私のバブル戦後史(1)

池田 信夫

今週からブログとnoteのメンバーシップに共通の記事を毎週月曜に連載する。時事的な話題は今まで通りアゴラに書くが、こっちでは私の個人史をシリーズで書いてみたい。


この歳になると人生を振り返ってみたい気分になるが、「私の履歴書」なんて誰も興味ないと思うので、私の人生の折り返し点だった1990年以降の歴史を一人称で書いてみる。あれが戦後日本の分岐点でもあったからだ。

バブルは戦争体験のようなものである。後から「あれは愚かだった」というのは誰でもいえるが、その最中に「これはバブルだ」といった人はいなかった。いま高市政権で「国債バブル」が崩壊し始めているが、それを同時代に経験した感覚を思い出し、2度と同じ過ちをおかさないようにする必要がある。

西新宿を「焼け跡」にした地上げ屋

不動産バブルの始まりは、いま思えば1985年9月のプラザ合意だったが、当時は誰も気づかなかった。私はNHKの「ニュースセンター9時」の経済班にいたが、最初にそういう番組をつくったのは「神田から古本屋がなくなる」という企画ニュースだった。

神田神保町の古本屋街には老舗が多かったが、1985年ごろから廃業する店が急に増えたのだ。事情を聞いてみると地上げ屋というこわい業者が出没しているという。

地価上昇はその前から始まっていたが、1985年に金融緩和が始まったころから、東京の都心に地上げ屋が急に増えた。当時は「底地買い」と「地上げ」は別で、底地は大地主が一括して所有しているケースが多く、大手ゼネコンなどがビル建設のために一括して買収交渉したが、厄介なのはその土地に住んでいる借家人だった。

借地借家法では借家人の権利が強いので、底地を買収しても借家人を立ち退かせることができず、多額の補償金を要求される。最悪の場合は、用地買収額の7割を借家人が取る場合もあった。これが出て行かないと、底地だけ買ってもビルが建設できない。

そこで借家人を追い出すのが地上げ屋である。これは不動産の仲介業者ではなく、その委託を受けて借家人を追い出す業者で、元請けの名前は明かさなかった。大手不動産業者だとわかると、足元を見られて高値を吹っかけられるからだ。

地上げ屋には、今でいう反社が多かったが、暴力で追い出すと警察が来るので、暴力以外のあらゆる手段を使って借家人を追い出す。よくあるのは家の前に生ゴミや排泄物などを毎日置くいやがらせだった。家の前で右翼の街宣車が1日中がなり立てることもあった。借家人が根負けして出て行くまでいやがらせをした。

 

再開発前の西新宿6丁目

地上げ屋が猛威をふるったのは、西新宿6丁目だった。都庁が西新宿に移転したあと再開発が進んだが、ビルの谷間に平屋の木造家屋が密集し、権利関係が複雑で用地買収が進んでいなかった。そこに目をつけた地上げ屋が、最上恒産の早坂太吉である。

早坂は同和問題をネタにして不動産でもうける「エセ同和」の大物、尾崎清光の子分だったが、分け前をめぐって喧嘩別れした後、尾崎は入院中の病院で殺害された。早坂は警察の取り調べを受けたが不起訴となり、事件は迷宮入りになった。

この事件を早坂は「おれは殺しの容疑で逮捕された男だ」と借家人を脅す殺し文句に使った。最初は早坂が借家人を脅して追い出し、細切れの土地を集めて地主に渡す。その資金源は第一相互銀行で、資金源はフジタ工業だった。売却額は470億円で、最上恒産は186億円の利益を得て、1986年の申告所得は前年度の380倍になって業界を驚かせた。

しかし早坂は所得税法違反で逮捕され、1993年に最上恒産は倒産。早坂が地上げした土地は空き地のままになり、焼け跡のような状態になった。その後も再開発は続けられ、バブルの遺産が消えたのは2010年代に入ってからである。

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