戦後政治の "見果てぬ夢":令和に「中道結集」は実現するか

高市政権が発足した直後の昨年10/21に、政治学者の牧原出氏がインタビューでこう言っていた。

インタビュー:高市新政権、「なんちゃって連立」で変わる政策決定プロセス=東大・牧原教授
東京大学先端科学技術研究センターの牧原出教授はロイターとのインタビューで、日本維新の会をパートナーに選んだ自民党はより右寄りの「右派政党」に変貌し、公明党との連立政権時に比べて安定度が低下する可能性が高いとの見方を示した。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの客員研究員などを務め、政治家と官僚による政策決定プロセスの...

野党にとってはチャンスでもある。立民が自民に取って代わるような中道政党に変貌すれば、政権交代が可能になるかもしれない。これまで立民は共産党に頼っていたが、……共産の組織票に頼って左の政策に縛られなくてもよくなった。

国民民主、公明と連携する選択肢に現実味が出てきた点は、中道路線を探るうえで非常に大きいことだ。

強調と改行を追加

それは「社公民」と呼ぶんですよ! と、目にしたときから思ったものだが、海外の通信社の取材なので、あえて戦後日本にローカルな語彙は使わずに語ったということかもしれない。

で、ご存じのとおり高市首相が「なんちゃって解散」を決めたことで、立憲民主党と公明党の合併・新党が噂され、税制の約束を食い逃げされた国民民主党も、自維政権と距離を置き始めた。

立憲と公明が新党結成へ調整 野田・斉藤共同代表案も 15日議員総会 | 毎日新聞
 立憲民主党と公明党が次期衆院選で、新党結成も視野に入れて協力する調整に入った。公明が小選挙区で斉藤鉄夫代表(広島3区)ら現職も含めて擁立せずに立憲側の候補を支援し、比例代表での擁立に絞る案が浮上している。新党が結成された場合でも、参院側の立憲、公明はそのまま存続させる案のほか、立憲の野田佳彦代表と
国民・玉木代表「経済後回し解散だ」 首相の衆院解散方針を批判:朝日新聞
 国民民主党の玉木雄一郎代表は12日、高市早苗首相が23日召集予定の通常国会冒頭で衆院解散を検討しているとの報道を受けて、「(当初予算案の)年度内成立ができないタイミングでの解散なら『経済後回し解散』…

戦後昭和の構図になぞらえると、立憲は社会党、国民は民社党の立ち位置だから、これは1970年代に「社会・公明・民社」の提携で非自民政権をめざした時代の再来である。

昨夏の対談で河野有理さんに教わったのだが、当時保守の側でこれを真剣に受け止めたのは、読売の政治記者で中曽根康弘の参謀も務める渡邉恒雄氏だった。田中角栄内閣の末期(1974年11月)に出た『保革連立政権論』には、こうある。

ふたたびの「真空総理」が、分断の時代を救うのかもしれない。|與那覇潤の論説Bistro
歴史の流れを正しく見通すのは、難しい。 いま「二大政党制」がなぜ振るわないか、という記事を先月書いたが、若い人はそんなのそもそもあったんすか? と感じただろう。長い安倍晋三時代(2012-20)のあいだ、自民党に対抗できる規模の野党など、想像もできなかったからだ。 だけど平成のなかばまでは、「日本の二大政党化」こそ...

「保守」と「革新」との間の決定的対立は、日米安全保障条約と自衛隊の処理の問題に帰着する。自衛隊については、「革新政党」の多くが「即時解体」できるとは思っていない
(中 略)
「革新」の側に、財源のない政策主張を封ずる道は、唯ひとつしかない。政権の一端をになわせ、政策を実施するための財源について共同責任を持たせることである。つまり「保革連立政権」を作ることである。

渡辺恒雄著、ダイヤモンド社
146・152頁

1974年7月の参院選で、田中自民党は金権選挙に走るも敗北し、当初は過半数を失った(追加公認で回復)。ナベツネ氏は革新のみでの政権奪取は信じなかったが、自民党ハト派と野党の現実派の「保革連立」なら、将来あり得る情勢と見た。

むろん自民党のタカ派は、面白くない。でも、なら党を割って、自民より右の第二保守党を作れば、有権者の選択肢が広がる。中川一郎や石原慎太郎らの「青嵐会」に、渡邉はそう促している。

保守二党化は一時的な政局不安定を招くだろう。しかし「政治不信の増大」という犠牲による政局安定よりは、一時的な政局不安定による国民の政治不信の解消の方が望ましい。政府党内にあって “倒閣” を言うよりは、保守新党を作って国民に信を問う方が堂々としているではないか。

上記書、176頁

1974年、国民集会での石原慎太郎
読売新聞より

で、ご存じのとおり、元自民党のリベンジ議員をどんどん受け入れる参政党と、往年の安倍晋三ファンが集う日本保守党が、いま政権より右にある。ざっと50年くらい遅れて、ナベツネ氏の予想に現実が追いつきつつある。

「じゃあなんで半世紀も遅れたんすか?」ってなるわけだけど、その理由は例によって、”なんでも書いてある本” にぜんぶ載っている(笑)。いま改めて、箇条書きでまとめると——

平成育ちによるはじめての決定版平成史『平成史―昨日の世界のすべて』與那覇潤 | 単行本 - 文藝春秋
平成育ちによるはじめての決定版平成史 『知性は死なない』『中国化する日本』で知られる歴史学者による、小泉純一郎から安室奈美恵まで網羅した30年間の見取り図。『平成史―昨日の世界のすべて』與那覇潤

