体
ではその逆に丸くなる中年の正体を考えたい。
ズバリ、ぶつかりすぎて角が取れて丸くなった中年である。若いうちは、誰しも自分の正当性を主張し、理不尽に対して憤りを示すことにエネルギーを割くことがある。
だが、仕事や人間関係などあちこちでぶつかる内に「これはスルーした方が合理的だな」と学習していく。上述したマイルールもあるにはあるが、「一人の時はこだわりを出してもいいが、周囲に人がいる時は相手に合わせて柔軟に対応しよう」と考えるようになっていく。
稚拙な承認欲求を出すほど若くもないが、筆者自身がこのプロセスを経て今の人格になったという感覚がある。若い頃はとにかく触れると爆発する爆弾みたいな人間であり、瞬間湯沸かし器のようによく怒り、人とも衝突をしていた。
しかし、今は怒らなくなった。筆者が怒っているところを見た人はいないだろう。仕事を通じて、一時的な感情を優先すると損をすることを学んだことも大きいが、もっとも強力だったのは以前にも書いた通り「育児」である。
年末年始は親戚の子も集まって、たくさんの子供たちを束ねる役割を担ったのだが、泣きだしたり、ケンカしたり、冷蔵庫開けたりと大変な騒ぎになってなだめ役になった。また、普段から子供たちと触れ合っていると、「こだわりのマイルール」は都合よく出したり引っ込めたりしないと持たない。
昔は「絶対にこのやり方、この順番で進めるべきだ!」と憤慨していたことも、「まあ、別に死ぬわけじゃないから多少変わってもいいか」と笑顔でスルー出来るようになった。
フィードバックを「攻撃」ではなく「検証」と捉える
また、長く生きていれば人から間違いを指摘されることもある。特に筆者のように記事や動画を出していると、どうしてもそれは避けられない。
加齢とともに頑固になる人は、他者からの指摘を「自分への攻撃」や「人格否定」と誤認しがちだ。しかし、丸くなる人は「自分は常に間違っている可能性がある」という前提を持っている。自分自身もそうだ。「自分は正しい!」なんて全く思わないので、間違いを指摘されたら「なるほど、まず確認してみよう」と検証する。
そこで自分の誤りであれば感謝を示して修正すればいいし、相手の勘違いでも見直すきっかけになってよかったと考えればいい。何より、わざわざ時間を割いて指摘をくれたことに感謝した方が精神衛生上良いだろう。
このような思考プロセスが習慣化すると、感情の摩耗は劇的に減る。
◇
「相手には丁寧に、自分には戦略的にあえて鈍感に」
このバランスこそが、中年以降の人生を軽やかに、かつ重厚にするための最適解である。外側に向かっては礼節を尽くし、内側に向かっては不要なノイズを遮断する。いつも笑顔でご機嫌な中年を目指したいものである。
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