バブルという言葉は、1980年代まで誰も使わなかった。正確にいうと野口悠紀雄氏(一橋大学)と長谷川徳之輔氏(建設経済研究所)だけが、番組で「これはバブルだ」と言っていた。それは収益還元価格より高いという意味だったが、その収益がどんどん上がっていくと誰もが思っていた(noteと同時掲載)。
バブルの時代に物価は上がらなかった
新聞データベースを見ると「バブル」という言葉が出てくるのは、1991年からである。その実感がなかった一つの原因は、物価がほとんど上がらなかったことだ。1980年代後半に株価は3.3倍になったが、消費者物価指数は年平均1.3%しか上がらず、卸売物価指数はマイナス0.1%だった。
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実感としても、インフレになっている感じはなかった。私の記憶に残っているのは、六本木で飲んで終電を逃がすとタクシーがつかまらず、明け方までサーティワン・アイスクリームで過ごしたっことぐらいだ。一般のサラリーマンには、バブルは縁のない出来事だった。
日銀が利上げしても地価は上がり続けた
日銀の三重野副総裁は「乾いた薪の上に座っているようなものだ」と不動産バブルを心配したが、タイミングの悪いことに国会では消費税法案が審議中で、リクルート事件で大混乱だったので、大蔵省は法案が通るまで利上げをしないよう要請した。
日銀は「物価の番人」なので、資産価格を抑制することは求められていない。大蔵省の天下りだった澄田総裁は消費税の上がった1989年4月まで利上げを封印した。三重野は内閣府のオーラル・ヒストリーでこう述懐している。
大蔵省が非常に気にしていた。消費税を上げたので物価が上がってインフレになったと言われたくないんですね。したがって消費税アップの効果をもう少し見極めたいということも、彼らの頭の中にありました。
物価が上がらなかった最大の原因は、いま考えると単純である。急激なドル安で、輸入物価が下がったからだ。特に原油価格はプラザ合意の後、バレル30ドルから10ドルに下がり、円建てでみると1/5になった。これが国内のインフレを相殺し、結果的にはほとんど物価が上がらなかったのだ。
住宅価格は上がったが、消費者物価指数に含まれる「持ち家の帰属家賃」はほとんど上がらなかった。日本の家賃は契約更新のときしか上げられないからだ。日米通商摩擦で「内外価格差」が問題になり、物価を下げる規制改革がおこなわれたこともきいた。
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