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先日、ある著者から献本があった。はじめての出版だという。SNSの投稿などから頑張っている姿勢も伝わってきた。しかし、内容は自らの経験談がほとんどで客観性に乏しく、主張を裏づけるエビデンスもない。
結果、ごく平凡な評価をつけた。また、親しい方からの紹介でもあったため、掲載前にこのような評価になる旨をお伝えした。通常はしない配慮である。すると、点数について疑義の申し立てがあった。
つまり「そのような点数なら載せないでください」という主張だ。正直、驚いた。ここで、少し、私の立場を説明させていただきたい。
2010年から書籍紹介を続けている。現在はオピニオンサイト「アゴラ」をベースにしているが、これまで様々なメディアや個人ブログでも紹介を重ね、その数は1万冊を超えた。すべて同じ基準で評価している。そこに例外はない。
また、「書評」とは呼んでいない。「ブックルポ」と称している。ブックルポルタージュの略だ。本の内容に疑問があれば、著者や編集者に直接ヒアリングを行い、裏を取る。より高い客観性を担保するためである。
当然のことだが、著者や出版社から掲載費は一切いただいていない。金銭的な利害関係がないからこそ、忖度のない評価ができるのだ。まれに、記事がきっかけで本が売れた著者からお礼のお菓子が届くことはある。その程度の関係である。
過去には紹介した本が瞬く間に完売し、大重版につながることも珍しくなかった。影響力があるならなおさら、いい加減な評価は許されない。だからこそ、基準は厳格に守りたいと考えている。
本を送ってくるということは、評価を受けるということでもある。褒められることもあれば、厳しい指摘をされることもある。それを承知の上で送ってくるのがルールではないか。
「この本には思い入れがある」
「こんな工夫をした」
「あの〇〇先生にも褒められた」
──著者がそう語る気持ちは分かる。一冊の本を世に出すまでに、膨大な時間と労力がかかっていることも知っている。しかし、それと評価は別の話だ。
思い入れの強さが本の質を保証するわけではない。どれだけ工夫しても、読者に届かなければ意味がない。誰かに褒められた事実は、別の読者にとっての価値を証明しない。
本を世に出すとは、不特定多数の目にさらされるということだ。そこには当然、自分が望まない評価も含まれる。それが嫌なら、本を出すべきではない。厳しいようだが、これが現実ではないだろうか。
出版不況と言われて久しい。書店は減り続け、本の価格は読者にとって決して安くない。だからこそ、読者は本を選ぶとき慎重になる。信頼できる誰かの「この本は読む価値がある」という言葉を頼りにする。その信頼は、忖度しないことでしか築けない。
もし私が著者の顔色をうかがい、すべての本を「素晴らしい」と紹介したらどうなるだろうか。読者はすぐに見抜く。「この人の紹介は当てにならない」と。そうなれば、書籍紹介そのものが存在意義を失う。私が守っているのは、著者との関係ではない。読者との信頼関係である。
今回、はじめての方だからと配慮したことが、かえって誤解を招いた。配慮の仕方は考え直すかもしれない。しかし、評価の基準を変えることはないだろう。
忖度した褒め言葉より、正直な評価のほうが、よほど著者のためになる。この姿勢は、これからも変わらない。それが、著者への敬意だと信じている。
尾藤克之(コラムニスト、著述家、作家)
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22冊目の本を出版しました。
「読書を自分の武器にする技術」(WAVE出版)







