左:小川晶・前橋市長(Wikipediaより)右:田久保眞紀・前伊東市長(後援会公式HPより)
同じ不祥事、同じ女性首長、しかし結果は真逆だった。
二つの出直し市長選が対照的な結末を迎えた。前橋市長の小川晶氏は「ラブホ密会」報道で辞職後、再選を果たした。一方、伊東市長の田久保眞紀氏は学歴詐称疑惑で不信任を受け、出直し選で惨敗した。
なぜこれほど結果が分かれたのか。両者を比較すると、危機管理における決定的な差が浮かび上がる。
命運を分けた初動対応
最大の分岐点は初動対応にあった。小川氏はラブホ密会報道が出た直後から「軽率だった」「申し訳ない」という姿勢を崩さなかった。男女関係は否定しつつも、ラブホテル利用という事実は認め、弁解より謝罪を優先した。
不信任決議が提出される前に自ら辞職を選んだことで、「追い込まれた」ではなく「自ら責任を取った」という印象を作ることに成功している。
田久保氏は対照的だった。疑惑を否定し続け、「卒業証書らしきもの」を議長に見せるという中途半端な対応を取った。証書を公開すれば偽造の疑い、公開しなければ隠蔽という二重拘束に自らを追い込んでしまった。
「確認不足だった」と早期に謝罪していれば、政治生命を絶たれるほどの事態にはならなかった可能性がある。あなたが有権者なら、どちらの対応に誠実さを感じるだろうか。
不祥事の質と実績、そして戦略
不祥事そのものの性質も大きく異なった。ラブホテルでの密会は確かにスキャンダルだが、「男女の関係があったかどうか」は当事者以外には確認しようがない。
プライベートの問題として片付けられる余地が残されていた。学歴詐称は「公的な嘘」である。選挙公報に記載された学歴は有権者が候補者を判断する公式な材料であり、「卒業」と「除籍」は客観的に確認可能な事実だ。グレーゾーンは存在しない。
実績の有無も明暗を分けた。小川氏には1年9ヶ月の市長在任期間があり、給食費無償化や子育て支援策など具体的な政策を形にしていた。
「不祥事を起こしたが、仕事はしていた」という評価が可能だった。田久保氏は当選からわずか1ヶ月で疑惑が浮上し、実績という防波堤がない状態で嵐に直撃された。
選挙戦略も対照的だった。小川氏は短期決戦を選び、対抗馬が準備を整える時間を与えなかった。田久保氏は議会解散を選択し、過去最多の9人が立候補する激戦を招いた。約1億円の選挙費用が発生したことで「自己保身のための権力濫用」と映り、市民の怒りを買った。SNSでも小川氏が謙虚さを前面に出したのに対し、田久保氏は「偏向報道に泣かされた」と被害者意識を滲ませ、心証をさらに悪化させた。
「許せる失敗」と「許せない嘘」
危機管理の観点からは、小川氏の対応が教科書的に正しかったことは間違いない。初動で謝罪し、先手を打って辞職し、謙虚な姿勢を演出する。PR戦略として完璧だった。しかし、それは「テクニックで不祥事を乗り切れる」ということでもある。
有権者がイメージ戦略に動かされ、「謝り方」や「見せ方」で判断を下している現実があるとすれば、それは民主主義として健全なのか。
一方で、田久保氏の学歴詐称は「選挙公報への虚偽記載」であり、有権者を欺く行為である。これは小川氏のプライベートな問題とは本質的に異なる。公職者としての信頼の根幹に関わる嘘をついた人間が、どれだけ危機管理がうまくても許されるべきではない、という見方もできる。
結局、両者の明暗を分けたのは「不祥事の質」が最も本質的な違いだったのではないか。危機管理の巧拙は二次的な要因に過ぎず、有権者は案外冷静に「許せる失敗」と「許せない嘘」を見分けていたのかもしれない。
小川氏の再選を「テクニックの勝利」と見るか、「有権者の合理的な判断」と見るか。この問いに対する答えは、私たちが政治家に何を求めるかによって変わってくる。清廉潔白な人格か、それとも政策を実行する能力か。二つの出直し選挙は、その問いを有権者一人ひとりに突きつけたのである。
尾藤克之(コラムニスト、著述家、作家)
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