① 実際に自民党を割るのは、右派ではなくリベラル派の「新自由クラブ」(1976年)になり、野党の選択肢の方が混乱した。

② 社会党で最大の現実派だった江田三郎派が機能せず、「社会民主連合」(1978年)も小党に留まり、やはり野党のみが多党化した。

③ 平成初頭の非自民政権下の対立から、公明・民社が合流した「新進党」(1994年)に社会党は加わらず、むしろ自民党と連立した。

④ 新進党が、「政教分離違反」とする自民党側の攻撃への対処に失敗し、解党後に復活した公明党(1998年)は、やはり自民党と連立した。

それぞれ、270・365・114・199頁

立憲の野田佳彦・公明の斉藤鉄夫の2人の代表は、新進党時代の同僚である。ちなみに高市早苗首相も、当時は新進党だ(苦笑)。なんでここまで、一度は合流した人たちが、分かれたのか。

途中から有料になるが、高市政権が発足した際の寄稿で、ぼくはそれに触れている。要は「社会党と組んだ自民党」を叩くために、新進党はいまの日本保守党のように振り切れて、その鉄砲玉になったのが高市氏だった。

高市首相の自維連立はいつまで続くか…船出したばかりの新政権が抱える「重すぎる足枷」 憧れのサッチャーとは正反対の方向に走ってしまった
高市早苗氏が第104代首相に指名された。高市新総理率いる与党の行く末はどうなるのか。代表作に『平成史』(文藝春秋)のある評論家の與那覇潤氏は「高市氏についた『安倍晋三を継ぐ女』のイメージが重い足枷になる可能性がある」という――。

アメリカ帰りの若くモダンな女性として政界入りした高市氏が、「超保守派の女傑」として名を上げだすのは、まさにこの新進党時代。

戦後50年だった1995年3月16日の衆院外務委員会では、駐米大使が戦争の反省を語り継ぐ必要を説いた穏当な会見まで槍玉にあげ、国会での不戦決議に反対した。

「日本国民全体の反省があると〔大使は〕決めつけておられるのですけれども、少なくとも私自身は、当事者とは言えない世代ですから、反省なんかしておりませんし、反省を求められるいわれもないと思っております」

発言はリンク先の「121」参照

このnoteの執筆時には、「立憲・公明」の新党がほんとうにできるかは不明だ。ただし自民党内にも諮らない高市首相の “勇み足” での解散が、戦後史上で実らずにきた未発の可能性を意外に呼び覚ます可能性は、低くない。

言い換えると、それはなぜ、なんだかんだで「高市・維新」のグローバリズム保守は連携できるのに、中道ないしリベラル派はバラバラのまま、ここまで “個別撃破” され続けてきたのか。その責任を問い返す契機でもある。

収録は1/8で、まだ「解散報道」の前だったため、目下の合従連衡を直接扱うわけではないが、まさにその議論を昨年末に続き、宇野常寛さんとガチでしている動画が、昨日公開になった。

ぼくたちの歴史は、敗戦後に注射された「ワクチン」である。|與那覇潤の論説Bistro
ぼくにとって、今年は「戦後批評の正嫡」になった1年だったけど、おかげでとても嬉しい與那覇潤論にもめぐり逢えた。まぁ、ふつうに考えてすごいニッチなテーマだよね(笑)。 もっともこれは一種の便乗で、正しくは佐々木大樹さんという方が福嶋亮大さんの新刊に寄せた書評に、オマケでぼくへの評価がけっこう長く出てくる。その冒頭は、こ...

以下から再生できるので、ぜひ見てほしい。そして、昨晩の報道からわずか半日でここまで書ける「戦後批評の正嫡」が、ぜひ今年は中道の結集・リベラルの象徴・政局の解説の役回りを、担ってゆきたいものである(笑)。

令和の日本の、よりよい民主主義のために。

追記(1/15・16:45)
正午に記事を公開してから4時間後、立憲・公明の衆院議員のみでの新党発足が合意に達したと報じられた。党名の候補は「中道改革」が軸で、結成の仕方は新進党に近い。

動画のサブスク限定版では、昭和・平成期の中道支持の基盤について議論した。いま必見と思う。

参考記事:

「(都市部のホワイトカラー層の大好きな)改革」の時代はなぜ終わったのか|宇野常寛
先日、年末に引き続いて與那覇潤さんと対談した。テーマは「外国人問題」だ。もちろん僕も與那覇さんもいわゆる「外国人問題」が半ば疑似問題に近いことは百も承知だ。その上で、なぜこのようなことがーー存在してもいない「問題」がひとり歩きしたり、実際の問題が都合よく脚色されて独り歩きしたりすることがーー起きるのか、そしてこの排外主...
令和に「二大政党制」はなぜ終焉したのか|與那覇潤の論説Bistro
参院選後の「日本はどうなる?」でも蚊帳の外で、もう誰も相手にしない立憲民主党だが、『平成史』の著者として、小沢一郎氏の発言は心にしみた。将来、令和史を描く歴史家は、時代の象徴として必ず引用するだろう。 立憲・小沢氏「次の衆院選で全滅しかねない。執行部に大いなる責任」:朝日新聞 ■立憲民主党・小沢一郎衆院議員...

(ヘッダーは1978年5月、中道4党での協力を約す民社・佐々木良作、新自ク・河野洋平、公明・竹入義勝、社民連・田英夫。時事通信より)


編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2026年1月15日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。