うちの旦那に友達がいない!

先日ある奥様と話していた時に飛び出したのが「うちの旦那に友達がいない。頼るのは家族だけ。私の負担が重い。誰か旦那を連れ出してくれないか」と。どう返事してよいか考えてしまいました。旦那の矛先が家族に向かうのは良いことだと思いますが、一方で外との交流が全く断絶した状態もどうかと思います。

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そういう奥様ご本人も「私にも実は友達がいない」と嘆いているのです。友達の定義は人それぞれだと思いますが、ある程度包み隠さずなんでも気兼ねなく相談したり、時間を共に過ごすことを積極的に受け入れられる相手だとすれば、確かに現代社会ではこのご夫婦の話はごく当たり前のケースではないかと思うのです。

「何故友達がいなくなったか」と考えるより「何故友達を必要とするのか」と質問を切り替えたほうが分かりやすい気がします。我々の時代、つまり昭和のど真ん中を突っ走ってきた世代は人と人のつながりこそが情報を得て、自分の考えをマッサージする(揉む)手段であったと思います。ところが90年代から「個の時代」が始まり、お一人様生活が一種のトレンドのようになります。

その上、コンピューターができ、インターネットがつながると通信回線を通じて世界中の人があたかも「お友達状態」になり、寂しさが無くなるわけです。更にSNS空間で同じ趣味や考え方の「知り合い」がどんどんつながります。こうなると人付き合いとして面倒くさいリアルのお友達作りは二の次、三の次になってきます。これは現代社会の病とも言えないでしょうか?

ここカナダは友達が作りづらい国として知られています。私がここに来たばかりの頃、知り合いが全然いない中であるカナダ人が「カナダは世界で最も友達が作りづらい国だよ」と言われたのをよく覚えています。理由は聞かなかったと思いますが、いま考えてみるとカナダのようにモザイク社会、つまり様々な背景をもつ多民族国家が形成されると「知り合い」になれても「友達」にはなかなかなれないのです。理由は価値観の相違。つまり誰かに何かを相談しても全く別の生まれ育ちのの背景と別の常識観と宗教心を持っている人から返ってくる答えは自分の期待に反したものだったりするのです。

不思議なもので人に相談する際に自分の考えが全くないわけではなく、ある程度「こうじゃないかなぁ」という「もやもや」したものは持っていることが多いのです。友達に相談するというのはその「もやもや」を解消し、「やっぱり自分の考えが正しかったんだ。霧を晴らしてくれてありがとう」、これを期待している人は多いと思います。だけどカナダではそれが望めないということなのでしょう。

人々のつながりが薄弱になれば社会は小さくなっていきます。これは行動する単位が一人、ないし家族に限定されやすく、横の広がりができないのです。

私の何人かの女性の知り合いに「かつて女友達と2人で国内外に一緒に1週間程度旅行をしてことがあるか?」と聞けば大概「YES」なのですが、それが友達と壊滅的な終わり方をしたという話も多いのです。つまり喧嘩したというわけです。「一人で行くのは気が引けるから私の旅行に付き合って」という動機は共に過ごす時間軸が長くなればなるほど分裂する公算は高くなります。では男同士ははどうか、と言えば私の知る限りそもそもそんな旅行が成立しないのです。つまり男は最初から行くなら一人なのです。心細さがないからでしょうか。それより人と行けば「人付き合い」の枠組みができて妥協を重ねなくてはいけません。今夜何食べる、という点でも「なんでもいいよ」と言いながら誰でも一定の好みはあるのです。これを封印するのは実に効率が悪いのです。

タイパの時代になればなるほど友達は不要。必要なのはAI君だけ。あとは最小限の家族単位。恐ろしいほどドライな社会ですが、実際多くの方は「そうかも」と思う気がします。でも今更昭和の濃い人付き合いの時代にも戻らないでしょう。そうすれば悩める人も当然出てきます。その悩みも解消できず、引きこもったり社会と同化できない人が今後、着実に増えるとも言えそうです。

あぁ、なんと面倒くさそうな世の中なんでしょうね。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2026年2月1日の記事より転載させていただきました。

会社経営者
ブルーツリーマネージメント社 社長 
カナダで不動産ビジネスをして25年、不動産や起業実務を踏まえた上で世界の中の日本を考え、書き綴っています。ブログは365日切れ目なく経済、マネー、社会、政治など様々なトピックをズバッと斬っています。分かりやすいブログを目指しています。